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闇落ち話(2)

先日、亡夫の誕生日でした。
まもなく2回目の命日がきます。

このNoteも更新中です。Noteの仕組みって良く出来てますね。
ここまでに書けば連続〇ヵ月更新しますよ!的なメッセージが入っていると、じゃあ書くかと思います。

前回、闇落ち中の話を暴露しました。
優しいコメントもありがとうございました。

抗不安剤が効いていて、面白いもので飲み始めてから2日後くらいからピタッと意味不明の涙は止まりました。
だからといって、楽しくなるわけでもなく。

逆に、今きっとこの状況って泣きたいだろうな、と思うときに薬のおかげで涙が出なくなり、蓋をされている気分にもなります。
泣き叫んじゃえれば楽になれるかもしれないけれど、それもなくなったというか。

「抗不安剤」っていうけど、別に「不安」な訳じゃないんだよな。
「不安」って未来や過去に向けての感情のことを指す気がするけど、先も過去も見るのは疲れる。そんな感情はないのに処方されるのって面白い区分だよなとか色々思ったり。

先日、カウンセラーさんに過去に嬉しいとか楽しいと思ったときのことや、昔好きだったことを聞かれました。
これってカウンセリングやコーチングでは良くある視点を変えたり、自分を思い出させるような典型的な質問なのですが、これほど聞かれて苦しい質問はなかったです。
未来も過去もみたくない。考えるのが辛い、しんどい。
クライアントさんによってはこんな気持ちになるんだな、と学んだ気がしました。

相変わらず、アルコールと薬を摂取して自分で実験してみたり(あ、絶対やめてくださいね。ちょっとこの辺の専門知識があるから出来るだけで、一般的には絶対にやめて)、ちょっと眠気が出てしまい、電車を寝過ごしたり、相変わらず食に興味はないがお腹は空くので適当なものを食べ(体重減らないのがホントに不思議)、あとは引きこもっています。

最近、立て続けに事故現場に遭遇しました。
いずれも死傷者はおらず、よく死ななかったなと思うような奇跡的にセーフなケースや、セーフだったがゆえに乱闘に発展していたケースでしたが、それを横目で見ながら、「うーん、やっぱり事故死は迷惑かかるからよくないよね」とか冷静に考えてました。

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ホントに、何もかもが嫌(嫌いとかじゃなくて、やりたくない)。
でも相変わらず仕事はしているし、上司とは戦ってるし。
でも、自分の無力さ、表現力のなさ、ポジティブマインドの欠落状況、突っ走りの強さ(昔から直球ばかりでなく、たまにはカーブを投げられるようになりなさいと言われていた)、思考の柔軟性のなさ、こだわりの強さ、自由がない束縛に何とも言えぬ感情にもなり。

物事は変わらないので、向き合い方を変えるしかないのも重々承知しているのですが(一応、その筋の知識はあるので)、そこにつかうパワーがなく。そのまま突っ込んでいって、破綻する日々。

怒るとか、落ち込むとかってパワーがいると思うのですよね。
その力もないかも。なんだろう。とにかく何もしたくない。
週末もできるだけ用事は入れず、これまで惰性で続けていた習い事も退会し、夕方からビール飲んで酔っ払って(って弱いですよ)、引きこもり生活です。

という状況は、カウンセラーさん的にはオンオフが激しく、「バーンアウト症候群+うつ状態」、だそうです。本来、バーンアウト状態で、もっと休むべきだったところを夫が亡くなって半年後に気分転換と前向きになるために仕事をはじめ、それがあまりにもチャレンジングな仕事に手を出してしまったことで上手くいかないことにより「うつ状態」をプラスしてしまったという。だから、何もかもやめて、家に引きこもる時間を作るのは良いことですよ、と説明され、何となく「適応障害」には違和感があった私としては一番スッキリした見立てでした。

キッチンドリンカーとか、アルコール中毒の怖さは知っているので、それは怖いなと思ってましたが、今の量ならそれはないだろうと確認もできたので、一安心(消えたいけれど何かの中毒者にはなりたくないという変な理性)

一般的に精神疾患には日内変動があり、朝がひどかったり、眠れなくなる人が多いのですが、私は逆で、夜がひどくて、寝逃げしたいタイプ。
寝ている間は、夢に出てこない限りは何も考えなくて良いですからねー。

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とある会社の社員さんがご家族を亡くし、そのグリーフケア的に1年ほど関わっていた方が卒業されました。
最初はご家族を亡くしたにも関わらず普通に話していた彼に対して、「いやいや、あなたが話したいことはそれじゃないよね」と号泣に導いた(?)ことがきっかけで毎月カウンセリング的なことをしてました。
(カウンセラー資格を有するものとして、申し訳ないけれど号泣させたことはちょっと嬉しいw)
私の経験談も話しましたし、何度彼が泣くのを見守ったことか。

彼が卒業するにあたり、最後のセッションで色々私に対して感謝の言葉を言ってくれました。究極に辛かった時期を経て、グリーフの中の次のステージに進んでいることを双方で確認できた時間でした。
でも、ふと考えれば彼と死別体験について本音で話せた日々は私にとってのカウンセリング時間でもあったのかも、と気づきました。
彼が苦しんでいた波は私が経験した波でもあり、その大きさ、深さはそれぞれ違うけれど、言わんとすることはお互いに分かりあっていて、意外と私にとっても良い時間だったのだな、と思いました。

さて、それが無くなった私には、これから何が残るのだろう。

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世の中、がんや未知の病気で苦しんだり、生きたいのに生きれなかったり、志半ばで事故や災害で道が途絶えてしまったり。
たまたま夫は痛くない最期を迎えられる疾患でしたが、壮絶な最期を迎えるケースは山ほどある訳で。

そんな中、元医療従事者のはしくれとして、ただただ消えちゃいたい、終わりたいと思う自分は何なんだろう、恥を知れ、と思う今日この頃でした。
(あ、別にだからと言ってなにかする訳ではないくらい、冷静さはあるのでご安心を)

息をしている限りは基本的には生きるように身体は作られているのですよね。なんとも人生とは大変だ。とりあえず、寝ます(笑)


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