企業論
Chapter 1「アメリカはベンチャー企業の天国ではない」
(1)アメリカは1970年代以降、低い生産性が続いており、「大停滞」と呼ぶべき状況にある(経済学者タイラー・コーエン)。画期的なイノベーションも起きなくなっており(経済学者ロバート・ゴードン)、IT革命もそれほど大きなインパクトを持つものではなかった。
⇒第一次産業革命(蒸気機関、紡績機、鉄道/1750年~1830年)、第二次産業革命(電気、内燃機関、上下水道/1870年~1900年)は経済や生活を一変させる効果を持ち、長く生産性の向上に寄与した。特に第二次産業革命の効果は、1970年頃まで持続した。しかし、第三次産業革命(コンピュータ、インターネット)は1990年代半ばにピークに達したが、生産性の向上に与える効果はわずか8年間しか続かなかった。2000年以降の様々な情報通信技術は、ほとんどが通信と娯楽に関するもので、生活水準を大きく変えるものではなかった(経済学者ロバート・ゴードン)。
(2)アメリカの開業率は低下し続けており、この30年間で半減している(U.S.Census Bureau, Business Dynamics Statistics)。100年前のアメリカの方が現在よりもベンチャー大国であった(スコット・シェーン『〈起業〉という幻想』)。
⇒開業率は1980年代半ばから低下傾向にあり、2009年以降の開業率は1977年の約半分にまで減り、2010年前後には開業率よりも廃業率の方が上回っている。
⇒1980年代以降、アメリカの自営業の比率は下がり続けており、1990年代以降は急激に下がり続けている。これは長期的傾向であり、2004年の自営業の比率は、1948年の6割以下しかない。アメリカの人口に占める起業家の比率は、1910年の方が現在よりも高い。
(3)1990年代はIT革命にもかかわらず、30歳以下の企業家の比率は低下、停滞しており、特に2010年代以降は激減している(『ウォール・ストリート・ジャーナル』)。
⇒30歳の以下の起業家の比率は、IT革命以前の方が高く、アメリカではIT革命で若く有能な起業家が生まれているというイメージは間違いである。
(4)一般的に先進国よりも開発途上国の方が起業家の比率が高い傾向にある。例えば、生産年齢人口に占める起業家の比率は、ペルー、ウガンダ、エクアドル、ベネズエラはアメリカの2倍以上である。日本の開業率も、高度経済成長期には現在よりもはるかに高かった(『中小企業白書2002年度版』)。
⇒一般に先進国よりも開発途上国の方が、起業家の比率が高い。OECD諸国の中でアメリカの自営業の比率はむしろ低い部類に属しており、日本ですらアメリカを上回っている。
(5)アメリカの典型的なベンチャー企業は、イノベーティブなハイテク企業ではなく、パフォーマンスは良くない。起業家に多いのは若者よりも中年男性である(スコット・シェーン『〈起業〉という幻想』)。
⇒アメリカではハイテク産業ではなく、建設業や小売業といった一般的な産業で開業する傾向が強い。企業の寿命が長くなるほど、パフォーマンスは改善していく。「人の下で働きたくないので企業をしたのであって、急成長する会社を起こそうとしているのではなく、日々の生計を立てようとしている40代の既婚の白人男性」というのが、アメリカの典型的な起業家像である。
(6)ベンチャー企業の平均寿命は5年以下である。うまく軌道にのるベンチャー企業は全体の3分の1程度である(スコット・シェーン『〈起業〉という幻想』)。
(7)スタートアップ企業は雇用をあまり創出しない。創業から10年以上の企業で働く労働者は全体の60%になるのに対し、創業から2年以内の企業で働く労働者は全体の1%に過ぎない(スコット・シェーン『〈起業〉という幻想』)。
Chapter 2「アメリカのハイテク・ベンチャー企業を育てたのは、もっぱら政府の強力な軍事産業育成政策である」(政治経済学者リンダ・ウェイス)
(1)シリコンバレーは軍需産業の集積地である。
⇒シリコンバレーはアメリカ経済の自由市場のダイナミズムの産物ではなく、アメリカ政府による軍事目的の産業政策によって形成された。1980年代のシリコンバレーには、ミサイル、衛星、軍事関連、宇宙関連の電子技術に関わる企業が多数立地していた。これらの軍需関連産業は、その収入の多くを防衛関連の政府契約に依存していた。
(2)アメリカ政府は軍事産業の育成の一環として、ハイテク・ベンチャー企業に対し、公的な資金援助を行ってきた。
⇒1950年代後半にはハイテク・ベンチャー企業を支援するために、SBIC(Small Business Investment Company)が創設された。当時は冷戦初期で米ソの緊張関係が高まっていた時期であり、「スプートニク・ショック」に対応して、アメリカの技術的優位を回復するために、技術政策を強化するための一環であった。
