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エヴァを再履修した話

アニメの再履修をしたときの感想文がでてきたので微調整して
投稿しようと思う。

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久しぶりにエヴァを再履修した。
というのもまもなく新劇場版が完結する。
その前に改めてTVシリーズを見直そうと思った次第である。
エヴァを通しでみるのは多分3回目。
設定やストーリーの考察ではなく、登場人物への思いを中心に
はじめて見たときに感じたことから順に書いて行こうと思う。

◆はじめて見たエヴァ

はじめてエヴァを見たのが小5か6の頃。
最後に見返したのは多分大学生か就職してすぐのころ。
なので、今回約10年ぶりに見たのだが
本当に年齢によって共感、理解できるキャラクターが変わっていくのがおもしろい。

小学生の頃、はじめて見た時はシンジやアスカ達ですら「年上」だった。
中学生というのは、小学生から見るととてつもなく大人で、
ある意味本当の大人(成人)よりも、大人で、なんでもできる存在のように感じていた。
特に自分自身の年齢が中学校に近づいてくるにつれて中学生への「憧れ」は
強いものになっていたように思う。
そんな感覚の中見る碇シンジの情けなさ。どうしようもなさ。気持ち悪さ。
全知全能である中学生とかけ離れたそのあり方に嫌悪感を覚えたし、
一番「全知全能」に近いアスカには憧れを抱いた。
今思えばアスカというのは最もわかりやすいキャラクターであるがゆえ、
低年齢層にもファンが多いのではないかと思う。(アスカは理解すべき性質がわかりやすい)
綾波に関しては無関心だった。どちらかというと好きじゃないくらい。
理由は「よくわからない」から。カヲルくんは謎に満ちた、小難しい言動に憧れた。
もちろんあの美しいビジュアルと声にも惹かれた。当然だ。

ストーリー全体への感想は「なんだかわからないが、とにかく重苦しく、シリアスなストーリー」「よくわからないがこれは高尚なものだ」という感じだったと思う。
こういう作品を見ていた自分に酔っていたのもあるし、異様なまでの重苦しさに本心で妙に惹かれたのも覚えている。
漫画も買ったし、フィルムコミックも買ったし、
カヲルくん特集の本まで買った(これがJUNEから出ていたもの、
そしてJUNEが一体何なのかを知るのはもっとあとのことである)
とにかく劇場版含め、本来的な内容はあまり理解できていなかったと思う。
「みんな消えてなくなれ」的な思想は小学生には刺激が強くて怖かったのは覚えている。

◆大学生の頃見たエヴァ

「人類補完計画」の意味をなんとなく理解できたのは、
おそらく二度目に視聴した時。大学生頃だったはず。
「他人」と「自分」の境界線をなくすことがその計画の願いであり、
シンジはそれを否定し、新しいセカイを願ったというのは理解できた。
「気持ち悪い」という言葉の意味は相変わらずわからなかったが、
とにかく「人類補完計画」の意味がつかめただけ、多少成長したのだろうと思う。
昔見たときよりも内容を理解できたことへの満足感みたいなものがあった気がする。好きなキャラクターなどに変化はなかった。

◆30代になって見るエヴァ

そして今。
気がつけばミサトさんよりも年上になっている(正確には、ミサトさんとは
生まれた年が同じ設定だが)。
中学生がただのクソガキで、
全知全能でもなんでもないと知ってから見るシンジへの印象は
「かわいい」「年相応」というものだった。
父親との確執など、経験からくる共感できない部分はあれど、「世界中が自分を拒絶している」と感じることは少なからず自分にもあった。
嫌なことから逃げ出すことも当然あった。
シンジの行動や思想はクソガキな中学生そのものだ。
だからこそ、かわいく見えるし父親に認められたいという理由で行動を起こすのも正直、普通だと思う。
そんなシンジを取り巻く大人達のやり方に苛立ちを感じたし、あまりにも一方的なコミュニケーションにもどかしさを感じたりもした。

話はそれるが小学生当時一番好きだったのは
「アスカ、来日」でアスカが弐号機でド派手に大暴れする回だったが、
この年齢になっていいなあと思ったのは
シンジくんが使徒を倒したことを司令から電話口で褒められるシーンだ。
よかったなあ・・と。しみじみと、まるで親のような気持ちで見てしまった。

