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財源論

Chapter 1
商品貨幣論
 貨幣とは、元々は金貨や銀貨のように、それ自体に価値があるモノを交換手段としたものであるという考え方
信用貨幣論 貨幣とは、負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債であるという考え方(イングランド銀行季刊誌2014年春号)

流通する貨幣は「現金通貨(中央銀行券と硬貨)」「銀行預金」に分類される。
現金通貨は中央銀行により創造され、銀行預金は民間銀行により創造される。

民間銀行は貸出しにより、銀行預金という貨幣(預金通貨)を生み出す。
債務が返済されると、貨幣(預金通貨)が破壊される。

民間銀行が何もないところから、新たに預金通貨を生み出すことを「信用創造」「貨幣創造」という。

昔の銀行では銀行員が万年筆で口座に融資金額を記帳することで預金を生み出したので、「万年筆マネー」と呼ばれ(経済学者ジェームズ・トービン)、現代では銀行員はコンピューターのキーボードで融資金額を打ち込むので、「キーストローク・マネー」と呼ばれる。

民間銀行の貸出しは、手元の資金に制約を受けることはないが、貸出し先の企業の「返済能力」に制約される。また、貸出し先の企業に「資金需要」がなければ、民間銀行は貸出しを行うことができず、貨幣を創造することができない。

民間銀行は法令上、中央銀行に一定額の準備預金を設ける必要がある。
①銀行預金から現金通貨の引き出しが大量にあった場合、民間銀行には準備預金から現金通貨を引き出して、支払う必要がある。
②中央銀行と民間銀行、民間銀行間の資金の決済は準備預金により行われる。
※準備預金は民間銀行の集めた預金を中央銀行に預けたものではなく、中央銀行が創造し、民間銀行に貸し出したものである。

Chapter 2
資本主義とは以下の特徴を有する産業社会(経済学者ジョセフ・アイロス・シュンペーター)
①物理的生産手段の私有
②私的利益と私的損失責任
③民間銀行による決済手段(銀行手形あるいは預金)の創造
シュンペーターは③こそが、資本主義の定義で最も重要であるとする。

「貨幣循環理論(Monetary Circuit Theory)」
①事業を行いたいので資金が欲しいという企業の資金需要が存在する。
②企業の資金需要に対して、民間銀行が貸出しを行うことで、貨幣(銀行預金)が創造される。
③企業が事業を行うために支出する。
④貨幣は取引先の企業や従業員へ支給される。
⑤企業は収入により得た貨幣で、銀行に債務の返済を行い、貨幣(銀行預金)が破壊される。

⇒貨幣循環の過程から以下の重要な点を確認できる
 (1)支出が先、収入が後
 (2)企業の財源=企業の需要
 (3)企業の返済が貨幣を破壊する
 (4)全ての企業が完済すると、貨幣がこの世から消えてしまう

デフレとは、貨幣の不足により経済全体が縮小する不健全な経済状態。
デフレは経済全体の需要(消費と投資)が、供給に比べて少ない状態が続くために発生し(「需要不足/供給過剰」)、物価が継続的に下落する。
①需要が不足することにより、モノが売れなくなり、企業は赤字が続き、倒産するため、「投資」を行わなくなる。労働者は賃金が下がり、失業するため、「消費」を行わなくなる。需要が存在しない状態であれば、民間銀行の貸出しは行われない(貨幣の創造の停止)
②物価が継続的に下落するのに対し、貨幣価値は上がるため、人々は支出より貯蓄を選択するようになる。また、貨幣価値が上がるということは、債務は実質的に拡大することを意味し、企業は借入れを選択せず、返済を急ぐようになる(貨幣の破壊)
⇒デフレとは、貨幣循環を止め、貨幣を破壊していく恐ろしい現象であり、資本主義の死を意味する。

