粋狂




二月某日。



 古書店に入るつもりはなかった。ただ、少し寄ってみようかと思わせる出会いだった。
それは、浅草を上野の方に少し外れたところにある。トタンでできた長屋がいくつか置かれるように建っていて、それが迷路を作っていた。細くてごちゃついた路地というのは、なかなかどうして寄り道してみたくなるものである。欲求のままに入り組んだ道を探検していると、そのうちの一部屋に書店を見つけた。
 こんなところにある店が、それも売り物が古本となるとなおさら、売れているようには思えない。一度店主の顔を拝んでやりたくなったのだ。
 ガラガラとやけに音の鳴る引き戸を開けて、中に入った。
 人一人分くらいのスペースを開けて、等間隔に本棚がいくつか並んでいる。本棚は空間を区切るためだけにあるようで、そこに詰められるだけ本が詰められている。本棚の上にも、手を伸ばしてもちょうど届かないくらいの高さまで本が平積みされていて、どうやら商売する気などもとより無いと見えた。本は、全てが調子を合わせたように色褪せていた。
 「日に焼けたんだよ」
 店主と思わしき男がカウンターの奥で言った。
 咥えられた煙草も原因の一端を担っているのではないかと思ったが、口には出さなかった。私は代わりに、
 「それは何をやっているんですか」
 と訊いた。
 「それって、これか」
 男は右手に持った本を見て言った。本棚に積まれた本とは違って鮮やかに白く、新しいものらしかった。彼はそれを上に掲げて大きく横に振っていたのだ。彼は私の質問に一旦本を振るのをやめて、
 「文字を捕まえているんだ」
 と答えた。
 「文字って捕まえられるものなんですか」
 「本を振っていると時々ね」
 それでも一年に一度くらいには捕獲できるらしい。
 「作者不明の本というのはいくつかあるだろう。うちはそういう本を集めている店でね。この類いの本にもいくつか種類がある。大昔に書かれて作者についての記録が無い場合とか、作者が名前を偽っている場合とかね。君が立っているあたりには説話をまとめたものがまとめて」
 男は私のいる列の本棚の、三段目くらいを指して言った。そこには、二代目烏亭焉馬、柳亭種彦といった名前が並んでいる。かなり古そうなもので、しかし私が知っているような名前はそこにはなかった。
 「口承文芸のいいところは、話す度にその顔を変える所だが、それを誰かがたまらず書き起こしてしまうんだろうな。それでも十二分に面白いっていうのがまたすごいところだよ」
 たまに、説話集でも、架空の作者を立ち上げて名前が適当に充てがわれることがある。幾人もの無名の語り手が実体の無い架空の名前に収斂して、一つの存在として新しく表れる。浮遊して漂い続けた口伝も同様にして文字に落ち着き、本として生まれ直すのである。
いくつかのパターン化された道を辿って、作者の曖昧な本が作られる。本を虫取り網のようにして文字を捕まえるというのは、そのうちの一つなのだと言う。
渦巻いて、揺れて、容れ物の中にあった思考が、形を忘れて流れていく。それは空気に溶けて、跡形もなく消えていくもので、そこを空気に溶けて無くなる前に捕まえる。言語で編み込まれた紙に通して、濾過する。すると思考が文字になって染み出る。おおよそ文庫本一冊くらいのサイズに収まって、それが作品と呼ばれる。
要は、この男は作家であるらしかった。
 「今日の調子はどうですか」
 「そうだね、今日は久々に収穫がありそうだよ」
 男はニヤリと笑った。
トタン屋根を支える柱と化した本たちは趣味で集めたもので、買う物好きが、もしいれば売ってあげようと言う程度らしい。
 「いくつか種類を教えたけれど、僕は捕まえたものが一番面白いと思うね。それは捕まえた文字だと知っているからこそ面白いという側面があるのが弱いところだけれど。最近仕入れたものだと、これかな」
 私は言われるがまま、薦められた本を覗いてみた。
***
二十半ばの若い頃、ある日の夜のことだ。高校を卒業してそのまま就職した俺は、たまの休みがあれば旅に出るというのを繰り返していた。温泉地を巡っては酒を飲み、土産に提灯を買って帰るというのが旅の決まりだった。
