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片付けは、さみしい

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物を捨てることが悲しい。
片付けが苦手な理由はそのためだと明確にわかった。

今日は、外に出る一切の用事を切り捨てて、家の片付けに粘っていた。
結果、ダンボールが残り4個になったのは大きな進歩だった。本当に、夏までダンボールが残っているもんだと、自分のスピード感ではそれが限界だろうとみくびっていたため、驚いた。ゴールデンウィーク頃にはおわりそうだ。
(荷物の片付け先が未定な物を、とりあえずここに入れておく袋を設定できたのが、今日の勝ち筋だった…)
最近、家での生活を乗りこなせる日が増えてきて  よかったなと安心する。
自分にとってどのような時間帯に頑張ったらいいか、疲れたらどのように休憩をとっていくか…もう一人で暮らして5年めになるもんね。わかってきたこともそれなりに増えたなあ。

片付けが苦手だということも、一人暮らしを始めてから気付いた。
それが、物を捨てられない種類だということも。
だから、これまでの自分は全力で増える一方の物達を抱えることに努力していた。溢れかえる メモを、文字を、落書きを、何度も検討しては家に残すことに決めた。

いつかの過去を、ゴミにする事が難しい。
過去の葛藤の記録を、自分に向けられた他者の筆跡を、残していくことを許し続けていた。

今日は、父親の字を捨てる事が悲しくて、それに打ちのめされていた。


でも、何度も検討を繰り返した物から「もう捨ててもいいかな」と思える物もできた。

それに安心できて、片付けの手がまた進んだ。
物の捨てれない自分に少し愛着がもててよかった日だった。


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日記について少しメモ...

↓昨日から少し考えていたこと
日記、
いま書けないことは、わからないことで
わからないことは今書かなくていいってことか...

文章を組み立てる行為が、何か発見や納得を得る目的だけに いつの間にか なっていた。かも。


日記は、
この夜に、「1日を終わらせる前」の時間内で書き留めれることを書く というものか...

私は「日記」で、
今日起きた現象を紐解いて理解する
をしようとしていたな。
そのツールがツールたらしめる理由が、多くの物に存在することを忘れていました。忘れがち。
日記は日記である意味があった...。

友達へ うだうだ言ってごめん^_‎^;

また改めて5日ほど、本当に日記をつけてみよう。それでまた考える~




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