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鄭栄桓vs朴ノジャ=オンライン対談   脱分断的に見るべき「慰安婦」問題   (第1日目)

韓国の日本軍’慰安婦’問題研究所が発行しているWebマガジン”キョル”から記事を翻訳してお届けします。

Webマガジン”キョル”
http://www.kyeol.kr/

原文はこちら
http://www.kyeol.kr/node/161

■対談者;鄭栄桓(チョン・ヨンファン)(写真:右)
明治学院大学教養教育センター教授。歴史学(朝鮮近現代史・在日朝鮮人史)専攻。著書に『朝鮮独立への隘路;在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局.2013年)、『忘却のための「和解」;「帝国の慰安婦」と日本の責任』(世織書房.2016年、朝鮮語版は林慶花訳『誰のための和解なのか;『帝国の慰安婦』の反歴史性』2016年、プルンヨクサ刊)などがある。

■対談者;朴露子(パク・ノジャ)(写真:左)
 朴ノジャ(ウラジミール・ティホノフ)
オスロ大学人文学部東方言語・文化研究学科教授、韓国学・東アジア学専攻。現在、韓国民族主義史、社会主義運動史、近現代仏教史、歴史学などを研究、最近は「株式会社・大韓民国」、「転換の時代」など多数の著書がある。


(編集部)韓国の日本軍“慰安婦”に関する問題提起と世論拡散は、主に韓国(南韓)の慰安婦被害者の記録中心の話になりがちだ。 しかし韓国だけでなく、朝鮮(DPRK)そして海外同胞にも日本軍"慰安婦"問題は非常に重要な問題であるに違いない。ウェブマガジン<キョル>では、"慰安婦"問題を脱分断的な角度で見て、これを大衆的議論のレベルに拡張させるため興味深い対談を企画した。  最初の対談者である鄭栄桓(チョン・ヨンファン)教授は、日本千葉県で生まれた'朝鮮籍の在日同胞3世'で、日本に帰化せず、韓国籍へも変更しなかった。 現在、明治学院大学の教授として活動している。彼は在日同胞問題だけでなく、"慰安婦"問題にも関心が高い。 代表的な著作である2016年<誰のための和解か>に、'慰安婦'被害者に対する日本政府の法的責任を否定して議論を呼んだ朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の<帝国の慰安婦>を批判する内容を盛り込んでいる。次の対談者の朴露子(パク・ノジャ)教授は、ロシア・サンクトペテルブルクで生まれた。 モスクワ国立大学で古代韓国の伽倻史に関する研究で博士号を取った彼は、"パク·ノジャ"という名前で韓国に帰化した。 現在、韓国籍でノルウェー·オスロ国立大学の教授として活動している。 '慰安婦'問題を広い視野で見つめている二人の教授を招いた対談は、時間的、物理的問題で、2月25日から27日まで3日間、オンラインで行われた。

 <第1日目> 鄭栄桓、朴ノジャ先生、こんにちは。ウェブマガジン<キョル>です。 お二人をお招きしてオンライン対談をすることになりました。光栄です。 本対談のウェブサイトは、お二方が距離的に離れ、時間差もありますが、オンライン討論できるよう設定しました。 オンライン対談は3日間行ない、一日に一つのテーマがウェブサイトに反映されます。 一日に一度このウェブサイトに接続し、各自の意見を直接入力してください。 作成した文は、時間内であれば何時でも修正できます。 それでは、質問を始めます。 現在、韓国の日本軍"慰安婦"問題提起と世論拡散は、韓国の慰安婦被害者を中心に進められています。 しかし韓国だけでなく、北朝鮮、そして海外同胞の間でも、日本軍"慰安婦"問題は重要な問題です。 それでも韓国は、韓国以外の日本軍"慰安婦"被害者問題に対して、さほど関心がないという印象を受けます。


Q1)お二人が思うに、大韓民国(南韓)で、日本軍'慰安婦'被害者問題が主に、韓国の被害者中心に行われた理由は何だと思いますか?
Q2)大韓民国(韓国)で'慰安婦'問題が、脱分断的な観点で拡大するにはどのような議論と取組が必要でしょうか?
Q3)これから<日本軍'慰安婦問題研究所>が、より多様で幅広い見方で'慰安婦'問題を扱うため、どんな過程と取組が必要ですか?