その日の夜も、例のごとく旅館で一人晩酌をするつもりだった。
 いつもならテレビを見ながらビールに柿の種ってところだったが、その日はひどい雨で、旅館のあたりが停電していた。
 そのせいでテレビもつかなければビールも冷えていないというから、俺は仕方なく蝋燭の火で一晩過ごすことになった。
部屋の中はやっぱり真っ暗闇で、その蝋燭だけが頼りだった。
 「とんだ災難だよ、これじゃあ落ち着くものも落ち着かねえ」
 なんて独り言なんか言っていると、息がかかって蝋燭の火がぐにゃりと揺れた。火が揺れると、机も灰皿も一緒になって揺れた。蝋燭が消えたら俺まで消えるんじゃないかという気がした。
 ビールが冷えてないとはいえ、柿の種だけを延々と食べるわけもいかないし、どうしようか。そう頭を悩ませていたところに、女将さんがやってきた。
 「ご迷惑かけて申し訳ありません。こちらお詫びです、よかったら」
 そうやって差し出してきたのは日本酒、四合瓶。地獄に仏っていうのはまさにこれのことだ。女将さんに礼をすると、そそくさと居間に戻って酒瓶とぐい呑を並べた。
 蝋が溶け出していたから、二本目を付けておくことにした。
清開というその日本酒をとくとくとぐい呑に移して、手首を返してくっと呷った。
 なんとも飲みやすく、柔らかい口当たりでよく回る。瞬く間に体が火照ってきた。
 「これは気持ちいい。うまいじゃないか。良くない酒に出会った、これじゃ飲みすぎちまうよ」
酒瓶を見ているから注ぎたくなるのだ、と思って、俺は視線を八方に散らした。
 夜景を見ようにも外は深い藍色の雨空だ。蝋燭の火は見ていて飽きないが、ふとした拍子に吹き消したくなる衝動にかられる。一本目はもうちびになっていて、どろりどろりと白く溶け始めている。
 それから目に止まったのが、掛け軸だった。贋作か真作かなんて俺にわかったことではないが、とにかく美しい掛け軸だった。
 掛け軸には夕景の葦の上に飛ぶ雁が描かれていた。後から知ったが、こういったのは芦雁図といって、よくあるモチーフらしい。蝋燭の暖かい光もあって、本当の夕焼けのようだった。
 「昔の偉い絵師の方が泊まられた際に、戦場ヶ原を見て描いたそうです」
 部屋に案内されたときに女将さんが言っていたのを思い出した。その時はちっとも引っかからなかったのに、今になって目が離せない。
 あまりに魅力的で、しばらくじっとして見ていた。
 雨音が葦の擦れる音に、雷鳴が雁の鳴き声に聞こえる頃には、俺はたしかに夕陽に照らされていた。
 葦に映る影が風に揺れた。空気がうまいと思って、俺は羽織の袖に入れた燐寸と煙草に手を伸ばした。
 側薬を擦って火をつけると、ちりちりと頭薬が燃える。煽られて消えないように手を風防にして、煙草の先に火をやった。煙草の先がじわりと灯って、燃えた順に灰になっていった。
 土手に立っていた。背の高い葦の半分くらいの高さの土手だ。
どちらが前かわからなかったが、とにかく思うように歩いた。
 指先から立ち上る紫煙の先をたどると、そこにはやっぱり高らかに鳴く番の雁がいた。
 しばらく進むと、川が見えてきた。そこにかかる桟橋の手前に、女が立っている。
 「この川を一緒に渡ってはくれませんか」
 女は桟橋に停めてある渡し船を見やって言った。どうも向こう岸まで女ひとりで漕ぐのは難しい様子だった。たしかに、向こう岸がどのくらい遠いかもはっきり見えないほどだった。
 女は幸の薄そうな見掛けだった。ただ、それが艶めかしく映った。物憂げな表情が美しさに拍車をかけて、とにかく別嬪だった。
 薄紅色に花びらが小紋としてある夏紬は、奥に肌色が仄見えている。袖から見える手は白く、右手は口元に添えられていた。左手ははらりと落ちるようにしてあり、その先にしなやかな柳腰がある。それからすらりと脚が伸びて、しまいには足がない。
 たまげた、足がないじゃないか。
 急に寒々しい気分が立ち込めてきて、ようやく俺は気がついた。ここは冥途に違いない。この女は未亡人で、主人の後を追ったとか、そんなところだろう。なぜだか腑に落ちる気持ちもあった。
