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鄭栄桓vs朴ノジャ=オンライン対談   脱分断的に見るべき'慰安婦'問題   (第2日目)

韓国の日本軍’慰安婦’問題研究所が発行しているWebマガジン”キョル”から記事を翻訳してお届けします。

Webマガジン”キョル”
http://www.kyeol.kr/

原文はこちら
http://www.kyeol.kr/node/162

■対談者;鄭栄桓(チョン・ヨンファン)(写真:右)
明治学院大学教養教育センター教授。歴史学(朝鮮近現代史・在日朝鮮人史)専攻。著書に『朝鮮独立への隘路;在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局.2013年)、『忘却のための「和解」;「帝国の慰安婦」と日本の責任』(世織書房.2016年、朝鮮語版は林慶花訳『誰のための和解なのか;『帝国の慰安婦』の反歴史性』2016年、プルンヨクサ刊)などがある。

■対談者;朴露子(パク・ノジャ)(写真:左)
 朴ノジャ(ウラジミール・ティホノフ)
オスロ大学人文学部東方言語・文化研究学科教授、韓国学・東アジア学専攻。現在、韓国民族主義史、社会主義運動史、近現代仏教史、歴史学などを研究、最近は「株式会社・大韓民国」、「転換の時代」など多数の著書がある。

 第1日目の論議を見て、'脱分断的な見方'という言葉から、'慰安婦'問題を見る南韓の'分断的な観点'が込められているようです。 既に総連を含む海外同胞団体などで"多様で幅広い視角"を持って運動や研究方面で多くの活動をしていたにもかかわらず、韓国の主流マスコミがこれを扱わなかったのは、深く反省しなければならないようです。

 問題は現在でも依然として"慰安婦"問題が政治的な目的のために動員される方式で消費されている点です。 日本国内で出版される嫌韓書籍で"慰安婦"は、ヘイトスピーチの定番素材です。 日本とは脈絡が違いますが、南韓も同様に"慰安婦"問題を手段として利用します。 例えば韓国の言論では、誰かの過去の過ちに対して反省や責任を求める時、"慰安婦"問題を反省しない日本"を例えにします。ヘイトスピーチとはかなり違うものですが、ある論理を作るために"慰安婦"問題を使っている点では類似点があると思います。 結果として、"多様で幅広い視点"で"慰安婦"問題を扱う運動や研究が多かったにもかかわらず、依然として韓国では"慰安婦"問題に対する感情的対応が主を占めていました。 このような状況の大衆レベルで、"韓日プリズム"を脱して、多様な側面で"慰安婦"問題を見るのは非常に難しいことです。



Q1)お二方が考えでは、'韓日プリズム'を離れ、様々な側面から'慰安婦'問題を見つめるために、運動的側面でどのような実践が必要だと思いますか? 
あるいは水曜集会や少女像プロジェクトなどに代表される韓国の大衆的キャンペーンがより幅広い視点を獲得するには、どのようなことが補強されるべきでしょうか?



Q2)次に、互いに質問していただきます。
本対談のテーマについて、
鄭栄桓先生が朴ノジャ先生に聞きたいことは何ですか?
朴ノジャ先生が鄭栄桓先生に問いたいのは何ですか?


朴ノジャ


A1)鄭栄桓先生が立派に指摘したとおり、あえて運動陣営にはこれと言った"注文"をすることはありません。 初期は必ずしもそうではありませんでしたが、今の場合、活動家たちはすでに"慰安婦"問題を普遍的な戦時性暴力問題の一環として認識し、連帯活動を展開しています。 特に私が思うに、貴重なのは、最近亡くなった金福童さんのように、"慰安婦"性奴隷被害者たちが、ベトナムでの韓国軍性暴力被害者たちと手を握って連帯したことでした。 同時に、コンゴなどでの戦時性的暴力被害者との連帯を強化することも、( 鄭栄桓先生が書いたように)貴重なものです。

 問題は、鄭栄桓先生がおっしゃる通り、何よりもメディアと教育システム、そしてさらには政界です。 メディアは、例えば中国やフィリピン、あるいはパプアニューギニアの女性たちが拉致、監禁され、性奴隷化された話を果たして韓国読者に頻繁に報道するでしょうか?
おそらく多くの韓国人は、"慰安婦"被害者の中にはオランダ、インド、パプアニューギニア出身の女性もいた事実を全く知らないかも知れません。 教科書でも、"慰安婦"戦争犯罪の国際的性格や世界的規模などについて、詳しく記述されていません。 そして、日本の国家的な責任を問うのは当然ですが、同時に韓国の政界は、ベトナム戦争時代の韓国軍性暴力被害者に対しても当然責任を尽くさなくてはなりません。 具体的には、少なくとも大統領、国会レベルで謝罪、賠償し、教科書において韓国戦争時代の韓国軍犯罪像を正確に記述して再発防止措置を取るなど、日本が具体的に"どのように"反省すべきかを行動で示したらと思います。



