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美容院で嘘をついていた


学生の頃、お金のない私は美容院の初回荒らしをしていた。
理由は簡単。ホットペッパーのクーポンで安いからだ。
調べてみたらこの行為は回遊魚と呼ばれることもあるらしい。
回遊魚ならいつかまた戻ってくるってこと?!
もっと他のいい呼び方があるようにも思うけどなぁ。

それはさておき、初回荒らしをする上でとても苦手なことがあった。
美容院あるあるだろうが美容師との会話である。

「何されている方ですかー?」
「学生ですー」
「何回生ですか?」
初手、なぜか毎回これである。

当時の私は理系の大学院生で、
ここで院生です、なんて言おうものなら
以降の会話がすべてテンプレートなのだ。

「院生?すごい!賢いんですね!」
「なんの勉強してるんですか?」
「え!すごい!」

これがとても苦手だった。
院生とはいえ、賢くないタイプの院生だったため、
褒められるとなんとも言えない罪悪感と気まずさが押し寄せてくる。
お世辞だと分かっていても、だ。

というわけで、嘘をつくことにした。

「ニートです」

こうすると後は簡単だ。
ここは美容師も触れてはいけないと思うんだろう。
すぐに話題は変わって、あとは趣味の話だとか、テレビの話だとかで盛り上がれば良い。

そうして私は美容院での最適解を手に入れた。

そんなある日、またもや新しく訪れた美容院。
当時まぁまぁ派手な髪色だった私は
思いつきで真っ黒にしようとカラーの予約をしていた。

そしてほんの思いつきで、
「ニートです、でもそろそろ就職しようと思って、、、」
いつもの最適解に少しのアレンジを加えたのだ。

「え!すごい!頑張りましょうね!」
美容師さんのテンションがぐんと上がった。
いつものお世辞のトーンではない。なんだか本当に褒めてくれている気がする。
私は鼻先がすこしくすぐったくなりながら胸を張った。

美容師さんは自身が就職した時の話、
自分の弟がニート気味で、心配している話。
そんな話を交えながら、でも確かに私を応援してくれた。
私も親への感謝や、初めて書いた履歴書の話、
この先への少しの不安、でもワクワクが勝っていることを話した。
美容師さんとあんなに長くお話ししたのはあれが初めてだったのかもしれない。
あの時の私は心から会話を楽しんでいた。

髪の毛のなんやかんやが終わっても、まだしばらく話し込み、そして最後は握手して別れた。
なぜか涙ぐむ美容師さんにつられて、私も涙目になりながら固く握手を交わし、名残惜しくも店を出た。

本当に素敵な日だったと思う。

あれから数年、わたしは普通に就職して大阪を出た。
あの美容師さんは元気だろうか。いつか持ちたいと言っていた自分の店には近づけたのかな。
弟さんはどうなったんだろう。

私は元気です。
しっかり就職して、頑張って生きています。
そしていつかまた会えたら謝らせてください。

あの時のあれ、ぜんぶ嘘でした。

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