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なんてこともないけれど

最適解を求めて彷徨っている。

真夜中の海に浮かんだ小舟の様に。
天候は安定せず、月や星に頼る事もままならないが、ただ進む。

先日のライブのMCで話した話題が、珍しく自身の中で灯り続けているので、文字に起こしたいと思う。

"Choose Life"とはよく言ったもんで
Trainspotting』



人は常に何かを選択しながら生きている。

その中で我々は、より良いものや正解を求めて頭を悩ませる。
時としてそれは過度に、もしくは散漫に、選ばされたり、無意識下に。
その度に、グッドチョイスだったり、チョイスミスだったり。
まるで全てはくじ引きかのように、人生の、あれやこれやを鑑みる。

では選択の因果で、是非は既に決まり切ったものなのだろうか。
そもそも、正解不正解って何なのか。

後天的なものも、大いにあり得るのではないだろうか。

いつもと違う道を選んだ、
100円拾った、花が咲いていた、転んだ、雨が降り出した、猫がいた、犬に吠えられた、急な階段があった、
少し早く駅についた。

いつもと違う道を選び、少し早く駅に着いただけならば、その選択は良かったと言えるが、その間に起こる事象の一つずつには、人によって良い事も悪い事も内包されている。

選択と結果には必ず、そこに至る道中の物語や、その道の先がある。

選んだことを誇ったり、後悔することは実にシンプルだと思う。

しかし、選んだことを正解にしたり、不正解にするのも、実は自分自身なのではないだろうか。

一見散々な目に遭ったとしても、粘り強くその道を進み続けた先に思わぬ収穫があったりもする。
周りに否定され、蔑まれ、笑われたとしても、それは本当に間違った選択なのだろうか。

正しい道を選ぼうと、思案する事も勿論素晴らしいが、それと同じか、それ以上に、選択を正しいものたらしめる、強さも時として必要だと思う。

狙い通りに生まれてきた人間なんて、恐らくは一人もいないであろう。

選ばれ、選ばされて、歩いてきた人生の成功や過ちは後から、いくらでも上方下方、軌道修正できる。

選ぶことよりも、気付き、進む事に一抹の期待を抱いて。

アイスのあたり→無料でもう一本食べられる

アイスのはずれ→無駄なカロリーを取らずに済んだ

力業、へ理屈であろうが、少しでも生きる救いになるならば、したたかに。

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