戦前では1930年代の世界恐慌に見られるように、デフレ現象がたびたび引き起こされたが、戦後の先進資本主義国では、世界恐慌の経験を踏まえて、デフレだけは回避しようとして努力してきた。そのため、戦後の先進資本主義国はインフレになったことはあっても、デフレになることはなかった。戦後、唯一日本だけが1998年にデフレに陥り、20年以上もデフレから抜け出すことができなくなり、資本主義経済が機能停止してしまった。

Chapter 3
貨幣循環(民間部門) ←Chapter 2から引用
(1)支出が先、収入が後
(2)企業の財源=企業の需要
(3)企業の返済が貨幣を破壊する
(4)全ての企業が完済すると、貨幣がこの世から消えてしまう

貨幣循環(政府部門)
中央銀行は信用創造により無から貨幣を生み出す。中央銀行の貸出し(貨幣の創造)に必要なのは、借り手である政府の資金需要だけである。
①事業を行いたいので資金が欲しいという政府の資金需要が存在する。
②政府の資金需要に対して、中央銀行が貸出しを行うことで、貨幣(政府債務)が創造される。
③政府が事業を行うために民間部門に支出する。
④貨幣は民間企業や従業員へ支給される。
⑤政府は徴税して債務を返済すると、貨幣(政府債務)が破壊される。

⇒貨幣循環の過程から以下の重要な点を確認できる
 (1)政府支出が先、税収が後
 (2)政府の財源=中央銀行による貨幣創造
 (3)税は政府支出の財源確保の手段ではない
 (4)政府の財源(中央銀行による貨幣創造)=政府の需要
 (5)政府の徴税と返済が、貨幣を消滅する=財政健全化とは貨幣の破壊である
 (6)全ての企業と政府が債務を完済すると、この世から貨幣が消えてしまう

貨幣が不足しているデフレ期は財政赤字を拡大し、政府債務を増大させなければならない。政府が債務を負って支出を増やすことは、貨幣を創造し、供給しているにすぎない。「財政赤字を減らすべし」と主張するのは、「貨幣を破壊すべし」と言っているに等しい。デフレ期に財政赤字は減らすべきという主張は、資本主義の仕組みを理解していない証左である。

企業も政府もその資金需要に応じて、銀行が貨幣を創造し、貸し出してくれるので「財源=需要」と見なすことができる。債務の返済により、貨幣は破壊される。したがって、貨幣が経済の中に流通するためには、民間部門と政府部門が債務を負って支出しなければならない。赤字とは、資本主義経済によって必要不可欠なものである。

企業と政府の大きな違い
▲民間銀行の企業に対する貸出しは、企業の返済能力に制約を受ける。
▲中央銀行の政府に対する貸出しは、政府の返済能力に制約を受けない。政府は徴税権力を有しており、強制的に税金を徴収することができるため、確実に返済能力が存在する。
また、国債は償還期限が来たら、新規国債を発行し、借り換えで国債の償還ができる。

「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)」
政府と中央銀行を一体として「統合政府」と見なし、財政支出と徴税の流れを「貨幣循環理論」と同じような「支出が先、徴税が後」という説明をしている。民間部門に貨幣を残し、取引や貯蓄の手段として流通させるためには「支出(貨幣供給量)>税収(貨幣回収量)」でなければならず、「財政赤字」は問題視する必要はない。紙幣が単なる紙切れではなく、貨幣として受け入れられ、流通するのは、政府によって納税手段として決められているためであると説明している(国定貨幣論)

Chapter 4
政府支出の制約要因
資本主義という信用創造機能を有する経済システムにおいては、政府は中央銀行を通じて貨幣を創造することができる。政府の財政支出はカネには制約されないが、ヒトやモノといった実物資源に制約される。つまり、政府の財政支出が無限に行えないのは、資金の制約があるからではなく、実物資源の制約があるからである。