で、あれば、眼の前に流れるこの川は噂に聞く三途の川ってやつなのではなかろうか。
 いや、少しまて。親父が生きていた頃、聞いたことがある。三途の川は地獄の入り口ではなかっただろうか。たしか善人は三途の川なんてものをそもそも渡らないって話だった。
 なるほど、それじゃあこの女はとんでもない極悪人ってことになる。今度は女が恐ろしい化物に映った。
 同時に思っていたのは、なんで俺まで地獄に行かなければならないのかってことだった。この女はどうか知らないが、俺は齷齪働いてたまの休みに羽根を伸ばすだけの日々だ。思い当たる悪事といえば、孝行しないうちに親を死なせてしまったことくらいだし、そんなことで地獄行きだなんてことでは、地獄がいくらあっても足りないに違いない。
 同行をためらう俺に、女はゆっくりと繰り返した。
 「この川を、一緒に、渡っては、くれませんか」
 いくら美人の頼みでも聞ける話と聞けない話というものはあるのだと、この時初めて知った。きっぱり断ってやろう、俺は思った。
 その時だった。
 ちょうど背中の後ろの方から、ぱちぱちと何かが弾けるような音が近づいてくる。振り返ると、歩いてきた葦の畑が一面赤々と燃え上がっていた。
 立ち上る火に捕まった雌の雁が、羽を焦がして落ちていくのが遠くに見えた。片割れの雄も追うように火に飛び込んでいった。きゅるきゅると擦るような音で鳴いた。
 桟橋の方では、女がいつの間にか船に乗り込んでいて、こちらへ来いと手招いている。
 「くそ――
***
 「なかなかおもしろいでしょ、それ」
 書店員の男の声で、はっと我に返った。時計が少し進んでいる。冷や汗が頬をなぞった。
 「たしかに面白いですけど、実話というには突拍子もないですね」
 私が笑って言うと、
 「それはどうか、わからないよ。彼の思考を捉えただけだからね」
と、いやに真面目な声色で男は答えた。
男は何を疑うこともなく、ただメトロノームのように本を振り続けている。おそらくあれを開けたらインクがじわりと浮かび上がってくるのだろうと思われた。
実話というには突拍子もない彼の与太話を、それでも私はあり得るように思う。偏に私に罹る病気のせいであった。
これより少し前の出来事である。




勢いよく空に放たれた水が、視界の下端に白い線をすらりと伸ばした。それらは一定の高さまで到達すると、それ以上高く昇ってはこなかった。両脇には風に揺られる木々が黒くある。葉の禿げた木もいくつかあるが、常緑樹のほうが多かった。それが黒く映ったらしかった。葉が擦れる音と水の噴く音に耳が一杯になる。ざあざあと耳を撫でる音はアナログテレビの砂嵐を思わせた。
ぼうっと、ただ前を見ていた。
やがて、水が下から出ているのか、上から落ちているのかが判別つかなくなってきた。噴水と木の他には雲だけがある。
白と黒が入り交じっていた。雲に覆われた空は、しかし平板な灰色というわけではなく、白が多いところも、黒と言ってもいいところもあった。褪色した視界はさらにぼうっと霞んだ。どんよりと鈍い気持ちがして、曇という字をどんと読むのはこれによるのだとわかった。
さっき見た梅木に似ているな、と私は思った。実際は逆で、このようなところの梅を描いたのがあの絵なのだろう。だから、さっき見た襖絵に私が支配されているというのが本当だった。私はあの襖を目にした時と同じように、溶けるように佇んでいた。
音が止まると、白線のかわりに館が現れた。
***
コンクリート造りの上に瓦屋根をのせたちぐはぐな館は、名前を東京国立博物館という。茶道具、刀剣、仏像、染織。中にはありとあらゆる日本美術がずらりと並んでいた。
ガラスの向こうに鎮座する芸術品を見ても、何が素晴らしいのか判然としなかった。ただここにあるということと、添えられた文字列によってのみ、そのものの価値を知るのであった。
一介の学生に芸術のなんたるかを知れというのも土台無理な話で、開き直って無知を誇ることくらいしか私にはできないのである。それが知れただけでも実りではなかろうか。
そうやっていつものごとく自らを宥めていた矢先のことである。
