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ピアノをまた習い始めました

3月から月に1回ピアノのレッスンを受けています。
小さい頃から18才まで長く習っていたのですが、高校卒業を機に辞めて、そのままずっと弾かずにいました。

習い事あるあるなのですが「あなたがやりたいって言ったから」という言葉と、大きくなってからは持たされる月謝袋の中身の重さを知って、「辞める」と言えないまま、ただ続けていたピアノ。
母の「この曲好きなの」「あの曲は?」という言葉に悪気がないのも知っていたけど、「弾くの私だし」「私の好きな曲なわけじゃないし」と内心思っていたのを思い出します。
そして辞めてからずっと「お母さんの前では絶対弾かない」思っていました。

私も母になったから、今となってはあれがきっと反抗期だったし、ちゃんと言葉にしていればよかったのかもしれないなと思っていますが、当時は無理だと思っていたし、めんどくさいことになるくらいなら、黙ってやるのが楽だと諦めていました。それはそれで賢い選択で、母が発表会に来たりするのも、私が練習するのを好ましく思っていたことも、知っているし、それはいいことだったんじゃないかとももちろん思っています。

だけど、やっぱり母になった今だからこそ、忘れちゃいけない気持ちな気がしているし、でも続けたからこそ身に付いた何かについても実感しています。
小学生の頃、暗譜して弾いてた曲は今でも不思議なくらいに弾けるんです。
覚えてる。
その頃に体に入ったものは、やらなくなってもずっと、40才を超えた今でも体の中に残ってるってことです。

子どもの頃に何をするのか、何をしないのか。
その積み重ねは確実にその人の中に残ります。
だからこそ、どんな子ども時代を過ごすかは一生問題で、大事です。

大人になった今、思う通りに指が動かないことを痛感しています。
頭で思っているのと違う音が出ることも、押せたと思っている鍵盤が押せないことも体感しています。
忘れちゃってたけど、そういうことが人の体には往々にして起こっています。

自分の体が思う通りにならないもどかしさ。
考えてることと違うことをしちゃうこと。
子どもたちは日々そういう気持ちで自分の体と付き合っています。
ましてや子どもたちの体は日々成長していて、昨日の足の長さと今日の足の長さが違ったりする。
大変です。

それを思い出せただけでも、ピアノ再開してよかったなと思っています。
上手く弾くにこだわらなくなったのも、大人の趣味の余裕かもしれません。
いくつになっても、挑戦するっていいものです。

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