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【Fセク】メディアでの露出にともなうもの

⚠️ 架空の存在に恋愛的指向/性的指向を持つ、フィクトロマンティック/フィクトセクシュアルのことについて述べております。
苦手な方はブラウザバックをすることをおすすめ致します。

「お相手様」「パートナー」と捉える方も多いですが、この記事では「キャラ」とあえて言います。

一部分、言葉遣いがきつい部分もありますが、この投稿は当事者である一個人の雑感や意見であり、当事者の総意では無いことをご理解頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

例のニュース

キャラと「結婚」2年で200組以上、「二次元恋愛」の今…「恋愛に与える影響は増大し続ける」 : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230224-OYT1T50172/


例のニュース記事を見た、あるFセク当事者の方々のSNSでの反応に強く共感した。

相手の方を本当に愛しているのであるのならば、ことにその相手の元が版権のキャラクターであるのならば、そのキャラを作った作者のこと、版元のこと、その作品を愛するファンの感情のことも考えて迷惑をかけないことも大切だと。

この意見ツイートを見て、自分自身がどうしてSNSでのろけ話や、彼の名前を頑なに出したくないと抵抗する理由が、ようやっと分かった気がする。

公言することのリスク

自分が鍵垢で隠して、オープン垢を消してまで書いている理由。 鍵であっても作品名や彼の名前すらも隠す理由。

今付き合っている彼がいる作品の公式様は、プレイヤーごとにそれぞれのキャラがいるシステムであると公言している。
公式様が提示する、弊〇〇システムの元で生まれた自分のところの彼だから、 二次創作的な解釈ということには間違えはない。 うちはうち、よそはよそ的な。
公式様が弊〇〇のシステムだから通じるかもしれないけど、中には『キャラを汚すな』と言う一定の層も存在する。

もし、鍵のかかっていないオープン垢でFセク当事者としてキャラの名前を公言してしまえば、そのキャラやそのキャラのいる版権作品、界隈にもいい意味でも悪い意味でも「○○というキャラ=■■さん」というイメージがつきかねない。
たとえ弊○○というシステムであったとしても、そうじゃない界隈の出身の人から見れば、そういうイメージがついてもおかしくないのでは個人的に危惧している。

作品名を出す必要は本当にあるのか?

『人は人、自分は自分』スピリットがしっかりある人ならそれはそれで構わないが、残念なことに、世の中はそのような人ばかりでは無い。

自分も、早く次元局さんに婚姻届を出して彼との関係性を第三者に認めてもらいたいと切羽詰まっていた時期があった。自分自身の好きを否定されたくなかった。

しかし冷静に考えたら、それはFセク界隈の空気に流されてこうしなきゃいけないと自らに枷をかけてしまった結果、沢山迷惑をかけたことは深く反省している。
フィクトセクシュアルという枠から一旦外れて、この好きが何なのか考えてみた結果、三次元のパートナーに抱いた気持ちと何ら変わらないことに気づいたと同時に、好きの気持ちに次元の壁は関係ないのではと気づくことができた。物理的には実在するかしないかだけの話で、概念的な部分では存在しているのと何ら変わらない。

自分自身の指向に名前がある、それだけでも嬉しくて、安心できる。しかし、新しく入ってきた概念に当てはめるときに、果たして喜ぶ人ばかりであると思うだろうか。ましてやセクシュアリティの事なので、殊更に公言することに抵抗が生まれるのであろう。

彼というキャラが生まれた公式様や、元になった物に関わる人達に迷惑をかけてしまう可能性もある。そのキャラのファン、同担同嫁さん、平穏な日々のことを考えたら大々的に結婚したと露出したくないし、愛しているの感情だけでは済まない。 その先にあるリスクも考えることも愛なのかな、と個人的に思う。

あの記事の説明では、フィクトセクシュアルとフィクトロマンティックに関する説明はまだまだ不十分。 メディアも、ああいう書き方しか出来ないならば、これ以上掻き回さないで欲しいというのが個人的な感想である。

だから、今もそしてこれからも鍵をかけてないSNSでは彼の名前を出さない。作品名も出さない。こうして、迷惑をかけないように今日もひっそりと暮らしているのである。

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