あるひとつの絵が目に留まった。私が足を踏み入れたその一角には、襖絵が三つあった。全て円山応挙という絵師によるものである。私が見ているものの他には、大胆な波の絵と、山水に仙人がいる絵がある。私が見ているのは梅図襖という名らしかった。
黒革の腰掛けに落ち着いて、ぼんやりと襖を眺めた。眼前には、日に焼けた襖が四枚連なっていた。
岩の奥に聳える幹が伸びやかに枝を伸ばしている。あたりは靄がかっていて、根元に映る岩肌の他にはその梅しか見えない。枝は奥も手前も皆が蕾を蓄えていて、しかしその全てに雪がかかっていた。
昨日降り積もったのだろう。私は思った。
東京に住んでいると、なかなか雪が積もることはない。空から踊るように降る雪に手を差し伸べると、指に染み入るようにしてじわりと溶けてしまう。するりと手を抜けていった雪も、アスファルトの上で同様に溶けて流れて行く。私はいつも、こいつはどこまで雪でいられたのだろうかと思う。ただ、指先を濡らす水がもう雪と呼べないのは確かであった。
少し肌寒さを感じて、自分が絵を見ていたということを思いだした。
近づいて見ると、雪だと思っていたところには余白があるのみであった。吐息で鼻先が白く曇って、ガラスの存在に気づいた。濃淡で表された世界は、どこまでも奥行きがあるように思えた。
今、私はこの襖の中に在ったに違いない。竦めた肩が何よりの証拠である。少なくとも、「梅図襖」というこの水墨画が、それほど圧倒的な描画技術によるものだということだけは間違いなかった。
しかし、それは隣にある絵も変わらないはずであった。だから、私がこの襖絵にだけ釘付けにされているのはまた別の理由があるような気がしたけれど、それは解らなかった。
 それからしばらく、閉館の案内が流れるまで、これだけをじっと見つめていた。
噴水広場に出た今も、やはり茫然としていた。
***
 それから、色彩が欠けた。
 視界がはなから白か黒かの濃淡のみで構築されているかのようであった。これはこれで豊かに思えた。
ただ、次第に体が熱を帯びて、炎のようにぼうっと立ち上った感触があった。これが心地よくなかった。
しばらく放っておいたところで、この奇妙な病は治る気配を見せなかった。
 あの襖絵に要因があるのではないかと思う。しかし、それが私にどのように作用したのかはわからない。
 それからいくつかの医者に掛かった。彼らは一様に白衣を着ていた。
 はじめは内科に行った。解熱剤をもらったが、効果は無かった。効果が出ないと内科医に話すと、眼に問題があるのかも知れないと言われた。
 言われるがまま眼科へ行った。指でひん剥かれた眼にライトを当てられたり、いくつかの色見本を見比べたりした。眼科医は私に色覚異常の症状があるとして、なにか神経系や脳に異常があるのかも知れないと言った。
 期待して脳神経外科にいくと、あなたに異常は無いと言われた。加えて、あるいは精神疾患の可能性があると言い、紹介状を書いて渡した。
 看板には、精神病院ではなく、メンタルクリニックと書いてある。何かとイメージの問われる時代なのだろう。やはり医者というのは儲かるらしい、と医院を見て思った。
 精神科医は、あなたはまるっきり健康体だと、他の医者同様に答えた。この精神科医が一味違ったのはこの先からである。
 「可能性をあげるのであれば」
 野沢と名乗ったその医者は、二つの絵を並べて言った。
 「あなたは西洋的な価値観から開放されたのかもしれませんね」
 私が見た襖絵の写真と、さっきまで壁に飾られていたどこか外国の街並みの絵がある。無論、私にはどちらもが白黒に映っていた。
 「あなたが見たこの絵にこそ原因があると考えましょう」
 野沢はそう言って、およそ医者らしくないことをつらつらと話し始めた。しかし、ちょうど襖絵に原因があると睨んでいたところだったので聞いてやることにした。
 「あなたの見た襖絵が、あなたにとって何であったのか。それを知ることは困難でしょう。まずは、何でなかったかを見ていきます」
 野沢は左に持った西洋近代絵画を渡してきた。
