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単純明解の流れの原理 

まだ納得いかないので書き足す予定。
表すには知識がまだ足らない。

音を聞き始めて気づいたこと。
ひとは、声でエネルギーをやりとりしている。
自分の7音を、きれいに出したいのに、
強く出しすぎていたり、弱弱しかったり
フラットがついたり、出ていなかったり。
ひとのからだは、それはそれは複雑な、楽器であった。


足りない音を、人から声でもらおうと、無意識で行動をしている
音は、光でもある。
得られなかった要素を、食べ物として得ていた。


皆が欲しがる、完熟させた脾臓のだす愛の声。
脾臓の発動を始めている人はある程度いるが、
完熟させた声は珍しい。
完熟させた脾臓を持つひとは、膨らみすぎた脾臓で胃を圧迫し、
食べられなくなる。
そして苦しむ。
ただ至って明解。
それを音という声にのせて、愛のエネルギーをひとに分け与えるだけ。
それだけで、脾臓は収縮する。
そしてまた、人から得た音で、愛の錬金術を体内で行う。
愛の錬金術、それはミネラルと豊かな炭素の振動を生む。
光合成だ。


ひとはただの炭素ではない。
炭やカーボンに、愛というエネルギーが親から与えられ
ひとであることが可能となる。
ひとは酸素という天の気、溶け込んだ全知のエネルギーを吸い、
自らの振動を乗せた、炭素を吐く。
その炭素は、天の気がバックアップしてくれて軽さを与え、人に影響を与える。
おのおの体内での炭素の振動はちがうので、振動が少ないと病み
振動が多いと満ち溢れる。
その振動は、自らなかなか引き上げられるものではなく、
自らより多い振動に触れ、同調すること。
もしくは、自らの強く愛する気持ち、脾臓の発動がいる。
人と人とのやりとりなしでは、成長しないしくみとなっていた。
天はどこまでも与えている。



植物は二酸化炭素と水とフォトンからでんぷんを生む。
フォトンはエネルギー高く、きついので、植物が替わりにでんぷんへ変化させてくれた愛の結晶を頂いている。
ひとは酸素を吸って、二酸化炭素を吐くのではなく、
他者と交流して得た脾臓の音である愛と、二酸化炭素と水で、エネルギーを生むことができる。
フォトンは愛だった。
常に当たり前のように毎日振り注いでいる。



人は、成長するまでは、間接的にフォトンを食べものから取り込み、炭素も増やして楽器をつくり、
身体が完成したら、フォトンを直接取り込めるように、脳を発展させ
自らフォトンを出すまでになれるのが、人。


いつまでも得られない振動は、振動数ではなく物質に目が行く。
何が足らないか。栄養か、水か、振動か、熱か、痛みか。
唐辛子の痛み、炭酸の刺激、ストレッチの痛気持ちよさ。
自分が知っている、愛と捉えている刺激と、脳が受け取っている。
それは未完の脾臓の愛。
痛みは刺激、刺激は電流。
電流は強くないと、感じない?
そうじゃない。
完熟の愛の味を知らないだけ。
本当の愛は、とても静かで、畏怖と捉えられるような沈黙の香り。
無意識が求める完熟の愛は、すでに十分に届いていて、ただ感じて受け取る過程に気づいていないだけ。
困ればすぐに、ヒントをくれる。
小さな小さな微弱の電流。
常に流れているから、気づけないだけ。


愛の代替、炭素の砂糖でいくらとっても、収まらない。
行き場のない愛が、体内でむくむくと肉となり膨れていく。
人に行き先を向ければ、すぐ溜め込んだ愛は消えていく。
物質に目がいけば、必然と栄養素に向かう。
VCは心の代替、脾の着火剤であり、
VBは腎の代替、肝の着火剤であるように
全ては愛の発動に向けての段取りであった。


栄養素の補完は、自分の不足している気を、周りから得られないために
代替品として得ていることが多い。
自ら生まれ持った遺伝子、いわゆるカルマによるものも左右し、
生き方による使い方も左右している。
五行のバランスは大切。

肝の音、ミの音。
肺の音、レの音。
心の音、ソの音。
腎の音、ラの音。
そして脾臓の音、ドの音。
完熟すると、ただのドではなくなる。

そして男性の進む方向と、女性の進む方向は違う。
女性は脾と肝と肺の音をだし、高潔で静かな愛の音が出せる。
周りへは愛を。
男性は腎と肝の音を出し、深い安定と成長を促す声が出せる。
周りへは安寧を。
男性は、女性とやりとりしてエネルギーを分け与え、女性の脾の完熟を補佐する。
女性のみでは、脾の元の気が補えないので、男性とやりとりし、完熟させていく。
美しい二重螺旋を描く。
とても、とてもよくできたしくみ。


単純明解の流れは、みんな無意識で知っている。
ただ、自覚できるほど、まだ、脳を扱えていないだけ。
頭の中の美しい炭素の塊。
持っているのに、店に並ぶダイヤモンドを欲しがるのは。自己成長を望む行動そのもの。
人が常に選択している行動は、マンダラや魔法陣そのもの。
それが具現化していくだけ。


愛は理解するものではなく、体現するもの。
当たり前のように血を分け与えられるか。
感覚というのは、使われるものではなく、ストッパーを外したら、使うもの。
人の無意識を、どう自覚させるか。
答えだけでは、愛が不足。
解けるように、編めるように。
自分で辿り着けるように、灯すだけ。



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