見出し画像

"美味しい"の共有不足

近頃、仕事が忙しい。イージーOLど真ん中の私からそんな言葉が出るなんて。
とはいえ、このご時世や身の回りの人たちのことを思えば、それもありがたいことに感じる。
ただ、今日はそんな話をしようとnoteを開いたわけではない。楽しい話がしたい。

stayhomeという言葉が飛び交う今、私にとっての娯楽は紛れもなく料理だ。
元々好きな事ではあるけれど、ここ最近その気持ちに拍車がかかっている。母も妹も意欲が湧いているらしく、ここ最近の休日、我が家のキッチンからは1日中いい匂いがする。今月の光熱費が少し心配になるくらいだ。

私に限って言えば、ずっと欲しかった曲げわっぱをこの機に購入して常備菜弁当を始めてみたり、お菓子、パン、お酒の肴や晩御飯等々、料理なら何でもござれといった感じ。
何でもござれ、と言いつつやっぱり出来不出来はあって、私は何が得意で何が苦手なのか、この頻度台所に立つことで分かることもあった。子供の頃から好きだった事についての発見や閃きが、二十代半ばになってもまだまだ沢山あるなんて、なんて楽しいことなんだろうと嬉しくなる。料理が好きだなぁ、と思う。

そして料理において、その一品を食べる“誰か”がいるかどうかも大切だ。
どれだけ見映えを良くしても、誰の口にも入らなければ意味が無い。インスタ映えより、如何に味が映えているかを気にしていたい。(見た目の良さは美味しさに繋がるので勿論見映えも大切!)
私の家族は少々偏食で、拘って作ったものほど微妙な顔をされてしまう。それはなんだか味気無いので、私にとってその“誰か”はしばしば自分自身になる。
食べることは勿論好きだし、幸せな気持ちになれる。超絶美味しくできた!という喜びを感じたり、次はこうしよう!と改善点を見つけることができるので、それも悪くない。
でも、贅沢を言うならば、私以外の誰かにも食べてほしい。舌が良いかどうかは問わない。とにかく美味しいを共有したいのだ。

stayhomeしなくても、密です!と言わなくてもいい日が来たら、色々考えるので、どなたか一緒にご飯を食べましょう。そんなお誘いみたいな話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?