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心のバランスについて

悲しいニュースを聞き、まさかと思う度に、空気の塊が喉の奥から押し上がってくるような息苦しさを覚える。
何があって、どういう経緯で、何を思っての事かは本人のみぞ知る事だけれど、その瞬間は誰にでも起こり得ることだと思う。勿論私にも。

心のバランスを保つことは、酷く難しい。
その難しさと日々戦う人もいれば、難無くバランスを取り続ける人もいる。
ただ、その得手不得手よりも重要なのは、バランスが崩れた時、それに気付けるかどうかだと思う。

私の場合、本来メンタルが強いわけではない。良くも悪くも周りが見えすぎてしまうし、共感性羞恥の如く他人の悲哀や惨めな気持ちを感じ取りやすい質だ。不安感があれば心臓は破裂しそうなほどバクバクと煩くなるし、身も心も泥になって地を這う時もある。

ただ、幸いなことに、心の乱れに敏感な分自分の状態にも気付きやすく、20年以上の付き合いによって、少しずつ自分向きの対処法も培われてきた。
例えば、不安の根源を探して、思考の逃げ道を作ることで少し落ち着く事。崩れたバランスには、優しくて美味しい食事や感情が揺さぶられるようなエンターテインメントが良く効く事。どうでもいい事に対しては、なるだけ感度を低めておく事。
そんな風にテーピングを巻いていくことでいつの間にか、基本的にはそれなりに図太く、安定感をもってやり過ごすことができるようになったのだと思う。

私が思うに、一番怖いのは、自分への感度が低い状態だ。
自分への感度が下がると、心の状態に関係なく、平気な顔をして暮らすことができる。その代わりに、心のバランスの悪さにも気付きにくくなる。
何かの折に平気な顔をしながら、無防備な状態で崩れ切ったバランスに気付いた時、一寸先は闇かもしれない。

今年に入って一変した規制のある生活や、嫌でも耳や目に飛び込んでくる悲しみや苛立ちは、感度を下げるのに十分な材料になる。そうでもしないと、身が持たなくなる人もいる。
もしバランスの悪さに気付けたとしても、それをなんとか立て直す手段が規制されていることもきっとある。そんなのあんまりだ。

今は、唯々自分をこれでもかというくらいに甘やかして暮らしてほしい。私もそうする。
見たくない物は徹底的に遮断して、疲れることからは早めに逃げて、幸せになれる事に集中して、煩わしさには唾を吐いて塩を撒いて。
どれだけ頑張って平気な顔をしていても、命を絶ってしまったらそれまでになってしまう。

色んな人と交わす“またね”が、ちゃんと“またね”であって欲しいと心底思います。

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