1982年にはベンチャー企業によるハイリスクな初期段階の技術開発に対して、資金を供給するプログラムとしてSBIR(Small Business Innovation Research)が創設された。ヴェトナム戦争の敗北、第四次中東戦争、イラン革命、アフガニスタンに対するソ連の介入により、安全保障上の危機感が高まり、日本企業はハイテク市場を席巻していた時期であり、安全保障上も重要なハイテク産業を振興するための政策の一環であった。SBIRの資金は全てハイリスクな初期段階の技術開発に振り向けられた。
(3)ITはハイテク・ベンチャーの隆盛をもたらしたが、そのITはインターネットを始めとして、軍事産業から生まれたものである。
⇒デジタル式コンピュータ、トランジスタは軍の資金提供を受けており、インターネットの開発と実用化において、アメリカの国防総省が主導的な役割を果たした。
アイフォンに内蔵されたGPS、タッチ・スクリーン・ディスプレイなどの新しい技術は国家による開発に由来している。
グーグルの開発者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが初めて起業した際、国防総省の支援を受けており、2005年のロボット自動車競走の際は国防総省から賞を得ていた。
アメリカの政府調達はIT関連企業に巨大な需要を提供することで、ITの開発や普及の促進策となっている。アマゾンは600を超える政府機関にクラウドサービスを販売し、CIAと6億ドルの契約を結んでいる。
2013年、アメリカ国家安全保障局で諜報活動に従事していたエドワード・スノーデンが、アメリカ政府がIT企業の協力を得て、個人情報を収集していることを暴露して、大問題となった。その後、ヤフーがアメリカ政府の情報機関の要請を受けて、全受信メールを監視していたと報じられた。
アメリカのIT企業は国家の安全保障と密接な相互依存関係にある。当然の帰結として、アメリカの政府機関とIT産業は人材面において往来があり、この慣行は「回転ドア」と呼ばれている。
(4)ベンチャー・キャピタルというビジネス・モデルは軍に由来する。
⇒アメリカ最初のベンチャー・キャピタルとされるのは、1946年に軍事技術を民間転用することを目的にボストンで設立されたARD(American Research and Development)である。創設者のジョージ・ドリオは「ベンチャー・キャピタルの父」と呼ばれており、戦時中に資源動員を担当した軍人であった。彼は戦時動員の経験や人脈を活かして、ARDを運営した。
シリコンバレーにおける最初のベンチャー・キャピタルは、1959年に設立されたドレイパー・ゲイサー・アンド・アンダーソンであるが、三人の創設者のうち、ウィリアム・H・ドレイパー・Jr.とフレデリック・L・アンダーソンは、アメリカ陸軍の元将軍であった。もう一人のH・ローワン・ゲイサーは元フォード財団の理事長で、アイゼンハワー大統領にスプートニク・ショックに対する極秘レポートを提出した人物であった。
Chapter 3「イノベーションは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係から生まれる」
(1)イノベーションを起こすには、そのための資源動員を正当化する理由が必要になるが、そうした理由を共有できるのは、共同体的な組織や長期的に持続する人間関係である。
⇒大企業では組織メンバーがいつも一緒に働いているので、イノベーションの推進者がもつイノベーションの理由に関する情報、知識、信念を共有したり、共感することが容易な環境になる。
ベンチャー企業の場合は、普段から情報、知識、信念を共有していない組織外部の他者に対して、自分のアイディアを説得しなければならない。イノベーションは結果を事前に説明することが難しく、説得は困難を極める(武石彰・青島矢一・軽部大『イノベーションの理由―資源動員の創造的正当化―』)。
(2)イノベーションの推進力になるのは、営利目的を超えた組織固有の価値観である。
⇒イノベーションとは、期待できる成果を事前に計算できないものなので、イノベーションを正当化する理由は利益計算によって示すことは、非常に困難である。しかし、もしイノベーションの推進者が、所属する組織内で共有された価値観を理由とすることができれば、期待される利益の計算において多少劣っていたとしても、社内を説得し、資源動員が可能となる(武石彰・青島矢一・軽部大『イノベーションの理由―資源動員の創造的正当化―』)。
