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わたしは馴れ合いを見せられている

時間の無駄、メンタル削られるだけ、妬み嫉みが生まれるだけなんだから見ないほうがいいとか、なんだかんだと言いながら、昔の知人のSNSを見てしまう。

その中でも唯一、京佳のインスタは笑えるから、私の癒しではあるのだが。

この「京佳のインスタは笑える」というのは、彼女にセンスがないことや、時代遅れのメイクやヘアスタイルをバカにして、ぶっ飛んだポエムを悦に入ったBBAと笑うことで、私が満足を得ている。
センスについてバカにするなどの私の行為は、マウントだよなぁと思って躊躇しそうになるけど、結局人間てのは、誰かを下に見ておくことで安心する生き物なのかもしれん。


だから、やめられないのだが。




まぁ京佳のインスタは極端なSNSなので、置いといて。
(この三連休もゆかいな写真とポエムをアップしてくれたので、話題には事欠かない。またそのうち私のイラストで披露したいと思う。)




以前の会社の人のFacebook。
彼女は、お葬式やお墓参りも写真付きでアップするし、本を貸したら返ってこないし、物を貸しても返却が無い自分の趣味を相手わたしに押し付けがち、だけど身なりはきちんとしていてお上品かつ優雅な女性だ。

パッと見、人の物を借りパクするような人には全く見えないのだが、何度も返却されないことに不信感を募らせ、彼女がスピリチュアルに傾倒したあたりから、私は彼女との付き合いをフェードアウトさせた。
それでも彼女のスピリチュアルにのめり込んだ行く末が気になり、Facebookを生暖かく見ているんだ。



そんな彼女の投稿に対し、コメントが並ぶ。

「今日はつけまつげ施術してもらいました。」に対し、美しいです、いつもても惚れ惚れしますなどの称賛。
「いえいえ、そんなことないですよー。」と返信。謙遜が逆に嬉しそうに見えてウザ。

「今日は新しい色にチャレンジしました、新作ジェルネイルをしてもらったのです。」に対し、以下同文。

「今日の夕食は○○です。」に対し、すごい美味しそうでキレイな盛り付け!お姿も美しいのにお料理も美しくできるなんて素晴らしい!(以下略)
「そんなそんな。お料理は心を込めてしています。心が映える料理をしてるつもりです。・・・」返信にはキレイに着飾った言葉が並んでいくのがウザ。

ああもう歯が浮きそう。

見ているこっちが恥ずかしくなるようなワード褒め殺しの羅列であるが、まてよ、ひょっとしてこれは一周回って壮大なる嫌味なのでは?と思う私はやはり性格悪いのか。

お世辞なんだろうけど、それでも言われるほうは嬉しいだろうな、とも思う。


それを私はこんな目でみてるだけだ。(一一)





一体私は何を見せられてるんだろう…。







馴れ合い、か。

褒め合いの馴れ合い。