朴ノジャ
A1)国家主義ナショナリズムの影響が大きかったと思います。 国家主義ナショナリズムの枠組みの中で最初、「慰安婦」性奴隷被害者の問題は、「私たち」(すなわち、男性本位の国/国民共同体)の女性に対する日本の蹂躙というパターンで大部分理解されました。 ところが「私たち」と言う時、通常「大韓民国」の国境に確定された共同体を意味するので、さまざまな地域、国籍、そして民族に属する他の被害者たちは充分に注目を受けていないようです。 そして朴槿恵氏の時代には、「慰安婦」問題を「韓日関係」でフレーミングして、日本の国との「妥結」を模索しましたが、これは初めから間違った接近方法です。もちろん「韓日関係」に関連した問題もありますが、本質的に様々な被害者に対する戦時暴力の問題、すなわち人権問題であり、ジェンダーの問題、そして植民地的な暴力の問題です。 


A2)韓国も朝鮮(DPRK)も「慰安婦」性奴隷制の被害者が住んでいます。 北側で居住している方の場合、本籍が南韓(韓国)の方が多いですが、事実上広義の「離散家族」に属すでしょう。「慰安婦」問題が議論される時、南、北、海外を問わず、全ての犠牲者がこの議論に含まれるべきです。そして南北の「慰安婦」問題がほとんど取り上げられなかった1990年代以前にも、この問題について先駆的に言及して活動してきた総連など海外同胞団体の努力も、韓国において分断の壁を越えて正当な評価を与えたらよいと思います。 

A3)植民地朝鮮の女性たちが受けた被害が特に大きかったのは事実です。でも、全体的に見たとき、「慰安所」とは様々な地域、民族、国家出身の女性の人権を蹂躙した戦時性暴力、性奴隷化の国家犯罪です。この視点で見れば、「韓-日プリズム」だけで見ては絶対にいけません。 この問題の一次的本質は、日本国と軍隊のジェンダー的暴力行為ですが、同時に階級的側面を無視できません。 ほとんどの場合、貧農・貧民の娘こそが、一群の暴力に最も容易に晒されました。 この犯罪に対する一次責任は当然、日本国家と軍隊にあり、反人倫的な犯罪であるだけに、告訴時効は原則的にないでしょう。 ところが「慰安婦」問題を適切に調査せず、東京裁判の告訴状に入れなかった連合国(特に米国)の戦後処理の過程での責任遺棄について、韓日国交交渉の過程で、この問題をほとんど言及しなかった大韓民国当局の態度に対して、問題提起できると考えます。


鄭栄桓
A1)この問題を検討する際、日本軍"慰安婦"問題の真相究明と過去清算のための市民運動と、一般世論、マスコミ、政界の動向は、区別して扱う必要があるようです。 1980年代に始まった市民運動は、比較的早くから'韓国'という枠を越えて、在日朝鮮人や日本人、中国、東南アジア、ヨーロッパ、そして朝鮮民主主義人民共和国の被害者や活動家たちとの連帯を成し遂げてきました。 日本軍'慰安婦'問題の解決運動はこう見ると、当初から南中心的な思考を脱して国境を越えた女性たちの連帯としての性格を持っていたし、北側の被害者との出会いも1990年代には行われました。 その試みの一つの到達点が、日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷(女性国際戦犯法廷)と言えるでしょう。 もちろんこのような試みを可能にした背景には、1980年代以降の韓国の女性解放運動の熾烈かつ創造的な闘争があり、特にこの運動が脱分断的な視点を持っていたのは重要だと思います。 現在、日本軍"慰安婦"問題の解決運動は、地域的·空間的に韓国の枠を越え、日本軍の性暴力被害を受けた各地域の当事者や支援者、活動家と関係を結んで経験を交換し、共に日本軍の責任を追及するだけでなく、韓国軍のベトナム参戦やコンゴ内戦時の戦時性暴力被害者との連帯もしており、時間的な制限を超えて普遍的な戦時性暴力問題の解決のための運動の大きな動力になっていると思います。 従って問題は、こうした解決運動が作り上げた国家的な枠を越えた連帯の成果が、韓国の大衆的なメディアや政界で再現される時、"韓国被害者中心"的な見方へと転換されることにあるでしょう。 私は日本に居住して日常的に韓国で生活していないので、生活感覚的として知るのは難しいですが、テレビ、新聞、雑誌で扱われる日本軍"慰安婦"問題が、質問のとおり"南韓の被害者中心"的なのは事実だと思います。 こうした視点が生まれた原因は、朴ノジャ先生が指摘されたように、韓国の国家主義的ナショナリズムが作用した結果とみることができるでしょう。 ところでもっと歴史的な段階を区分して検討すれば、ここで問題になるのは1948年以来の反共主義的なナショナリズムが直接作用した結果だけでなく、(もちろん、反共主義を除いて韓国の'分断的な見方'の問題を把握することはできませんが)1987年の民主化後のナショナリズムが持っている制限性と問題点(1987年体制が持つ'分断的な見方')をまな板に載せなければならないようです。 この問題はQ2と関連があることに後で再論します。


