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小説、死んでもいいわ

夜。中秋。喫煙所。
隣にいるのは前髪を目元まで伸ばした男。鳴かず飛ばずのシンガーソングライターであり、私の恋人。稼ぎなんてほとんどないから、私が養ってあげている。家は離れている。殴られてはない。

煙草を吸うのも彼だけで別に話すこともなかったので空を見上げると、空気が澄んでいて月がよく見えた。
「死んでもいいわ」
口が滑った。
「え、ダメだよ」
と、男。
そうだ。彼は学がないのだ。忘れていた。
もしもう少し教養があれば、夏目漱石と双葉亭四迷でも思い出してくれたろうに。
「わかってる、なんでもない」
「そっか」
「うん。ない。」
「ないんだ」
再びお互い黙る。私は空気を、彼は煙を吸ったり吐いたりする。何か言ってやろうと思い、私から話し出した。
「今日のライブも良かったよ」
「ん、ありがと。でもさー」
「でも?」
「こんなんじゃ満足できないんだよな。俺は音楽で世界変えてえんだよ」
「ずっと言ってるよね、それ」
「そうか?」
「うん」
「いやさ、そんくらい思ってるってことだよ」
「その割に曲は売れないのね」
「やなこと言うな」
「ふふ」
「俺だって売れて欲しいと思ってるよ。でもダメなんだよなー、世の中に知られてねえし。なんでだろ。」
私は知っている。彼の歌詞は薄いし、リズムも特徴がないし、歌も伴奏もたいして上手くない。
多分彼もそれを知っていて、目を背けていることにも気付いている。
天才風を吹かせたいだけの凡人。夢が叶わないと知りながらも勝手に自分には音楽しかないと思い込んでいる、何者にもなれない人。
「ねえ、いつまで音楽やるつもりなの?」
「え?」
「だから、いつまで音楽やるつもりなのかって」
「いや、いつまでって。死ぬまでだよ」
「ふーん」
「なんだよ、俺には無理って言いたいのかよ」
「そういうのじゃない、でも、辛くないのかなって」
「辛くないよ。好きでやってんだから」
好きでやっているのだ。だから研究も努力も中途半端で。学生が勉強の片手間にやるみたいなテンションで続けているのだ。だから辛くないんだろう。
「あのさ」
「どしたの?」
「働いたりとかは考えてないの?」
「売れるつもりだから。だからごめん、もう少しだけ世話にならせて」
「…」
「俺頑張るから。ここから売れて、お前に楽させたげたいから」
この言葉も何回か聞いている。そもそも彼が売れるなんて思っていない。
「そう…」

彼が煙草を灰皿に置き、そのまま喫煙所を出た。私もついていった。
何故この人が好きなんだろうか。見下せて、安心できるからだろうか。ていうか、これからどうしようか。いつまで続けようか。
なんだかよくわからなくなって空を見上げると、やっぱり月は綺麗だった。
「死んでもいいわ」
「え、ダメだよ」

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