資本主義以前の社会
資本主義社会では政府が貨幣を創造することができるが、資本主義以前の社会では政府は貨幣を創造することができなかった。そのため、新たに財源を捻出する場合、①増税(領民から貨幣を徴税)、②歳出改革(予算の付け替え)しか方法がなく、経済全体は成長しない。近代政府のように、貨幣を創造して、国民の資産を増やすことができれば、経済成長が可能となる。増税や歳出改革によって財源を確保するという発想は、資本主義以前の社会の発想である。

財政支出と経済成長
▲資本主義社会では、政府が貨幣を創造して供給し(財政支出の拡大)、経済は成長する。
▲増税や歳出改革により、財源を確保できなければ、財政支出を行わないなどの財政運営をしていると、経済は成長しない。
(財政支出の伸び率は、名目GDPのみならず、実質GDPの成長率と強い相関関係を示している。朴勝俊・シェブテイル『バランスシートでゼロから分かる財政破綻論の誤り』(青灯社))
→世界でも例外的に1997~2017年まで日本は財政支出をほとんど増やさなかった結果、経済成長もしていない。 

機能的財政
資本主義社会における政府は予算の制約も資金の制約も受けないが、実物資源によって制約される。その指標のひとつがインフレ率(物価上昇率)である。

財政支出の増減、課税の増減、国債発行量はそれらが国民経済に与える影響を基準すべきとするのが、「機能的財政」である(経済学者アバ・P・ラーナーが提唱)

▲健全財政 財政黒字は常に良いもので、目指すべきもの
▲機能的財政 財政赤字(あるいは財政黒字)が国民を幸福にするなら善、不幸にするなら悪

機能的財政では、高インフレになる前まで(実物資源の利用可能量の限界まで)、財政支出を増やすことができる。

→2020年度はコロナ対策で、日本はプライマリーバランス赤字が前年度の約4倍になったにも関わらず、インフレ率は下がり、デフレになってしまった。つまり、日本の財政支出はなお不足していた(政府の長期債残高は財務省、インフレ率は総務省を参考)。

Chapter 5
機能的財政は税についても、国民経済への影響を基準にして判断すべきものとする。つまり、税は政府支出の財源として確保するための手段ではなく、国民経済を望ましい姿にするための政策手段と言い換えることができる。所得格差の是正や増えると望ましくないものに課税することでその抑制が可能となる(例:炭素税やたばこ税等)。消費税は消費を抑制するが、消費税を推進してきた日本政府は消費を抑制したかったわけではなく、税を財源と捉える資本主義社会以前の財政運営しか知らなかったことが原因である。

資本主義の政府は財源(貨幣)を自ら創造するため、国民は何の負担をしなくてもよいということではなく、実物資源の制約が存在するため、国民は高インフレという負担を負わなければならない。

Chapter 6
MMTの通貨流通の過程
①政府は通貨を法定する。
②政府は国民に対し、その通貨の単位で計算された納税義務を課す。
③政府は通貨を発行し、その通貨を租税の支払い手段として定める。
④通貨は納税義務の解消手段として需要が生じるようになり、国民は通貨に額面通りの価値を認めるようになる。その通貨を民間取引や貯蓄の手段としても利用するようになる。

▲固定為替相場制 政府は自国通貨との交換要求に応えるために、外貨を常に準備しておかなければならない。つまり、自国通貨の発行量には外貨準備という制約が課されている。
▲変動為替相場制 自国通貨と外貨の交換比率が固定されていないため、自国通貨を発行する政府は財政破綻(債務不履行)に陥ることはない。しかし、実物資源の供給量の制約は存在する。

MMTが採用する機能的財政とは、変動為替相場制の下で自国通貨を発行することができる政府が、財政運営を予算の制約ではなく、実物資源の制約によって規律しようとするものである。

MMTは財政支出の上限を高インフレとするが、インフレは「デマンドプル・インフレ」「コストプッシュ・インフレ」に大別される。MMTが上限とするインフレは前者の「デマンドプル・インフレ」である。