(3)イノベーションを推進する最大・最強の企業は国家である。
⇒イノベーションは確率論で計算不可能な不確実性に直面している。イノベーションが画期的であるほど不確実性は高まり、民間主体は失敗のリスクを負うことが難しくなる。どのような企業であっても、営利組織である以上、負担できるリスクには限界がある。
世界を一変させるような画期的なイノベーションのリスクを担うことができる最大・最強の起業家が国家である(技術政策研究者マリアナ・マッツカート)。国家は営利を目的とはせず、公共的な価値を追求する主体なので、経済合理性を超えたイノベーションの理由を豊富に持っている。国家は膨大な予算と人的資源を持っているので、民間企業では経済性の限界から挑戦することができない技術開発も着手することができる。
鉄道、原子力発電、航空機、人工衛星、インターネット、ナノテクノロジー、医薬品、バイオテクノロジーといった画期的な技術は、国家自身による研究開発や国家の支援で生み出された。
Chapter 4「アメリカは1980年代以降の新自由主義的な改革により金融化やグローバル化が進んだ結果、この40年間、生産性は鈍化し、画期的なイノベーションが起こることはなくなる「大停滞」に陥っている」
(1)金融化は企業の短期主義を助長し、長期的な研究開発投資を忌避する傾向を強めた。
◆長期の競争 成果が出るまでに時間がかかるイノベーションにおける競争。イノベーションが成功すれば、収益性も向上するので長期的な収益性の競争ともいえる。
◆短期の競争 収益性の競争と言える。イノベーションは短期では生まれないため、短期の競争にはイノベーションの競争は存在しない。
⇒企業は巨額の研究開発投資や労働者の教育訓練のための投資を圧縮することで、その年の収益性を向上させることができる。この場合、企業は短期の競争には勝利するが、研究開発を怠り、労働者の教育訓練を怠れば、企業の生産性向上の能力は確実に弱体化し、イノベーションを生み出せなくなり、長期的には競争に敗北することになる。
(2)金融化により、ベンチャー・キャピタルは投機により短期的な利益を狙うようになり、リスク・マネーを供給する主体ではなくなった。
⇒1970年代までアメリカの労働者年金基金は、ベンチャー・キャピタルへの投資は消極的であったが、年金基金の運用者が基金の5%までであれば、ベンチャー・キャピタル・ファンドのようなリスクの高い資産に投資することが可能となった。年金基金の運用額は莫大なもので、大量の資金がベンチャー・キャピタルへと流入し、未公開株式の投資信託のファンドのような存在に変質した(原丈人『増補 21世紀の国富論』)。
(3)グローバリゼーションは、人材や技術のアウトソーシング(オフショアリング)に拍車をかけ、アメリカのイノベーションを生み出す力は空洞化した。
⇒ITの発達により、会計、コンピュータのプログラミング、建築設計、エンジニアリングといった国内にとどまっていたサービス産業までもが、電磁媒体を通じて海外に移転できるようになり、生産・開発を海外委託するオフショアリングが可能な領域は一挙に拡大した。
⇒オフショアリングにより、アメリカから海外へ流出する雇用は3000万人に達する可能性があるなど、アメリカの産業構造に深刻な影響を及ぼしており(経済学者アラン・ブラインダー)、オフショアリングが先進国の労働者を窮乏化させている。
⇒オフショアリングやアウトソーシングが経済停滞の原因であることは優れた経済学者たちによって指摘されている。
良質で中程度のレベルの仕事がグローバリゼーションと他国へのアウトソーシングにより次第に消滅していった(経済学者ロバート・ゴードン)。技術的イノベーションが生活水準を向上させた昔とは違い、アウトソーシングから得られる大きな利益は国内の生産技術の研究開発への再投資に向かわなくなった(経済学者ポール・デイヴィッドソン)。国内の生産性の向上へと発展させる製造業の能力がオフショアリングにより失われているため、軍事関連の研究開発から画期的な民生技術が派生したとしても、イノベーションにつながらなくなっている(政治経済学者リンダ・ウェイス)。
(4)オープン・イノベーションは、企業の短期主義の結果であり、イノベーションを阻害している。
⇒オープン・イノベーションは必要な技術や人材を世界中で最も安いところから調達することで、コストや時間を大幅に節約する。そのため、オープン・イノベーションを採用する企業の利益率は自前主義に固執する企業よりも高くなり、株主への配当や株価も高くなる。しかし、企業はオープン・イノベーションを活用し、外部の技術や人材に依存するほど、自社内でイノベーションを生み出す力を衰退させる。
