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私の代わりはこの世にたくさんいる!の真理 とりとめのない話だけど真剣な話の章

私の代わりなんていない!

ー だから頑張らなくちゃ。

私がやらなかったらみんなが困る!

ー だから頑張らなくちゃ。

というのを生き甲斐にしている人にはつらい話となります。読まなくていいよ^_^

例外は、
親子
ツインレイ

親はなくとも子は育つ、は、
親が病気や事故などのどうしようもない運命の采配で、子どもが生きていくために力を与えるための言葉だと私は思います。

ですからそうではない場合、
親が生きているなら何があっても子どもには親はあなた方しかいませんから、
子にとって親はあなたの代わりはいません。
親にとってもこの代わりはいません。

これが基本ですが、

人間界は様々あります。

親子は完全にご縁であり、
互いに選んでいません。
ですから、気が合わないほうが当たり前。

夫婦は違います。
自分が選んだ人です。
親が決めた、とか、見合いだ、とかも、嫌なら断れる可能性があります。
Goサインを出したのは自分です。
ですから、何があった時に、
相手だけをを責めるということだけでは、解決しないわけです。

もちろん色々事情は違いますから、臨機応変に考えればいいです。

どうしようもない理由で、
たとえば、親の子への虐待、夫婦間のdv、
これはただちに逃げてください。
独りでの解決、または、身内の介入は不幸を呼びます。
第三者の専門家、つまり、
お金を得て仕事をしている人に入ってもらうこと。
絶対に独りで頑張ってはだめ。
親族に相談するのもやめたほうがいいです。

で、

こういう話ではなく、

私が思うのは、
私が地球を救うのだ!
私の代わりなどいないのだ!

的な話です。

だから、別に最初の読まなくていいですよ、
というのは、あまり意味はないかもしれないような話でございます。

つまり、
よいことはみんなで広めていけばいいじゃん、ということを書きたいわけです。

すると、著作権はどうなる?
みたいなことが頭に浮かぶ人もいるでしょうが、

お金が絡むから

ですよね?

するとまた私が話したいことと違います。

やっぱり、
地球を救いたい!
地球を守るのだ!
救えるのはこの私しかいない。
私の代わりなどこの世にいるものか!

みたいなのが嫌だということなのです。

みんなでやっていけばいいじゃん。

それぞれの力を合わせて。

より住みやすい地球にして、
たった一度きりのこの体とこの名前の人生を、それぞれに大切にして、
満喫しようよ!

という話です。

私にしかできないこと、
ってあるかもしれないけれど、
別に誰かがやりたければやってください、
だけど私を潰そうとするのはお門違いです。

誰かを妬んだり、
誰かが不幸になるのを快感と感じてしまうようなことは、ダメなことである。

と、私は感じます。

でも、そう思ってしまうなら、
そんな自分をしっかり受け入れて、
行動を変えていけばいい。
なぜ自分は自分を愛せないのか。
誰かを羨んだり妬むのは、やはり、
自分を愛しきっていないからです。

自分の全てを愛し尽くしたとき、

あなたが望む世界から素敵なお誘いが来るのです。

私が私が、というのは、

自分に価値がないと思い込んでいる人に見られる顕著な特徴です。
価値とか仰るのは古い時代の残像です。
価値?価値がないと生きていられない、という概念が、人を傷つけたりしていく種になると、私は感じます。

役に立たないなら生きている価値はない。

そうでしょうか?

嫌われていたら生きている価値はない。

そうでしょうか?

価値は概念です。
概念のせいでは基本的には心臓の鼓動はとまりません。
概念がトリガーになることはあっても、
実際には心臓の鼓動を止めることは概念単独ではできない。

嫌われてるな、と感じても(実際は嫌われていないし、好かれていたりする)、
価値ないな、と思っても生きていていいし、
生きています。
生きていていいのだし、実際生きているから。
実際周りに、嫌われているし生きている価値ない!とか、喧嘩した時にとか意地悪コメントで言われたら、まともに受けとめない、と決めてください。

そして、FUJIWARAの原西さんのギャグを是非取り入れてください。"生きる!"とこぶしを挙げて叫ぶギャグです。

原西さんは2兆個ギャグをお持ちだそうです。
余談ですが、
私が一番好きな原西せんせのギャグは、
(原西さんは私にとってギャグの先生)

テヘッ、テヘラン!と頭のところで手をパカッとするギャグです。

以下ネタ説明

フジモンがネタの中で原西さんに、
"死ね!"と言います、
すると原西さんが、こぶしを挙げて、
"生きる!"と叫ぶネタです。
知らないかたは是非動画チャンネルか何かで探してみてください)

精神的に苦しくてもう生きていくのも無理かな、と感じていた時、
もちろん鬱で苦しい最中は、
テレビを観る気にもなりませんし、
何にも興味もわかないですが、
心のどこかに以前観たお笑い番組やなんかしらのことが残っていたりして、
あと、私は音楽ですね。
音楽の道に進むつもりでしたから。

そういう、楽しかった記憶や経験が、
苦しい時に光となって生きる気力を与えてくれてきたように感じるのです。

価値という概念を用いるならば、
みんな価値あるんだよ。
なんかしら、わからないけど、
世界の誰かによい影響与えてるんだよ。

なんて、
思いました。

とりとめのないエッセイでした。

Memi33  from Venus
金星のメミちゃん

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