▲需要が実物資源の供給制約を超えた原因が、需要の増大にある場合は「デマンドプル・インフレ」
▲需要の増大ではなく、実物資源の供給制約がより厳しくなったことに起因するインフレは「コストプッシュ・インフレ」(1970年代の石油危機、2021~2022年のコロナ禍による労働者不足、ロシアのウクライナ侵攻を契機とする食料やエネルギーの供給制限など)

ハイパーインフレの歴史的事例
▲第一次世界大戦直後のドイツのハイパーインフレ
▲第二次世界大戦中や終戦直後の日本の高インフレ
▲財政危機に陥ったアルゼンチンやギリシャで起きた高インフレ
▲ジンバブエのムガベ政権下で起きたハイパーインフレ

ハイパーインフレの原因
①社会的・政治的な混乱や内戦
②戦争などによる生産能力の崩壊
③徴税権力の弱い政府
④多額の外貨(あるいは金)による対外債務(非自国通貨建て債務)

①②③④はいずれも現在の日本には該当せず、平時において政府が過剰な財政支出を行って、デマンドプル・インフレを止められなくなった事例ではない。少なくとも戦後の先進民主国家で、過剰な財政支出を続けて、デマンドプル・インフレが止まらなくなった歴史的事例は存在しない(デマンドプル・インフレが止まらず国民が苦しむ中、なお過剰な財政支出を続ける政権は、民主国家で有権者を支持を得られない)。

コストプッシュ・インフレ対策
自国通貨を発行する財政に資金の制約はないというのはMMTの固有の主張ではなく、単なる事実に過ぎない。もっと重要な点は、MMTが財政支出を制約するのは資金ではなく、実物資源の供給であると強調していることである。

MMTの論者もコストプッシュ・インフレについては十分に論じていないが、MMTの洞察を応用することで、コストプッシュ・インフレ対策を導き出すことができる。

コストプッシュ・インフレの原因が実物資源の供給制約であるならば、対策は実物資源の供給制約を緩和することとなる(例:エネルギー供給に制約があるならば、省エネルギーの徹底、原子力発電の稼働、新エネルギーの開発。食料供給に制約があるならば、フードサプライチェーンの効率化、食料生産の拡大等)。

つまり、コストプッシュ・インフレ対策は政府による公共投資の拡充や民間投資の促進、ある種の産業政策が必要になる。MMTの主唱者である経済学者ランダル・レイも、コストプッシュ・インフレ対策には的を絞った公共投資(ターゲット・インベストメント)を行うべきだと主張している。また、ノーベル経済学賞を受賞した主流派経済学者17人の公開書簡には、積極的な公共投資こそが「長期のインフレ圧力を緩和する」と書かれている。

資本主義社会で、変動為替相場制の下で自国通貨を発行する政府は、資金に制約されることなく、財政支出を拡大することができるが、実物資源の供給に制約される。しかし、公共投資などにより、供給能力が向上して実物資源の供給制約が緩和されれば、政府の財政支出の余地はより一層大きなものとなる。これに対し、財政健全論は政府に対し不要な資金制約(財政規律)を課すことにより、供給能力の強化のための投資を妨げており、コストプッシュ・インフレが悪化するリスクを増大させている

Chapter 7
「国債を発行することで金利が上昇する」という主流派経済学者の間違った認識
多くの主流派経済学者は、国債を購入する際の原資が民間貯蓄であり、国債を購入した分だけ民間貯蓄が減るため、金利も上がると考えている。しかし、実際は政府の財政支出により、民間貯蓄は減るのではなく、増えており、金利も上がることはない。日本政府の債務残高と長期金利がそれを実証しているが(政府の長期債残高は財務省、インフレ率は総務省を参考)、貨幣が負債であることや信用創造という資本主義の仕組みを理解していれば、全く不思議なことはない。