◆リツコとミサト

今回最も注目したキャラクターはリツコとミサトだ。
この二人はとにかく対照的で、同じように女の醜さを
擬人化したような存在なのだが、ミサトは苦手になったし、
リツコには共感した。

小学生当時、ミサトは理想の大人そのものだった。
スタイルもよく頭もいい。子どもたちのよき理解者の、いいお姉さん。
といったイメージだったが、この年齢になって見返すミサトは
そのイメージと真逆の存在であると気がついてしまう。
だからこそ人間臭いのがミサトなのだが、
同世代として客観的に見るミサトはものすごく辛いものがある。
「自分は醜い存在なのだ」と加持にいうシーンには
軽く拒否反応すら覚えてしまった。
そのとおりすぎて見ていられないのだ。
自分が嫌いでたまらなくて誰かに助けてほしい。
でもそうして誰かれかまわずすがってしまう自分は女として
最悪で、もっと嫌い。
「寂しい」という感情に対しての向き合い方が最悪だし
他に言葉が思いつかないくらい最悪なのだ。
うまくいえないが、とにかく「見ていられない」気持ちになってしまう。

一方でリツコの行動は悲しいかな、わかってしまうのだ。
恋愛感情や、それを失った時のさかうらみ、すべて失敗して
自分にもう一度すがってきてくれればいいのに・・という願望。
異性への醜い恋愛感情がすべて詰まっているのがリツコだ。
自分の話になってしまうが、
同じ会社の人を好きになり、失恋したときに本当に似たような感情に
なってしまったのだ。なんというか、今思い出してもえげつい。
リツコへ「共感」してしまう自分に嫌悪感を抱いたりもしたが、だからこそ
嫌いになれない存在になってしまった。
リツコが綾波の器を破壊するシーン、小学生の頃は「何やってんだこいつ…」と思っていたが、今では相当上位に食い込むくらい好きなシーンになってしまった。旧劇で碇ゲンドウを殺すシーンなど、
リツコの情念が見えるシーンはどれも好きだ。
リツコに共感する日がくるとは。小学生当時思いもしないことだろう。(当時リツコのことは一番理解できないキャラクターだった)
彼女に共感するというのは、自分も年を重ね
いろいろな経験を積んだからこそという感じがする。

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この作品は、とにかく女性の醜い部分がうまく表現されすぎている。
そんな女たちに翻弄される一人の中学生男子という構図も、この作品の持つ一面だ。
シンジはきっと、ミサト、レイ、アスカそれぞれに憧れや恋心があった。
自分を認めてくれる人のことが「好き」なのだ。
その「好き」は恋心なのか、許してくれるから「好き」なのかは曖昧だが
どちらかといえば後者の意味合いのほうが強いのではないか。
自分を「否定」したり、「叱る」人は嫌いなのだ。
だからこそ、カヲル君のことが好きなのだ。カヲルくんはシンジの繊細さを
全面的に認めている。受け止めている。
言ってしまえば、許されているから居心地がいいだけなのだ。
「僕の気持ちを裏切ったんだ」というシンジのセリフが一番わかりやすい。
結局裏切られたことでシンジは怒っているだけ。
どこまでも自分のことしか考えていないのがシンジなのだと思う。
依存や執着みたいなものを強烈に抱え込んでいるシンジ。
かわいらしいと思うところもあれど、やっぱり不気味な存在でもある。
こんな風に書いたが、私はそこも含めてシンジのことが好きだし、
彼の弾くバッハの「無伴奏」にあこがれて最近、チェロ教室に
通い始めた。チェロってめちゃくちゃ力がいるし難しい・・
いつか弾けるようになりたい。
https://www.youtube.com/watch?v=JcyAVHc9_WU

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小学生のころは小難しい設定などに惹かれて見ていただけだった作品も、
これだけ年をとるとそこにいる「人間」を見るようになっていた。
どのキャラクターも苦しいくらい「人間」だからこそ
エヴァはおもしろい。次見るころ、もしかするとゲンドウや冬月教授への
理解がもっと深まったりするのだろうか?異性だから無理か?など
次の再履修が楽しみになったりもした。

エヴァに限らず好きな作品は、年齢を重ねるごとに感じ方が違うので
なにかキーとなるタイミングでは今後も見たり聴いたりしていきたい。


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