 「そこに描かれているのはシャンゼリゼ通りというパリにある通りで、風景画というやつですね。遠く凱旋門まで続く道に奥行きが感じられるのは、線遠近法と呼ばれる数学的に構築された遠近法によるものです」
 蔦の這ったような金属の手触りの額縁に、風景画が収まっている。たしかに写真のような画面を持っていて、手前から奥へと、道が一点に集まっていくような構図だった。
「パースペクティブや、透視図法とも呼ばれるこの遠近法は、西洋の近代絵画によく用いられます。写真や映像にも用いられるこのルールは、視覚によって得られる情報を出力するのに適していました。数学的で合理的な正しさを持ったこの方法は、いかにも西洋らしいと言えます。私はもちろん、どのような人もこの絶対的な正しさの中に生きています。現に、どのような人間もこの絵画を見て、見た通りに写し取ったようだと思うでしょう」
どうにも小難しい話に思われたので、私はとにかく頷いて先へ促した。
対して、と次に野沢が渡してきたのは梅図襖の写真だった。こちらにも幽かな奥行きがある。
 「水墨画は東洋の芸術です。こちらは空気遠近法や三遠、六遠といった方法で遠近感を表しています。掠れだとか、暈しだとかを利用した方法ですね。西洋絵画とは対照的で、きちっとした論理よりも感性を重視していると言えるのではないでしょうか」
 またも私は頷くのみであったが、野沢がこれに構う様子はなかった。彼はその後に、しこたま絵画に関する薀蓄を傾けたところで、
「つまり、あなたはあの絵を見た瞬間、あなたをそれまで支配していた科学的な真理から開放され、東洋的な視覚に囚われ直したのではないでしょうか」
 と結論づけた。
要するに、このぼうっと呆けた視界は東洋的な見方なのかもしれない、ということであるらしかった。
 私はこれにもとりあえず頷いておいた。余り飲み込みきれなかった感触もあったが、野沢の仮説は、しかし尤もらしく響いた。
そして、野沢は私に知り合いの和尚さんを紹介しましょう、と告げて私を帰した。
いや、待て、これでは色彩を失った説明がつかないままではないか、という私の不満は、よってその坊主に向けられることになった。
 元は上野一帯が寛永寺の敷地だったという話を聞いたことがある。そこのまあまあ偉い人だというから、かなり徳の高い人であろう。
 寛永寺の門先で坊主は懇ろに応対してくれた。黒い袈裟を着て、白い箒で道を掃いていた。実際には紫の袈裟に緑がかった山吹色の竹箒だと思われた。
「野沢さんの話だと、君が梅の描かれた襖を見たときに、ふと東洋的な視覚に気づいて、それに囚われてしまったのが原因だという話でしたが、水墨画的な視覚がそのまま君に乗り移ったのであるとしたらどうでしょう」
例えば、その梅図襖を描いた応挙の霊がついているとか、と坊主は言った。
たしかに、そうであれば視界の何もかもを水墨画的に捉えてしまうことの説明はつくような気がしたが、どうにもそこまでの誇大性は私にはなかった。
それだから怪訝な顔をしていると、坊主は霊なんて冗談だと言って笑った。
続けて、こちらも僧侶らしからぬことを話し始めるのであった。
「君は感覚質という言葉を知っていますか、あるいはクオリアという言葉を」
 Aの見ている赤が、Bの思う所の青であるかもしれないという話は聞いたことがあった。
言語などの伝達手段によって、例えばりんごが赤いということは公然の事実であると確認されている。しかし実のところ、BはAの呼ぶところの青としてりんごが見えているのに、それを「赤」と呼んでいるにすぎないという可能性は否定しきれないのだという。このような、個人が内側に持つ感覚のことを感覚質、もしくはクオリアと呼ぶらしいという話であった。
 「応挙が君に乗り移ったということは、言い換えれば、君は君の感覚を有したままにして応挙の視覚を手に入れたということになりますね。従来知っていた色の名前と応挙の見ていた色とが対応しないために色彩が無くなったのだということです。」
 確かに、その通りならば辻褄が合う気もする。
「ただ、ここで問題になるのは、果たして応挙は今君の見ているような水墨画的世界を見ていたのかということです。コルビュジェがピュリスム絵画のように世界を見ていたとしたら、彼の手から近代建築は生まれなかったでしょう」
