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闇落ち話(3):テニスを辞めた話

ここ数年間通い続けていたテニススクールも退校して、
長年続けていたテニスも辞めることにしました。

小学校低学年の頃から何となくラケットを振り始め(家族テニス)、海外在住時はコートが豊富にあったので、やたらとやってました。
親 vs 子でジュースを賭けて試合やったり(笑)

何しろ「勝てること」が評価につながる国にいたので、ジュニアのテニススクールではランキングが毎週掲示され、勝ち上がらないと落ちていったり、高校の部活も入部にあたりトーナメントがあり、上位何名しか入れないとか、そんなハードな感じでした。

家には「エースをねらえ」が全巻あって、ほとんどセリフ覚えるまで読み込んだなぁ・・・

でも何しろ私は「勝とう」という意欲があまりないタイプで、「あなたに闘争心があればもっと強くなれるのに」、と何度言われたことか。
大学の学内大会でも優勝候補と言われつつ、毎年決勝で最後に負けて、歴代に名前残せなかった。。。
その後も、なんちゃってアルバイトインストラクターをやったり、社会人になっても会社のテニス部で色々な団体戦に出たりしていました。
「テニスが好き」と思ったことはあまりないのですが(笑)、ダンナもテニスをしていたので、共通の仲間が沢山いたり、彼とミックス大会に出て表彰されたり、子連れでテニス合宿に行ったりしていたのも良い思い出です。

思い出話が長くなりましたが、要はそれだけ長く続けていたものだった、ということです。

で、それをなぜ辞めたのか。

辛くなっちゃったんですよね。
スクールでの真剣な人達や、ちょっとしたミスや惜しいショットで悔しがったり、笑っていたり、怒っていたり。上手くなりたくてコーチに一生懸命聞いている人がいたり。頑張って走って汗だくになっていたり。
みんながすごく楽しそうな様子。

何で、そんなに笑えるのか。一生懸命になれるのか。
プロになる訳でもないし、何を目指して向上心を持ち続けるのか。

そんなキラキラ頑張っている人たちを見ているのが、何とも辛くなってしまったのです。心からの笑い顔が、どうしても自分にはない。
もともと闘争心もないので、頑張ろうという気持ちもなくて。
試合も出たいと思わないし、仲間が欲しい訳でもない。
自分がもうピーク時を超えていて、上手くなる可能性もないし、上手くなるって何?みたいな。
私は健康のために惰性で通っていただけで、その割には長年やっていただけに、力の抜きどころを感覚的に知っていて、汗もかかない(笑)

ということで、この惰性でやってることも終わりにしたくなって、
何となく色々なことを捨てたくなって、
お世話になったテニススクールに退校届を出し、辞めてきました。

最後のレッスン後、家に帰ってストリングスも切ってしまおうかなと思いましたが、別に山口百恵さんのマイクをステージに置いて決別するようなすごいことでもないし(笑)、勿体ないのでそれはそのままにしておきました。
そして、クローゼットのダンナのラケットと一緒に閉まっておきました。

ダンナの病気、妊娠出産、介護等、それどころでなくて「しばらくお休み」はありましたが、今回は、ホントに今日でテニスとお別れだな、という気持ちでした。

これで、和太鼓もテニスも辞め、キャンプに行く相手はいなくなり、いつも履歴書の趣味欄に書いていたことは消えちゃったなと思いました。
こうして、断捨離をするのが今の私に必要なことなのかな。

とかいって、しばらくして復帰してたら笑ってください。



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色んなところで一緒にテニスやったこと、思い出しながらお墓行ったよ。
地方の交流試合、海外でのお遊びテニス、色々やったね。
今日の最後のテニススクール、サーブ練習はネットで終わり、最後のゲームも負けちゃったよ。でも、そんなものだったんだよね。

お墓のバラ、満開でキレイだったね。

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