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不条理を飲み込む

仕事柄、クレーマーの対応をする機会が多い。
真っ当なものから、あまりにも見当違いなもの、なんかもうストレス発散したいだけでしょそれ、みたいなものまで多種多様なクレームをつけられる中で、まじ世の不条理だな、と思ったことがある。

それは、“クレーマーであればあるほど得をする”ということ。
設定されたルールの範囲を守る真面な人よりも、その範囲を怒りながら踏みつけて無いものとする人のほうが何故か得をする。
例えば、1万円の返品不可製品を不注意で誤って注文してしまった場合、ルールを守って諦めれば1万円分損をするのに、クレームをつけて埒が明かない状態を作り出せば、“特別対応”という新しい道が目の前に現れ、返品をして損をせずに済んでしまったりする。
裏を返せば、“真面目な人が馬鹿を見る”ということ。きもいなぁ、と思う。

クレーマーに限らず、同じようなことはいろんな場面に当て嵌めることができて、結局のところ、“横暴が勝つ世の中”なんだろうな、と思う。
自分の正義を如何にして他人に勢いよく振りかざせるかで、生き易さや心労は段違いになる。実際は誤りだったとしても、自分の中でそれを正として疑わずに突き進んで、怒りの感情や被害者意識にも繋げることができる。
ある種の才能なのかもしれないし、それが時には良い効果をもたらす事もあるのかもしれない。
正直、そこまで自分を正しいと思えるのは一寸羨ましくもある。体裁を整えずにものが言えたり、思うがままに行動できたらどんなに楽だろうかと思ったりもする。勿論、できるわけないのだけれど。

なんだか、文章が散らかってしまった。結局、何が言いたかったかというと、横暴が勝ってしまう世の中で、変わる見込みのない不条理を飲み込んで自分の正義と他人の正義どちらにも目を向けながら生きている人に、そうでない人よりもラッキーな出来事が何割か多めに起こると嬉しいな、ということ。
あの手この手で自分を鼓舞しながら、まるい心で生きて、ラッキーをいっぱい貰おうという魂胆です。はっはっはっ。

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