 坊主は向こうの国立西洋美術館のあたりを指して言った。
 「確かに、色の感じ方が人によって異なるというケースはあります。虹の色の数が国や民族によって違うという話はよく聞く話でしょう」
 坊主が次に説いたのは、言語学の話であった。説法より長い彼の話は、このようであった。
 パプアニューギニアの先住民族に、ダニ族というのがいる。
 彼らは色についての語彙を二つしか持たない。黒および寒色と、白および暖色の二つだ。
 彼らダニ族と英語話者とが色の記憶に関するテストを行った。すると、ダニ族の成績は英語話者に劣ったという。
 では、彼らの見る世界には黒か白しかないのか、というとそうではない。
 ダニ族に赤や青といった色について学習させると、テストの成績は向上した。
 言語学者のブレント・バーリンとポール・ケイは基本的な色彩語彙として十一の色をあげた。黒、白、赤、緑、黄、青、茶、紫、桃、橙、灰の十一である。これら十一色はいくつかの段階に分けられ、世界のあらゆる言語は、そこから二つ以上の基本的な色彩語彙を選択しているとした。またこれらは、下位の色彩語彙を持つ言語は必ず上位の色彩語彙も持つという含有関係にある。
 ダニ族の言葉は黒と白の二つで、英語は十一全てを持つ。そして、日本語も十一を持っている。
 十一全ての基本色彩語彙を持つ話者の間でも、確かに差異はある。それでも赤はレッドでルージュであることに問題はない。
 結論としてあげられるのは二つ。りんごの赤が内側にどのように見えているかは別として、少なからず赤や青といった色が外側に存在することに疑いはないということ。色彩語彙の多い語を持つ人であれば、色の差異について敏感であるはずだということ。
よって、体が正常に動いている以上、たとえ私に応挙の、ましてダニ族の霊がついていたにしても、無彩色の視界など見えるはずがないのである。
 「じゃあ私のこれはなんだというんですか。何もわからないっていうんですか」
 長いこと話してそれではあんまりじゃないか、とたまらず私は坊主に怒鳴りつけた。気づけば、天辺にあった太陽がもう目のくらいまで落ちてきている。
坊主は喚く私にたじろぐ様子もなく、やはり鷹揚な態度で、
 「私ども天台宗には九識、という考え方があります。いわゆる五感をそれぞれ五識と呼び、六個目に来るのが意識です。他にも末那識、阿頼耶識、阿摩羅識があり、全部で九識です。阿摩羅識に至ることができれば、それすなわち成仏であります。あなたが行っているのは阿摩羅識へ至る修行であるやもしれません」
 と答え、そのまま境内へと消えた。私にはこれが異界の言葉のように響いたが、坊主は曇りのない顔であった。それが厳然たる事実であり、全ての解なのだといった様子であった。
 私には依然として判然としないままであったが、やはり原因があの襖絵にあるということだけは歴然として在るようになった。
***
それから、とにかく上野に足繁く通っては、帝冠様式の館に入り、まっすぐ襖絵のある一角へ行くようにした。はじめにそうしたように、閉館までぼうっと視界の中央に襖を捉えるのが決まりだった。
 のべつ熱は体を這っていた。ただ、雪化粧した梅を見る間だけ、熱が剥がれるように落ち着くのであった。
腰掛けに浅く座り、前傾して襖を眺めた。待春の梅は焦点を失った視野に心地よく、何よりも綺麗に映えた。



「容れ物というのは、つまり意識ということなんでしょうかね。私より以前にあった私というものを辿っていって、果たしてどこから私がやってきたのかということがわかった時に、ついに意識は壊れて、私は世界に溶けるということなんでしょうか」
私は、書店員の男にも話を訊くことにした。
「はて、なんの話だろうか」
やはり男は本を振っている。ふざけて見えるが、これが彼の作家業である。
「さっき読ませてもらった本を見て、私掴めて来たんですよ。おそらく彼にとっての芦雁図と私にとっての梅図襖は同じで、私は私より以前の私を知ろうとしているんじゃないだろうかって」
