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自分の名前のことが好きではなかった話

果物の桃に子供と書いて“桃子”
24年間連れ添ってきた、私の名前。由来は母曰く「菊池桃子が可愛いから」らしい。
正直私は子供の頃、自分の名前をあまり気に入っていなかった。その理由は“子”である。

平成生まれのクラスメイト達はモエ・ミキ・メイ・アイ・ナツカ等々、可愛いイマドキの名前を持っていた。
私だって平成生まれなのに、わざわざ“子”なんて付けなくていいのに。昭和の子供みたい。しかもモモコって全部母音がOだから滅茶苦茶発音しづらいし。
せめてモモとかモモカじゃダメなの?妹はアユミだし昭和生まれのお母さんはカオリなのに。
今考えてみれば、折角付けてもらった名前にこんな悪態つくのも失礼な話だ。“黄色い熊と書いてプーさん”とかなら話は別だけど。

そんな風に思っていた事と因果関係があるかどうかはわからないけれど、高校を卒業する頃まで、他人から“桃子”と呼ばれることは殆ど無かった。
小学一年生の時に仲良しだったユカちゃん命名の“もんち”という謎のあだ名は、根強い人気をもって高校三年生まで呼ばれ続けていたし(今でも同級生はそう呼ぶ)、他に呼ばれるとしても、“ももちゃん”か“ちゃんもも”。家族ですら“ももちゃん”と呼ぶのだから、もはや“子”って何?おいしいの?状態だった。

そんな“子”に転機が訪れたのは大学一年生の春。
私は大学に三人しか友達がいなかったのだけれど、そのうちの一人が私のことを入学早々“桃子”と呼んだ。
初めての“桃子”呼び、少し戸惑ったのと同時に、響きは意外と悪くないな、と思った。
紛れもなく私の名前なのに、耳が擽ったいような気がした。

より自分の名前を好きだと言えるようになったのは、もう少し後、アカシック現場に通うようになったことで、年上の方々とお付き合いをさせていただくようになってからだと思う。
飲み屋なんかでもそうだけれど、何かの折に本名を伝えると、凄く良い名前だと褒めてくださることが多い。
褒められるたびに、なんだか自分の名前が誇らしくなる。

いつだったか、ある人に「桃子っていい名前だよね、モモカとかモモヨとかじゃなくて桃子なのが良い。桃子って名前が似合っている。」と言われたことがある。
私がハッキリと自分の名前を好きだと言えるようになった一番のきっかけはこの言葉だったと思う。
永く自分の中にあった“子”への悪態は、その言葉でいともたやすくスッと昇華された。

果物の桃に子供と書いて“桃子”
私はその名前が好きだ。一生連れ添っていく私の名前。
今も私はその名前が似合う人でいられているかなぁ、とかたまに思ったりするよ。

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