日銀は民間銀行から国債を買い取ることで、民間銀行の日銀当座預金を増やし、金利を下げることができる。つまり、金利をコントロールすることができる。景気が回復し、インフレ気味になると、日銀は量的緩和政策を終了し、金利を引き上げる可能性があるが、政府は債務を負って創造した通貨を日銀の利払費に充てれば良いだけなので、利払いができなくなったり、増税が必要になるということはない。しかも、日銀は日銀法上、利払費を国庫に納付することになっており、政府が日銀に支払った利払費は政府に戻ってくるのである。

Chapter 8
2019年4月17日財務省は財政制度等審議会においてMMTを批判する資料を用意し、世界の著名な経済学者や政策当局の幹部など、総勢17名によるMMTに対する批判のコメントが掲載した。しかし、この資料のMMT批判者には、財務省が全力で否定したくなるような人物が何人も含まれていた。

▲国際通貨基金(IMF)のクリスティーヌ・ラガルド専務理事は、MMTについて、流動性の罠に陥ったり、デフレに見舞われたりするなど状況下では、短期的には有効かもしれないとコメントした(『ブルームバーグ』2019年4月12日)。
▲アメリカ経済学会の重鎮で、元財務長官のローレンス・サマーズは、2014年の消費増税は間違いだと日本政府に警告した(『日本経済新聞』2016年1月12日)。
▲ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンは、10%の消費増税は悪夢のシナリオだと言い切っている(『週刊現代』2014年9月16日)。
▲イギリスの金融サービス機構元長官のアデナ・ターナーは、消費増税の延期を提言し、財政赤字を拡大し続けろと言っている(『ロイター』2018年1月10日)。
▲マサチューセッツ工科大学教授のオリヴィエ・ブランシャールは、2012年の段階で財政再建は世界経済に好ましくなく、日本はゼロ金利状態が続き、金融政策の効果が薄く、低金利による利払い負担は小さいため、急激な財政再建は好ましくないとした(『ロイター』2012年10月9日)。また、2019年には「日本財政政策の選択肢」というレポートを公表し、プライマリーバランス赤字を拡大せよ、財政支出を増やせと、日本政府の財政運営を全否定する主張を展開した。

⇒日本政府がデフレ下において歳出抑制や増税を繰り返していることは、MMTに与しない主流派経済学者の権威たちの目から見ても、異常なのである。

Chapter 9
ガラパゴスの日本の財政運営
①デフレ下のおける増税
景気が悪い時に、減税こそすれ、増税はしてはならないことは、主流派か、異端派かに関わらず、経済学の初歩であり、学派と問わないコンセンサスである。戦後の先進諸国でデフレ下で増税を行った国など日本以外になく、20年以上デフレを放置していた国自体、日本以外に存在しない。
②60年償還ルール・国債償還費の予算計上
日本は新規に発行した国債は60年で完全に償還(つまり、1年に60分の1ずつ償還)するという60年償還ルールを定めている。このような償還ルールに基づき、政府債務を完全に返済するという考え方を持っているのは、先進国では日本だけである。
日本以外の国ではこのような償還の期限を定めるルールはなく、国債は永久に借り換え、債務残高が維持されるのが基本であり、予算には償還費が計上されず、利払費だけが含まれることになっている。60年償還ルールも国債償還費の予算計上も日本だけのガラパゴスのルールである。
③社会保険料の扱い
OECDの対日経済審査報告書の一般政府の歳入には社会保険料が含まれているが、日本の財務省の財政関係資料では、歳入に社会保険料は含まれていない。つまり、国際基準に反して、財務省は財政赤字を過大に見せる計上の仕方をしており、歳出項目だけだはなく、歳入項目もガラパゴスである。
④プライマリーバランスの黒字化目標
日本において財政規律に対応するのは財政法四条(国債発行を例外とし、発行する場合には国会の議決を経なければならない)であり、60年償還ルールではない。
日本の場合には財政法四条に加えて、プライマリーバランス黒字化目標という財政収支のルールが課せられている。PB黒字化目標は緊縮国家ドイツよりも厳しい財政規律となっている。
(1)ドイツは財政収支の対GDP比を目標にしており財政支出を拡大してもGDPが成長した場合、数値は改善する。日本のPBは対GDP比ではないため、GDPの成長により数値が改善することはない。
ちなみに、財政収支のルールを財政規律にする場合、対GDP比財政収支とするのが一般的であり、EU諸国も対GDP比財政収支を採用している。
(2)ドイツの財政収支のルールは、不況の際は新規国債の発行が許容される仕組みになっている。日本は長期デフレ不況の中でも、PB黒字化目標と60年償還ルールを堅持している。
(3) ドイツの財政収支のルールは、緊急事態においては停止されることが許容されており、コロナ禍などでは実際に停止された。日本はコロナ禍においても、PB黒字化目標と60年償還ルールを堅持した。