「僕はさっぱり話が掴めないんだけど。落ち着いて順序立てて話してくれ、言語は思考を全て拾えるほど細かい網じゃない」
男に諌められ、私は原因不明の熱病と盥回しにされた私の経緯について細かく話した。
「なるほど。それで、君以前の君っていうのは、どういうことなんだ」
私は注意して順序立て、私の考えを説明していった。
野沢、絵、特に近代の西洋絵画というのは、科学的に構築されたものだと言った。東洋のものであっても、ある種のルールによって描かれているとも言っていた。
それらルールの中で、透視図法や、空気遠近法と言ったものはあくまで奥行きを作り出す技術である。その他にも、現実世界にあるものから、何を、どのように抜き出すのかには絵によって様々なものがあるのだろう。あるいはそれは体系化されていない、画家自身も分からないまま行っている所作であるかもしれない。
 そういったいくつもの法則が絡み合って、一つの絵が生まれる。この世に同じ絵というのは、それがある絵を模した絵であっても、無いのである。
 その無数の作品のうちの一点が、結びついた一人に特別に作用するのだと思われた。私にとっては梅図襖がそれであったという話で、例えば話の男は、芦雁図であったというわけである。
風景そのものでなく、絵であることが鍵だ。
実体を持つ全ての物質は、光を伝って眼に届く。眼が色や形によって、それがどのようなものであるかを判別すると、意識も同時に働いて、それがなんというものであるかを判別する。
普通、眼と意識が別々に働いて視野を作り上げているとは思わない。しかし、絵を見る場合には、それらは分離して働く。
 絵は、平面的な視覚情報の塊として眼に映るが、実体を持つ何かとして意識に浮かび上がる。絵の具の点在した布を眺め、それがパリの街並みであるとなんの不思議もなく言わしめる。
 現実を模した絵でなくとも、同様である。溶けた時計はそこにあるように映るし、落ちる滝を辿るうちに上っていたりする。
 無論、東洋の絵画であっても同じことだ。
 これが絵であることが鍵たる理由であった。
人が絵を見る時に、わざわざ眼と意識が跛行して働いているということを自覚するだろうか。倒錯した視野に違和感なく、梅が雪をかぶってそこにあると思うのが普通ではないだろうか。
 眼と意識とのずれが起こりながら、それがずれだなどと思わせないように支える地盤というのを、無意識と呼んでいて、あるいはそれというのが、坊主の言った末那識であるということではないか。
 末那識は、そもそもの源泉たる私を担保しているといえる。
 眼が色や形を見て、意識がその秩序を知覚して絵が私の中に取り込まれるように、音や香りといったものもそれをなぞって私の中に取り込まれる。五感によって外界から認識されたものが、意識によって統合されて、私の中に起こる。
それと同時に、それによって、やっと私という存在が認識されるのである。色や声や香りや手触りといったあらゆるものを知覚することによって、外と内、世界と私とが隔てられ、ここで初めて私が私として私を意識することができるのである。
私という存在が意識される以前に、能動的に五感や意識を働かせ、そこにある何か私でないものたちと私を隔てようとしたのが末那識である。
末那識によって刹那的に外界と隔絶されることで私が発生し、その連続によって私は私固有のものとして在るようになる。五感と、それを統合する意識が正常に機能することによって私は私として持続することができるのだ。
「じゃあ、末那識っていうのが君以前の君ってわけだ。僕のためにも僕以前の僕があるってことだね」
古書店の男は絶えず本を振りながら言った。
「ええ。私は大方そうなのであろうと実感しています」
「目が色を、耳が音を、意識が秩序を対象とするのだとしたら、末那識は何を対象とするのだろうね」
男は淡白に尋ねてきた。
私が見た、あるいは梅図襖によって想見された、あの絵の中の世界こそが末那識の対象とするものなのではないだろうかと、私は思う。
坊主は去り際に、それが阿頼耶識であり、ひいては阿摩羅識につながるのだと言った。
