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ほどほどで諦めて過ごす

母はフライパンや鍋で料理したものをそのまま、食卓に出す。

うん、別にいいよ、諦めているから。
本当は大皿に入れてほしいけど。(フライパンやお鍋が大皿のかわり)
これ、母が若い時から、ずーーーーーとこの方式だから今更言えない。
最近は、食卓にそのまま出せる洒落たフライパンやお鍋があるが、そんなものが世に出回るもっと昔から、このスタイルだ。
もちろん我が家のフライパンやお鍋は、洒落たブツではない。

母自身、食器や料理にやたらとこだわっている割には、雑な感じは否めない。

この雑然とした、適当な食事風景、イライラするんだが、耐えている。
しゃーない。






諦めながら食事をしていると、料理やご飯の中にきらりと光る1本の筋が見える。
「あ、まただ」と思うけど、声にも態度にも出さない。

髪の毛を取っている様子を見られないように、母がテレビに気を取られている瞬間にさっと行う。
音はたてずにそっと取り除かなければいけないので、神経を使う。
髪の毛を取っている様子に気付かれてしまうと、母はごめんごめんと謝りながら、目が見えなくなったこと、髪の毛が抜けやすくなったこと、老化でどうしようもなくなってきたこと、とどのつまり年寄りだから仕方ないでしょうの、「老化の盾」を振りかざしてくるので、こちらはうんざりするから、気付かれたくないのだ。

老化の盾をかざしては来るが、母が若かりし昔から髪の毛が入っている率は高かったけどね、それを私は言いはしない。
黙って母の言い分を聞くだけである。

お所帯をしてもらっているからこそ、言い返せないのもある。

しゃーない。







ある日の夕食。
母が焼肉用の肉を買ってきて、そのまま袋を空けシートを広げ、直に食卓に置く。
ここまでは、まぁ、いい。(本当はイヤだけど)



しかし、生肉が乗っていた血がついているシートの上に平気で瓶を置いたりするのを見て、耐えられなくて、思わず瓶の底をふきふきしてしまう。
こういう汚れた状態で冷蔵庫に瓶を戻すから、もれなく冷蔵庫も汚れる。
せっかく新品の冷蔵庫なのに…と想像して背筋が寒くなるが、耐える。
しゃーない。

その日の食後、後片付けのあと、冷蔵庫の中をしっかり掃除をしたのは言うまでもない。





衛生的に耐えられないことが多々ある。
あるけど、耐える。
両親はそれでいいと長年暮らしてきたのだから、もう言えない。

確かに母の言うように、目も見えなくなっているのだから、細かいことが見えていないから気になることもないのだろう。



私は、見えすぎているのだろうか。
遠視であり老眼なのにね(笑)



穏やかに過ごしたいだけ。



だから、私はいつものように、今回も目を伏せる。

しゃーない。