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国籍を超えてハッピーバースデー

2024年6月6日。この日をもって、晴れて成人となりました。

18歳の誕生日が、これまで生きてきた中で1番鮮烈に記憶に残る誕生日だったと思う。

木曜日にしては珍しく、テンション高めで登校。その日は7限授業プラス放課後補習だったので「全然誕生日感ないー笑」と友達に愚痴ってみたり。補習は大好きな世界史だったので、教室の最前列でご機嫌で講義を聞いたり、先生から誕生日おめでとうと歌を歌ってもらったり。放課後の1時間はあっという間だった。

補習が終わると、そのままボランティアに参加した。日本語サロンという、地域に住んでいる外国人とやさしい日本語を介して交流する、というものだ。会話と言語大好き人間なので、毎回欠かさず参加している。日本語教員になりたいなーと思うきっかけを与えてくれたのも、このボランティアだった。

18時〜20時まで会話や折り紙をして交流したあと、今書いているレポートの取材としてインタビューを実施していただいた。地域の日本語サロンとして日本語をどのように扱っていくか、的な真面目なお話を少々、自分の進路についての話も少々。サロンの主催者の方の声質が少し好きなのもあって、幸せな気持ちで会話をする。

インタビューも無事終了し、お礼を言って建物の外へ出る。

すると、「遅いよ〜、やっと来た」と声がした。

びっくりして見渡すと、5,6人の外国人たち。
その中の1人(以前一緒に食事に行ったベトナム人のお友達)が「このあと時間ある?」と聞いてきた。

 ?! じ、時間は大丈夫ですよ…?

 じゃあちょっと公園に行きましょう

 お、おう…わかりました

突然の出来事すぎて、状況が飲み込めない。
家に連絡を入れ、一応スマホを握りしめながら彼らのあとをついていく。あまり想像はしたくなかったけどもし最悪の事態になったら…などと考えながら移動する。暗いし、なんならほぼ初めましての外国の方たち。何かあったら自分の身は自分で守る。18歳だもの。

しかしさすがに不安すぎて、ベトナム人のお友達に「これから何をするんですか…?」と聞くも「大丈夫ですよ〜」とかわされるばかり。いやだいぶ不安になってきた。

そして公園に到着すると、文字通り東屋に引っ張っていかれる。なになになになに?!と大混乱している自分を他所に、隣のベトナム人の彼女は何やらわくわくしている様子。

〇〇さん、お誕生日、おめでとー!!!

そう言って彼らが差し出してくれたものは、たくさんのいちごとろうそくがのったホールケーキだった。しかも、ネームプレート付き。わざわざこの日のために予約してくれていたのだ。

「えぇぇぇぇぇぇうわぁぁぁありがとうございます…!!!!!」

 はい、ろうそくフーして!

 今日で何歳?

 “Piring di mana?” “Sini sini.”

 あれ、なんで泣いてるの?笑

いろんな言葉が飛び交うなか、気付けば涙が溢れていた。

こんな日が来るなんで、生まれてから一度も想像したことがなかった。
外国人の大人たちに囲まれて、色んな言語が飛び交うなか、自分も大人の仲間入りをする。こんな幸せなことがあっていいのか。

インド、ベトナム、インドネシア、日本。そこに国籍は関係なく、1つの言語によって繋がりが保たれていて。いや、もしかすると言語も関係ないのかもしれなくて。

タミル語でも、ベトナム語でも、インドネシア語でもなく、日本語で精一杯の感謝を込めて、

みなさん、本当にありがとうございます。とても嬉しいです…!!

と言い放った。夜8時過ぎの田舎にも関わらず、みんな思い思いに声をあげてお祝いしてくれた。(近所のみなさん、うるさくしてマジでごめんなさい)
みんなと写真を撮ったり、不器用なくせにケーキを人数分カットさせてもらったり、ブランコで大はしゃぎをしたり。駆け出していく背中で「大人になったけどまだまだ子供なんだね笑」という学習者さんの言葉を受け取ったり。

一ボランティアの自分のためにここまでサプライズを仕掛けていただいて、祝っていただいて。
この瞬間がかけがえのないもので、この日のことは、死ぬまで一生憶え続けていたい。



みなさん、本当にありがとうございました。とても嬉しくて、今思い出しても泣きそうです。
自分はまだまだ未熟者ですが、これからもたくさんいろんな言語で交流しましょう。

この世の全ての愛を込めて。






ご清覧ありがとうございました。
自販機のコンポタでした🌽


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