「霊界とか、仙界と呼ばれるようなことなのではないでしょうか。あなたの本の話によれば、その先には三途の川があるのでしょうし」
「つまり、襖絵による眼と意識との差異の発生プロセスが君、つまりは連続した君の集合体であるところの君に特定的に作用したから、君は末那識を意識することができて、霊界を垣間見ているってことなのか」
「そうです。私は未だ霊界と顕界との間に浮遊していて、眼識と意識との齟齬が治っていないんです」
私の体を這う熱は、つまり霊界を意識上に感じた実感なのであろうと思われた。
「治すためには、もっと絵の奥に進む必要があるのだろうな」
男の大方の予想は、私のものと合致していた。おそらく、三途の川や絵の中の女に出会わなければ現状に変化は起こらないように直観していた。
「意識を朦朧とさせながら絵を見るのはどうだろうか。例えば酒とかクスリとか、大麻とか麻酔とか。面白い話を聞かせてくれたお礼だ。なんでも用意しよう。次来る時までに用意しておくよ」
男は本を振り続けながら淡々と申し出た。
おそらく、私の思考は漏れ出ているのだろう。いずれ私が私以前の私を目の当たりにしたとき、ついに私は世界に溶けて、私であったことを忘れるのだろう。
幽かな予感に恐怖が過った。
***
私は大麻でも覚醒剤でもなく、ワンカップを選んだ。古書店にはあれきり行っていない。雪の降る二月末のことである。
アルコールが回って、体温が仄かに上昇した。
 ふらつきながら館内を歩く私を、過ぎ行く人は皆怪訝な目で見た。国宝や重要指定文化財などそっちのけでこちらを見るくせに、忌避して体を仰け反ってみせている。
 何か言ってやりたい気分にもなったが、諍いを起こしたところで、非があるのは圧倒的にこちらの方である。
 途中で男がやってきて、退出を求められると思ったが、それは寛永寺の坊主であった。
 「ちょうど人肌には雪が溶けて、木の上には積もるくらいの気温だよ、今日は。君はちょうどいい時に酒を飲んできたね」
 そろそろだと思って、見届けに来たんだ、と坊主は言った。
 連れられて座らされた黒革の腰掛けは、いつもと肌触りが違って感じられた。音も香りも味も曖昧になって容れ物の中に混ぜられた。そうして、ぼんやりと襖を見つめた。
 体内に蓄えられた熱と、体を纏う熱の境が分からなくなってきた。
 枝が悠然と横たわっている。岩肌は少し濡れていて、踏むと滑り落ちそうだった。
 ここは山の中腹であると思われた。
命の雄々しさを雄弁に語りながら、しなやかに撓み、蜿蜒と伸びる梅は、それでいて嫋やかな女のようであった。
 枝の端々に蕾があって、それを雪が覆っている。近寄って触れると、やはり指先でじわりと溶けてしまうのだった。
 歩くたびにざくりと音がなるので足元を見てやると、土に霜が降りているらしかった。
 辺りは靄がかかっていて、遠くまでは見えない。梅と岩肌の他には何も無かったが、靄はその他を真っ白に染めたわけではなかった。いつかの雲のように、白と黒が疎らにあった。
 黒がぼんやり縦にあるのが見えた。梅の枝の先の方で、そちらの方へ歩いていった。
 後ろに梅が見えなくなりそうだというところまで来て、黒いのが人影であることがわかった。十歩くらい離れたところにいるが、靄で姿が見えない。
 「こちらへ来て」
 女の声であった。
 私は女に、ここは冥途か、仙界かと尋ねた。
 「来て」
 それが解答であるようだった。
 近づいても、女の姿は影だけであった。
 靄から手がにゅいと伸びてきて、私に触れた。
 手は私から熱を奪っていって、次第に私は冬の寒さに凍えることができた。それにつれて女が段々と形を帯びてきた。
 彼女の手に引っ張られて私は歩いた。ざくり。
気づけば梅が影を残して見えなくなっている。ざくり、ざくり。
 どこへ向かっているのか、訊こうにも口が動かなかった。ざくり、ざくり、ざくり。
 遠くに呼びかけるように手を振る男が見える。ざくり、ざくり、ざくり、ざくり。
 容れ物が割れていく音がする。ざくり、

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