(5)短期的な利益追求はイノベーションを阻害するが、アメリカのビジネススクールは、短期的な利益率の向上ばかり考えている。
⇒企業は利益ばかりを追求するようになったことで、イノベーションに挑戦しなくなってしまった(クレイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ』)。企業は利益を追求する組織ではあり、企業は市場における利潤追求の競争を通じて、画期的なイノベーションを生み出すというのが通俗観念であるが、利益の追求を至上目的とすると、イノベーションはかえって起きにくくなる。このような通俗観念をビジネススクールは広めている。
⇒イノベーションの理由は単純な営利目的ではなく、むしろ利益計算では示すことができない非経済的な価値観である。営利中心の発想は、このイノベーションの理由である非経済的な価値観を消失させる(武石彰・青島矢一・軽部大『イノベーションの理由―資源動員の創造的正当化―』)。
⇒ビジネススクールでは、企業の良し悪しを数値化して判断することを教える。その数値が上がれば優良企業とみなされる(IRR(内部収益率)やRONA(純資産利益率)など)。これらの指標は企業のイノベーションを生み出す能力を示すものではなく、このような指標に頼ると、画期的な技術開発にじっくりと取り組まない企業の方が優良企業ということになる。アメリカのビジネススクールで教わった通りに企業を経営すると、視野が短期化し、イノベーションが起きなくなってしまう。ただし、経営者は短期的には非常に儲けることができる(ベンチャーキャピタリストの原丈人も、経営学者クレイトン・クリステンセンと同様に、経営の数量的な評価手法に偏重するビジネス・スクールのあり方を厳しく批判している)。
⇒アメリカでも1950~1970年代までは、企業のトップは経営の数量化が必ずしも上手ではなく、「どのような企業であるべきか」という理念に基づく経営をしていた。ビジネススクール出身者は、参謀としての役割を果たしていた。
Chapter 5「日本は1990年代以降、アメリカを模倣としたコーポレート・ガバナンス改革を続けた結果、アメリカ経済と同様に、長期停滞に陥っている」
(1)日本のコーポレート・ガバナンス改革はアメリカのビジネス・スクールで洗脳された官僚たちが主導している。
⇒「1960年代から、富裕層の息子で、日本のいい大学に入学する見込みがなくて、親の金で留学する人が多くなったが、それ以外に、官庁、大企業が社費で、毎年、新社員の一番優秀な人を幾人か、ときどきはヨーロッパだが主として米国へ、MBAや経済学・政治学の修士・博士号をとりに送られた人が大勢いた。その「洗脳世代」の人たちが、いよいよ80年代に課長・局長レベルになり、日本社会のアメリカ化に大いに貢献できるようになったというわけだ。そして、日米同盟の深化にも」(ロナルド・ドーア『幻滅―外国人社会学者が見た戦後日本70年―』)。アメリカの短期主義化の原因となったビジネス・スクールに留学して短期主義を学んだ官僚たちが、それを日本に持ち込み、構造改革を始めた。
(2)日本のコーポレート・ガバナンス改革は金融化やグローバル化を推進し、日本企業を短期主義的にする結果を招いている。
⇒1990年代後半から日本のコーポレート・ガバナンス改革が進んだ。
ストック・オプション制度と自社株買いにより、株価重視と短期主義化が進んだ。
「金融ビッグバン」では、外国為替業務の自由化、証券デリバティブの全面解禁、銀行業務と証券業務の相互参入のための規制緩和、投資信託の商品多様化、証券会社の業務多角化などの改革が行われた。
外資による買収を促進する制度改正も行われ、アメリカ的な社外取締役制度が導入され、会社法制定により株式交換が外資に解禁され、外国字持ち株比率は1990年半ばの10%程度から、2006年には25%まで上昇した。
外資導入の促進やM&Aの活性化は短期主義化を進め、株主重視は人件費の抑制を招いた。
労働者派遣事業が自由化される労働法制の改革による「労働市場の流動化」はリストラや賃金抑制を容易にした。それにより、長期雇用は破壊され、イノベーションを消失させる代わりに、企業と株主の短期的な利益を極大化させた。
(3)コーポレート・ガバナンス改革により、日本はイノベーションが起きない国へと転落する。
⇒アメリカの経営手法が文化の違う日本で上手くいくとは限らないというのは正しい主張だが、アメリカの経営手法は本場のアメリカでも失敗している。イノベーションを起きにくくし、開業率を下げたアメリカの1980年以降の政策を模倣しても、日本で企業が増えず、経済が活性化しないのも当然である。構造改革が足りないから日本経済がダメになったのではなく、構造改革をしたから日本経済がダメになったのである。