鄭栄桓


A1)日本で生活して研究や活動をする私には、簡単には答え難い質問です. 韓国で日本軍"慰安婦"問題を扱う方式が画一的で政治的に利用されているという認識は、日本のリベラルたちがこの問題を見つめる視点と似ているからです。 私は嫌韓と反日、特に日本軍"慰安婦"問題に対する批判的接近を、同じとする見解には同意できません。 韓国社会がこれまで"慰安婦"問題について持続的、かつ大衆的な関心を持ってきたのは事実であり、それ自体はこの問題の解決に向けて肯定的な役割を果たしてきたと考えています。

 その点を踏まえて質問に答えるなら、韓国での大衆的キャンペーンが国内用に終わってはならないと思います。 金学順ハルモニが最初に証言をした時からそうだったように、この問題は根本的には日本問題です。 被害者の出身地域は多様で被害の様相もそうです。しかし共通しているのは、すべての被害者が日本軍、正確に言えば"天皇の軍隊の侵略戦争遂行のための性奴隷制被害者"だったという事実です。 その意味で、被害者の治癒と経験の共有や多様な文化的再現など、韓国内での試みは貴重ではあるものの、同時に日本政府がこの問題に対する責任をどのように負うのか、今後どのような教育をしていくのか、そして日本人が自身の国の過去の蛮行を直視して記憶していくのか、これが"解決"のための必須の争点になります。

 
さらに、Q1)の前提となった部分について補足説明をしますと、総連を含めた在日同胞団体も依然として日本軍'慰安婦'問題は、主な運動課題にはなっていません。 総連内部の文化も、ジェンダー平等、ジェンダー正義の観点から見ると、かなり多くの問題を持っています。そのような在日朝鮮人運動内部のジェンダー不平等を克服しようとする(主に女性の)活動家たちが、"慰安婦"問題に関しても進んで"多様で幅広い観点"に立脚した実践を始めているという説明が正確だと思います。

 最近、毎年4月23日にはペ・ボンギ(裵奉奇)ハルモニの証言を記念して若い在日同胞たちが日本軍'慰安婦'問題に関する多様なアクションを行なっています。これはその代表的な事例です。この日は、1977年に裵奉奇ハルモニの証言を朝鮮総連の機関紙<朝鮮新報>が初めて報道した日です。韓国に限られた視角では見えなかった"記念日"だと言えるでしょう。 1970年代の分断と対立が激しかった時期は、韓国でこの証言をそのまま受けて、その意味を共有するのは想像もできなかったはずです。このような分断と反共主義的見解によって、韓国社会が背を向けてきた解放後の歴史を問い直す作業が必要です。

Q)朴ノジャが鄭栄桓に尋ねる

 鄭栄桓先生に伺いたいのは、果たして日本社会における戦争犯罪問題に対する大衆的認識が、今どうなっているか言って下されば幸いです。 まず、一般国民が植民地主義と戦争の事実をどこまで認識していますか? 若い日本人の多くが朝鮮と台湾が日本の植民地だったという事実さえ学べないという話を何度も聞きました。この大衆的"知識"の状況について伺います。 

 



A)鄭栄桓が朴ノジャに答える 

 朴ノジャ先生、重要な質問を有難うございます。 私が一番関心を持っている主題で、またとても憂慮している点でもあります。 先生のおっしゃった通り若い日本人が日本の植民地主義と侵略戦争に関する知識を学ぶ機会は多くありません。 もともと受験の関係上、比重が高くない近現代史は授業で勉強しないことが多かったのです。加えて教科書の内容も、1980年代から90年代に加害の事実を学校教育で教えるべきという機運が一時あったものの、1997年以降の極右派の逆攻勢の結果、日本軍'慰安婦'問題を含めた加害事実の記述は大幅に減少しました。それで少なくない学生たちが、近現代史について、ほとんど白紙状態で学校を離れることになります。

 
私は大学で主に1、2年生に接する機会が多いのですが、植民地支配や侵略戦争の事実自体を知らない学生がいます。 それでもっと心配なのは、書店やインターネットには'嫌韓'や'嫌中'の書籍が溢れ、青年たちが近現代史に関心を持っても、初めに接する情報が植民地主義的観点から書かれた大衆歴史書になるという事実です。 すべての学生が最初から"嫌韓"的な認識を持っているわけではなく、日本の加害事実について知りたい学生もいるのですが、そのような若者がきちんとした情報に接するルートが狭すぎるというのが問題だと思います。

