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本音の在処とは

公の場に本音なんて転がってるわけないし、そんなところに転がしてたまるか、と思う。

他人が目にする場所に転がっている言葉は大概、本音に色々な装飾をしたものだと思っている。
その装飾はその人の思惑によって色々な形があって、誰かを傷つけないようにするために丸みを帯びていたり、ひょうきんに見せるために変梃りんだったり、マウントを取るために無駄に豪華だったり、そんなイメージ。

その装飾は現代を生きていく中で、自分自身の心のバランスを保ったり、人間関係を円滑にするためには不可欠だと思う。
もし全人類が本音だけで生きていたら、きっと人類滅亡待った無しだ。
本音や事実に飾りの言葉や上っ面を纏わせることで平和に暮らしていけるなら、人類滅亡よりはずっと良い。
本当に大切にしたい思い出や贈り物に、くだらないマウントや悪意のある思惑を纏わせる事だけはしたくないなぁ、とは思うけど。

裸の本音は、自分の皮膚の内側でしか呼吸ができないものなんだろうなと、なんとなく思う。
余計な飾りを纏わせぬよう、まるっと自分の中に留めておくことも、ひとつの選択肢。

ただ、この思考は人それぞれで、1ミリも当て嵌まらない人だっているのかもしれないし、それが悪ということではない。逆もまた然り。
それで結局、私が何を言いたいのか、って?

公の場に本音なんて転がってるわけないし、そんなところに転がしてたまるか、と思う。
大事なことは、二回。

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