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【㊗オードリーANN東京ドーム!】だけど行かなかった話とラジオの閉鎖性の良さ

はじめに

私はオードリーANNリスナー、通称リトルトゥースである。

東京ドームイベントが終わって熱気溢れるリトルトゥースのツイートが流れてくる中、自分も行っていたら絶対楽しかっただろうなと思った。

でもそもそも行こうとしなかった。毎週欠かさず聴いているし、1週間の楽しみの1つであることは間違いないのに。思えば好きなラジオのイベントは今までも行ったことがない。それはなぜか考えてみた。

ラジオに対する感覚

辿り着いた結論としては今回のイベントは「ラジオ」のイベントだからである。

私はラジオを1人で家でイヤホンをして流れてくるパーソナリティの声を聴くという良い意味で閉鎖的なものだと思っている。大袈裟に言うとリスナーである自分とパーソナリティだけの外界から遮断された空間が存在しているような感覚が少しある。

だから同じ番組を好むラジオリスナーが1か所に大勢集まって盛り上がるラジオイベントはどうもしっくりこない。


パーソナリティとの距離が近く感じられる点
がラジオの良いところの1つだと思う。

これはパーソナリティが聴いているリスナーを意識して話すから当たり前ではあるけれど、この良さがラジオとそのパーソナリティを好きになる最大の理由であって、パーソナリティと聴いている自分のみというある種の1対1の状況ラジオの閉鎖性を生み出していると思っている。

生み出された閉鎖性はラジオ内の内輪ノリを作る。内輪ノリと言うとイメージがあまり良くないかもしれないがそういった側面がラジオにはあるし、大きな魅力である。

ラジオ内の内輪ノリが理解できるとそのコミュニティに自分も参加できている気分になれて嬉しさを感じられるからかもしれない。

私は上記のようなラジオの閉鎖性が好きで、心地良さを感じているから今まで色んなラジオにハマってきたんだなと思う。

おわりに

結局、行ったことがないからラジオイベントの良さを分かっていない人間がただの自分語りをした短い文章になってしまった。

今になって配信を見ればよかったかな、と少し後悔している。なんて芯の弱い情けない人間なんだろうか。

では、おやすミッフィーちゃん。








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