A2.)"脱分断的視点"とは何かについて概念を整理·共有しながら議論をしなければならないようです。 ウェブマガジン<キョル>編集側では '分断的視覚'を、朝鮮(DPRK)や在外同胞の存在に背を向けて、韓国の被害者中心的にこの問題を見つめる視点と定義されていると私は受け止めました。 この概念を前提として私の意見を申し上げれば、まず韓国と日本の関係に制限された認識の枠組みが形成された背景には、ナショナリズムが働いただけでなく(これは原因ではなく、一つの結果だと思います)、第2次世界大戦後の世界秩序、特に東アジアでは冷戦体制の甚大な影響があると思います。 日本の戦争/植民地支配の責任問題を連合軍は扱っていません。 刑事的な責任(東京裁判)も民事的な責任(賠償請求権)も、南北(韓)は否定されました。 1948年の分断以来、朝鮮民主主義人民共和国は対日講和の枠から排除され、韓国もまた講和会議に参加できないまま、米国の覇権下の従属的な立場で韓日会談を始めるようになります(1948年、1952年体制)。 そのため植民地支配問題は、当初から"請求権問題"に換骨奪胎され、"被害に対する補償"ではなく、"財産の返還"という枠組みでのみ議論が進みました。 1965年にはこの結果、韓日条約と各協定が結ばれるようになります。 つまり1965年体制の形成です。 1965年体制は二つの議論を'封印'した体制でした。 第一は、日本の植民地支配の被害論議の"封印"。第二は、南北の平和と統一のための対話の"封印"です。 つまり、米国が日本という"クサビ"を植民地の被害者と政府、そして南北の間に打込んだ体制です。 日本軍'慰安婦'問題が依然として'分断的な見方'に留まっている背景には、このように戦後体制が作り出した多層的に絡み合った体制—1948、1952、1965年体制が、韓国で植民地の被害問題を見つめる上で、認識の枠組みに影響を与えているためだと思います。 つまり、この問題は南韓の対内的な国家主義的ナショナリズムの問題でありながらも、位階的な国際関係である戦後体制に問題があるのです。 1987年の民主化後、1965年体制に対する再審が行われていますが、依然として1948年体制は強固です。 2018年10月30日の新日鉄住金に対して(韓国)最高裁が下した画期的な<損害賠償判決>は、1965年体制に対する貴重な内容だった反面、原告の中に戦争末期に清津の製鉄所で強制労働をさせられた被害者が含まれているのにもかかわらず、北側の地域で起きた植民地支配下の被害と補償に関する争点は、これは大韓民国の憲法を前提としていることに当然のことではあるですが、議論が出来ていません。 だからこのような戦後体制を根源的に問う議論が必要だと思います。 脱分断的観点に拡張するために必要なことを一つ述べるなら、反植民地主義·反帝国主義·フェミニズム的視点の結合が決定的に重要と考えます。 私はもともと在日朝鮮人史研究から始まりましたが、<帝国の慰安婦>事態を取り巻く論議に拘わって、日本軍‘慰安婦’問題の論争に参加しました。その過程で深刻な問題と感じたのは、特に日本において主流のフェミニズムの視点から、反植民地主義的観点をほとんど見出すことができないことでした。 脱民族主義/個人主義/自由主義的から韓国の論争をながめる見方の人々が、少女像批判と<帝国の慰安婦>擁護に合流しました。 韓国の場合も反植民地主義は民族主義と同一の概念に誤解される傾向があるようです。 しかし、植民地主義がもたらす抑圧は、被支配者を民族的に排除すると同時に、階級、ジェンダー的なレベルでの分断を利用して増幅させます。 日本帝国主義とは、近代世界が生んだ負の側面を勤勉に習得し、その暴力性が全面的に現れた制度が日本軍性奴隷制度であっただけに、私達の観点を拡張するため、反植民地主義に対する検討を深める必要があると思います。 女性人権の普遍性という価値は、反植民地主義と反帝国主義的観点に結合する時、初めてその真価を発揮できると信じます。

A3.)先ほど述べたように、これまでの解決運動は既に"脱分断的観点"に立脚し、多くの実践を成し遂げたと思います。 重ねて強調しますが、既に運動は"多様で幅広い観点"を持っていたのです。 今もそのような実践は続いています。 在日同胞たちもそうです.その実践に学んで、'外交的'レベルに解消されない当事者と活動家、研究者の経験と研究を蓄積して歴史化していく作業が必要だと思います. <2000年の法廷>で学びながら、日本軍の蛮行と責任をさらに体系的に明らかにして、南北の交流を通じて以北の被害者や遺族たちの証言収集と経験交流がされればと思います。 また、世界の植民地主義下の戦時性暴力の真相究明のために実践する活動家や研究者を結ぶ拠点になることを期待します。<第2日目>に続く



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