「アメリカの大学に続け」でよいのか

 イスラエルのガザ侵攻に反対するとして行われたアメリカの大学でのキャンパス占拠が、イスラエル支持派の攻撃をうけたり、警察の強制排除にあうなどするなかで、日本でもアメリカに続いて大学を占拠したり、学生が街頭行動を起こしたりすべきだ、という意見を目にするようになってきた。
 私はもちろん、イスラエルのガザ侵攻に断固反対だし、自分にできることでその意思表示はしている。
 しかし、こうした「アメリカの大学に続け」的な意見には、違和感を覚える。それは単に、流行を追っているだけではないのだろうか。

 第一に、日本政府とアメリカ政府のこれまでとってきた立場は違う。アメリカ政府は、大統領がだれであれ、基本的に一貫してイスラエルを支持し、武器その他を供与してきた。イスラエルとパレスチナのあいだの仲介を行ったことがあるのは確かだが、だからといって「中立」ではない。
 だから、アメリカはいわばこの紛争において当事者であり、それゆえ、自国政府に対して責任をもつアメリカ市民のうち政府の政策に反対する者が、自らの立場を表明し政府に対してアクションを起こすのは当然である。
 しかし日本政府は、パレスチナ問題においてはアメリカと距離を置いてきた。ほかの外交課題ではほぼほぼアメリカに一貫して追随している日本は、石油確保の必要を背景として、イランおよびその友好国であるパレスチナ、シリアの問題についてアメリカに完全には同調してこなかった。例えば、アメリカが「反対」する国連でのイスラエル非難決議案に、日本はしばしば「棄権」している。うろ覚えだが、「賛成」したこともあったのではないだろうか。また、パレスチナに対してさまざまな援助も行ってきた。
 例えばベトナム戦争や湾岸戦争などでは、日米両政府の立場に違いはなく、また在日米軍にも動きがあった。だから日本で平和団体などがアメリカに対する抗議行動を行ったのは不自然ではないと思う。
 しかし、今回のアメリカ政府に対する行動は、直接の軍事行動に対するものではなく、政策のあり方を変えろというものである。それはなによりもアメリカ市民が要求すべきことであって、日本で日本市民が同じように主張して同じような行動をすることに、意味があるのだろうか。
 むしろ、日本政府の独自のスタンスを活かした、独自の動きを日本政府自身に求めていくことこそ、ガザ侵攻を憂慮する日本市民がやるべきことではないのだろうか。そしてそのためには、アメリカと同じ運動の形態が適切であると簡単に決めつけることはできないだろう。

 第二に、アメリカの学生の切実さと日本の学生の置かれた状況は異なる。アメリカの学生にとっては、いま現在の自国政府がやっている非道であるというのはもちろん、自分の将来にもかかわる大きな問題である。つまり、一流大学出身のエリートたちの就職先である大企業、政府、法律事務所、会計事務所、コンサル、研究機関などの多くが、イスラエル政府やイスラエルに供給する武器を生産する軍需産業などと深い利害関係がある。このままでは、自分たちも近い将来、殺人者の同盟者になる可能性が少なくないのだ。そういう切実さを、日本の学生が感じることができるだろうか。
 また、アメリカにはパレスチナを含む中東からの移民、留学生はたくさんいる。つまり、昨日教室で隣に座った同級生のきょうだいが、今日爆撃で殺されたかもしれないのである。こうした切実さも、日本の学生にはほとんどない。

 そして、すでにガザ侵攻にかかわる問題での大学への圧力はもっと早くに起こっていた。大学内でのイスラエル非難の言説を規制しないとして、3つの大学の学長が議会に喚問されたのは、もう何か月も前の話である。そのうち2人は喚問後に辞任している。ハーバード大学の学長は、このことよりも論文の剽窃のほうが問題になっていたから置くとしても、ペンシルベニア大学の学長は、有力寄付者・企業から寄付の引き上げという恫喝をうけて辞任に追い込まれたのである。この時に、日本の大学関係者のどれほどが、深刻にとりあげていたのか? 私は大学の人間ではないから、内部事情はわからない。しかし、SNSで個人的につぶやく人以外、まとまった動きが少なくとも外からはほとんど見えなかったのは確かである。

 そうした日本の大学で、アメリカの学生の動きが目立ってきたからと言って、それをまねして同じような行動をさせようというのは、私には「バスに乗り遅れるな」的な、単に流行を追ったものにしか思えないというと、厳しすぎるだろうか。今の日本では、今の日本にふさわしいアクションの起こし方があるはずだと思う。

 また、いっぽうでウクライナに対するアメリカ主導の軍事支援を支持しつつ、アメリカのイスラエルへの軍事支援を非難するというのは、それもまた「二重基準」ではないかと思う。一つの国が、一方では天使、一方では悪魔として同時に行動できるのだろうか? そうでないとすれば、ロシアのウクライナ進攻に道理がないとしても、ウクライナを支援するアメリカには当然、ロシア封じ込めなど、自国の利害にかかわる意図があると考えることになる。そうだとするならば、アメリカ主導の軍事支援に対して、少なくとももう少し慎重であってよいはずである。

 ウクライナもガザも、一刻も早く戦闘を停止させなければならない。そのために、私たちが、私たちの置かれている条件のもとで、効果的にできることを考えなければならない。そのためには、アメリカのコピーではなく、自分の頭で考える必要があるのではないだろうか。

(終)

 

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