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僕が写真を撮る理由


「この景色をみんなにも見てほしい」


きっかけは宿での会話

ある時出会った人と話していて気づいたことがある。

それは写真の話題になった時。
彼は長い間旅をしていて僕と同じように写真を撮っていた。
しかしある時から動画の方に移行し今はGoProで動画のみを撮っているというのだ。

理由を聞くと、動画の方がはるかに情報量が多く見る人によりリアルを伝えられるから。
写真はその一枚を撮るまでに長い時間がかかると。

実を言うと、僕も最近動画を残すことの重要性を感じ始め、写真と同様動画もできる限り撮ろうと意識するようになった。
その理由は彼と同じで、動画には写真には残せないリアリティがあるからだ。
だから僕は彼の意見に反論するどころか賛成である。

しかしながら僕は未だに動画よりは写真の方に重きを置いている。
そこでひかかったのが、写真はその一枚を撮るまでに長い時間がかかるというところだ。

僕が撮るのは一瞬の感動

確かに、狙っている一枚を撮るために何十枚、何百枚と何時間もかけて撮ることもあるだろう。

でも僕はあまりそういう撮り方はしたことがないなと気づいた。
あまり多くは撮らず、長くは待たず、その時の一瞬を捉えてまた動く。
僕はその時々の偶然も含めた一瞬の美しさや感動を撮るのが好きなんだなと気づいた。

もう一つのエピソードがある。
僕が旅をしていて一人で写真を撮っていると、「(あなたの)写真撮りましょうか?」と言ってもらえることがよくある。
僕はたいていの場合断るのだが、ある時その理由にはたと気づいた。

僕は、「いま、自分が目にしている景色とその感動を写真に収めていろんな人に伝えたいんだ」と。

自分が見ている景色の中に自分がいるはずもない。
僕がそもそもカメラに向かって笑ったり(特に一人で)撮られたりすることが得意ではないということもあるかも知れないが。
その景色の中にいる自分が見たいわけでも、そこにいたと言う証としての写真がほしいわけでもなく、僕はただ、今まさに目の当たりにしている景色と感動をみんなと共有したいんだ、ということに気づいた。

僕が今の一眼レフを手に入れてから三年、本格的に写真を撮り始めてから二年が経ってようやく、自分の写真に対する意識を言語化することができた。

ちなみにこれは特に僕が主に撮る景色や風景写真について言えることで、人物写真や動画に関しては少し違う意識がある。

機会は少ないが僕もたまに人物写真を撮ることがある。
その時の僕の意識は「記録」にあると感じている。
同じことが動画を残すことにも言えて、僕が人をメインとした写真や動画を撮る理由は、記録を残すためだ。

僕が写真を撮る理由

「僕が見ているこの景色とこの感動をみんなにも伝えたい」

それが僕が写真を撮る理由。

僕の写真を見て感動してくれたり、この景色を自分も見てみたいと思ってくれたり、はたまた実際に行ってくれたりしたら、僕はすごく嬉しい。

それは、僕の気持ちが写真を通してあなたに伝わったということだから。


アイキャッチ画像:京都・鴨川にて 2016.10.22.


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