見出し画像

チラシの裏に書くようなことをネットの大海原に放つ理由

noteに毎日書いている私の記事の内容だが、日常とその時々の気持ちを惜しみなく出している。
惜しみなく、なんて書くと高尚なことのようだが、私のつるつる脳みそから出る程度のものだ。
大したことは無い。


noteの下書きをパソコンで入力しながら、「こんな内容チラシの裏に書く程度のもんじゃないか?」と思いつつも、誰かに見られるだろう、見て欲しいと自意識過剰気味になりながら文字を並べていく。

チラシの裏に書くだけじゃ、誰も読んでくれない。
おもしろくない。

やはり、誰かに見られるかも、ドキドキ、という羞恥プレイにも似た感じが良くてネットの大海原に感情を放つんだ。(変態臭がするのはごめん)




だから、鍵付きの日記帳のような自分しか書けない読めない紙の日記は・・・


要らん。







誰かに見られるというほどよい緊張感で、文章も拙いながらも意識してしっかりと書こうとするし、そうやって書いていることで、自分自身の考えに気付くことにもなる。
そして何より私が後々読むんだから、私が読みたいものを書きたい、だから、そこもしっかり意識する。




誰かに読んで欲しい、と思いつつも読んで欲しくない、という矛盾した気持ちもある。
赤裸々に書いて変に思われやしないか、というところだ。
しかし、自分が読む側になっている時のことを思い起こせば、読み手はさほど内容の際どさとか赤裸々さとか、気にしちゃいないと言うのがわかるから、まぁ、ええかってな感じだ。


気が付けば200人を超えていたフォロワーの整理をした。
なぜそうしたかというと、ある人は相互フォローを暗にうたっていたり、別の人はフォロワーやスキの数を稼ぎたいだけのために私のフォローをしてるような疑念がわく、そういうクリエイターを外した。
こういう人たちは、そもそも私の記事なんぞ読んでやしないだろうしな。
それと、ここ1,2年全く更新の無い閑散としているnoteのクリエイターさんも外した。



我ながらめんどくさい奴だと自分の事思うけど(笑)
自分が気持ちよくnoteを書いていきたいから。

自分の環境は定期的にチェックしてキレイにしておきたい。