 ところでこのような若年層を含む日本大衆の"知"の形態を考えると、どのような事実を知っているのかも大切ですが、それとともに事実を認識する枠組みをメディアがどのような形で提供しているのかにもっと注目しなければならないようです。 現在、テレビなどのマスメディアは、基本的に"親日·反日"の枠組みで対外関係を解釈するメッセージを重ねて提供しています。 日本文化や日本人が外国でどんなに歓迎されているのか、日本を訪れる外国人観光客(主に欧米出身者)が日本をどれほど愛しているのかなど、いわゆる日本"スゴイ"の大合唱が行われています。

 
他方、侵略や加害の事実を直視する批判は、政治的意図を持って日本を"嫌悪"する"反日"と表現されます。 昨年2018年10月の強制徴用問題に関する最高裁の判決に対する反応にも現れるように、日本社会の戦争犯罪問題に関する認識は、反省どころかむしろ批判的な声に対する反発が優勢です。 大法院判決直後、安倍首相は"国際法上ありえない判決だ"というコメントを残しましたが、主流メディアは基本的にこの主張に同調しました。 1965年の韓日協定で最終的に'解決'になったが韓国が、この約束を違え、この判決は、韓日関係の悪化を招くという分析がTVや新聞で繰り返されました。 '反日'韓国のせいで外交関係が悪化するばかりという主張です。

 この"親日/反日"フレームはかなり強力です。 主流メディアの認識に批判的な立場を取る人々も、そのため"メディア報道と違い、韓国は"反日"ではない"という反論をするようになります。 つまり、この枠組みだけを批判し、日本に対する批判の声を直視できないのです。 否定的な側面を強調していると思われるかも知れませんが、私からすれば憂慮を禁じえないのが今の日本の現実です。

Q)鄭栄桓が朴ノジャに尋ねる

 今回の対談では、主に'分断/脱分断'がテーマになっていますが、私は朴ノジャ先生に、違った角度で質問させていただきます。 つまり、韓国資本主義と日本軍"慰安婦"問題に関する質問です。 韓国の主流社会の"慰安婦"問題を見る方式に問題があるなら、階級的観点の不在という問題を提起できるのではないかと思います。 "民族"論の枠内で"慰安婦"問題を論議するなら、ジェンダー的観点と一緒に階級的観点が欠如するしかないでしょう。 韓国資本主義下の外国人労働者を含んだ性的搾取の構造や、売春"文化"と日本軍"慰安婦"の論議方式には関連性があるようです。朴ノジャ先生はどのように分析されますか?
また、これを克服するため、どのようなアプローチが必要だと思いますか?



A)朴ノジャが鄭栄桓に答える

 鄭栄桓先生、これについて私もよく考えます。 多くの韓国の知識人が"民族主義が問題だ"と断言しますが、実は"民族主義"という概念はあまりにも多義的なので、そう話す時には正確に"どのような"民族主義が"どのように"問題になるのかを明確にすることが重要です。 植民地というトラウマを抱えるのも"民族主義"とあれこれ縺れる所ですが、植民地に対する集団トラウマを"問題"にするのは無意味だと思います。 植民母国が過去に対する"責任"をまったく負わず、韓国の支配層が長く植民地的習性をそのまま固守してきたことが大きく、そのトラウマが大きくなるのは自然で不可避なことに過ぎません。 本当の問題、それも非常に大きな問題になる民族主義の種類は、まさに自国優越主義的な態度と国家主義的な態度、いわゆる"国益主義"や"大韓民国主義"のような現象です。 "韓国的な状況ではこのような現象が韓国資本の浸透している地域、特に東南アジアに対する悪質で優越主義的な態度とも不可分の関係を持ちます。

 "世界体制という'食物連鎖'で韓国資本は、すでに'準核心部'に上がっています。 欧米圏の資本が、韓国の金融圏などを左右すると同時に、韓国の資本が東南アジアなどで低賃金労働・搾取の現場で熱心に奔走し、韓国のマスコミが"国益"のためのベトナム、カンボジア、バングラデシュの労働者に対する無慈悲な搾取を正当化、当然視します。 "進歩的マスコミ"さえも、ミャンマーなどでの韓国の土建資本による利権獲得などを喜んでいます。 韓国資本とともに各種のセックス観光などの国内の家父長的な醜態が大量輸出され、韓国マスコミでは韓国人家族の"嫁"役となり、韓国男性たちの性的欲求を"解決"してくれる東南アジアの女性像がしょっちゅう登場します。 "ベトナム娘と結婚しませんか。絶対に逃げません"という横断幕が10年前まで国内の随所で確認できました。このような亜流帝国主義とも言える雰囲気の中では、東南アジアやパプアニューギニアなどの性奴隷の悲劇は、自然に大衆の耳目から遠ざかります。つまり、韓国資本が欧米圏と日本資本の後を懸命に追う状況では、韓国人の"第3世界"との連帯意識などが希薄になり続けています。本当に絶えず国内世論へ問題提起しなければならない重要な側面です。

 



<第3日目>に続く

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