財政法四条は但書はあるが、国の歳出の財源は国債に依存してはいけないという健全財政が原則であると規定している。この規定は赤字財政は戦争につながるという論理から、憲法九条の戦争放棄を裏書保証するために盛り込まれたものであると、当時の財政法の起案者となった大蔵省法規課長の平井平治は認めている(平井平治『財政法逐条解説』)。

Chapter 10
朝日新聞は日本の歴史を引き合いに出して、国債の発行は戦争への道につながると主張するが(『朝日新聞』2022年12月15日)、歴史を紐解くと、戦争を決意した国家は、財政規律が戦争遂行の妨げになっているのであれば、それをあっさりと撤廃する。財政規律を優先して、戦争を諦めることなどはしない。金本位制という制度的な財政規律には、第一次世界大戦を抑止する効果など全くなかった。近年のコロナ禍においても、コロナ対策の支出のためにドイツは憲法の財政規律条項の一時停止を決定し、財政規律よりも、国民をコロナ禍から救うことを優先したのである。なぜなら、国家の最優先課題は国民の安全を守ることだからである。

満州事変が勃発した時期、日本は厳格の財政規律を守っていたが、資本主義の仕組みを理解していた高橋是清は大蔵大臣に任命されると、金本位制から離脱、積極財政に転換し、国債を発行した。1931~1936年にかけて、国民所得は60%増加し、1936年には完全雇用を達成したが、消費者物価は18%しか増加せず、物価は安定していた(鎮目雅人『世界恐慌と経済政策―「開放小国」日本の経験と現代―』日本経済新聞出版社)。日本は世界で最も早く恐慌から脱したのである。高橋財政は財政赤字の拡大をもたらし、大蔵省なども増税を求めていたが、景気回復前の増税に反対した(高橋是清『経済論』)。ちなみに、高橋は貨幣が需要によって創造されることを理解しており、資本主義社会において、政府が信用創造に基づかない財政運営をしていると、国家間の経済競争の落伍者になると予見していた(高橋是清『経済論』)。軍部からの軍事費増加の要求を拒否した高橋は、二・二六事件で暗殺されたが、軍部は軍拡の財源確保のため、増税を要求していた。かのナポレオンも健全財政論者であり、国債発行による戦費調達を嫌い、他国の富を収奪して戦費の財源とすべく侵略を繰り返していた。

池田政権の経済ブレーン下村治が考える終戦直後の日本の高インフレの原因
①戦争による異常な生産力破壊という状況
②当時の税務当局の徴税力に欠陥があったこと
③労働組合の政治力が強く、賃金上昇圧力が課題であったため
下村は①が最も大きな原因と考えたが、これは終戦直後の日本の高インフレは「コストプッシュ・インフレ」であることを意味する。下村は「実際の生活水準を落とさず、生産力を高めて生活水準に適合させていくというのが現実的な方策」であると考えた。これは占領期に大蔵大臣を務めた石橋湛山も同様であった。下村が得た歴史の教訓とは、積極財政によって供給力を増強し、実体経済の需要不均衡を解消するのが、正しいコストプッシュ・インフレ対策であるということであった。