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短編ホラー小説レビュー②【備えあれば憂いなし】結婚と美肌と若さに執着し過ぎた女の、おぞましく惨憺たる末路

#小説レビュー #山崎洋子 #美肌 #凄まじき女の執念

本作は初出が1993年、今から27年も前の作品のため、今読むと完全に晩婚化が進んだ現在とでは結婚適齢期に対する感覚にかなりのギャップを感じるかも知れないが、小説とはいつの世も時代背景が如実に反映されるものだ。それ以上に、美と若さに対して怨念じみた執着と執念を持つ女は、いつの世も常に一定数存在し続けるのは変わらないことも。

主人公の直子は23歳のOL。ある日の昼休み、近隣の企業に勤める若いOL達御用達の休憩スポットとして知る人ぞ知る穴場であるホテルの宴会ロビーにあるトイレに置かれたソファーでくつろいでいた。   

現在の商業施設ならもはや当たり前だが、作品発表当時にはまだ珍しかった、全室便座シートがボタンひとつで出る機器、ウォシュレット完備のトイレに加え、化粧室の名前通り、ドレッシングルーム(手洗い場)は三面鏡、ティッシュペーパーの他、コットンに綿棒、さらには生理用品まで常備され、幅広ねソファーまで設置されている、至れり尽くせりの場だ。

そこで直子は他社のOL達が、社内旅行で目の当たりにしたという35歳の主任のすっぴんの話題で盛り上がっているのを耳にしてしまう。

素肌はしみだらけ、眼は垂れ下がり、30過ぎたら女はどうしたってババアになっちゃうもんね、と言い放題しまくったあげく、彼女らはマナー悪く化粧直しの片づけもせず、トイレを後にする。

直子は彼女らの言いたい放題に、思わず鏡を覗き込む。容姿は人並みだが、直子は色白な自分の肌にだけは密かに自信を持っていた。実際、彼女はその美肌から、色の白いは七難隠す、の言葉通り、周囲からは美人扱いされている。しかし実情はその美肌をキープするために外国産の高額なコスメを常用し、週2のエステ通いのため、給料の大半はそれらの美容代で消えてしまうという、かつかつの生活を送っていた。

そこへ、レモンイエローの高価そうなスーツに身を包み、先ほどまでソファーに同席し、オペラのプログラムに目を通しながら優雅に煙草を燻らせていた30代前半ほどの女が、直子に声をかける。                カルティエの腕時計をした女が差し出した名刺には、

『W・G・B東京支社 営業課 三枝留美』

とあった。女ーー留美は、思わぬ話を直子に持ちかけた。

W・G・Bーーワールド・ゴージャス・バンキング。何と若い肌を貯蓄することが出来る肌の銀行であり、まだ30代前半にしか見えない留美の実年齢は43歳で、30歳のとき肌の若さを一部貯蓄したため、その若さを保っているという。

あまりに荒唐無稽な話に直子はためらうが、今後の生活や切羽つまった経済状況から、直子はW・G・Bへの肌の貯蓄を即決する。30代になったら貯蓄を下ろし、女盛りを華やかに過ごすべく。

コスメだけは外国産の高級品を使うのはそのまま、エステ通いをやめ、4ヶ月後のボーナスで借金をすべて完済し、かつかつの生活から抜け出して精神的に余裕の出来た直子は、経済的にゆとりも出来、交友関係も広がり、その中で大手航空勤務の営業社員と知り合い、交際を初めた。万事がうまく進んでいるかのように見えたが、この彼(作中で名前は出て来ない)が、予想外のクセ者だった。

彼は金持ちの贅沢に育ったボンボンで、生活用品のひとつひとつに至るまで、あらゆるものに対して高級志向が強かった。しかし彼とはいずれ結婚出来るものと思い込んだ直子は勝手に先走り、将来彼が海外勤務になる可能性を考えて英会話教室に通い、彼の薦めで社交界の礼儀作法を学べるソーシャルスクールにも通い出し、その結果、サラ金(現在なら消費者金融)にまで手を出す羽目になる。

あげく、彼は直子にエステ通いまで薦めてきた。目の下の皺の寄り具合が、38歳の彼の姉そっくりだと言い放って。彼の無神経ぶりに直子はぐっと怒りをこらえ、

『あんたが好き勝手できるのも結婚までよ/妻の座さえ得てしまえば、あとはこっちのもの。しっかりハンドルを握って、わたしの好きなように操縦させてもらうからーー』

焦る直子は貯蓄の途中解約を申し出るが、留美は契約書を盾に、剣もほろろにあしらう。だが解約の代わりとして、直子の肌の貯蓄を担保に融資の話を持ち出すが、利息は年に5割、つまり2年ごとに1年分の若さを持って行かれるという、闇金のような取り立てであり、さらに、

『返すのは利息だけじゃないのよ。元のほう(肌の若さ)は、あなたの貯蓄が満期になった時、それで精算していただくわ。あ、それから取りっぱぐれがないよう、利息のほうは自動引き落としになってるの』

ーーつまり、融資を受ければ貯蓄が満期になった際にはもう肌の若さの貯蓄は0円になっているということなのだが、もはや直子はなりふりかまっていられなかった。

10年分の肌の若さを取り戻したものの、なんと貯蓄していたこの1年間で、直子の肌は約2年半も老化していたのだ。

それを境に、直子に対する彼の態度はあからさまに変わる。友人や知り合いから借金をしてまで彼の海外出張先のローマにまで向かうが、彼は直子の勤務先に勤める後輩を通じて直子の借金の事実を知っており、さらにはそれを寸借詐欺とまで言い、

『噂の種は消しといたほうがいいんじゃないの。プロポーズしてくれる男が現れるまでに』

直子は帰国と同時に上司に呼び出され、社員達から借金している事実を指摘された。追い詰められた直子は社員のプライベートな秘密事項を知ることが出来る人事部調査課所属という立場を利用し、露骨にその弱みを握って、社内の友人や知り合いに借金話を持ちかけていたのだ。

そこから、さらなる直子の転落が始まる。社員達への借金を返済するための自転車操業の果てに、サラ金からの借金は600万円にまで脹れ上がり、遂には自らその身を風呂に沈めた。

土日のみとは言え、ダブルワークでのソープランド勤めによる、店側の過剰なまでの清潔さと化粧の義務のため、さらに精神的なストレス、毎月の容赦ない利息の取り立てで、直子の顔一面にはちりめん皺が出来、額にも頬にも顎にも、針の先でなぞったような皺がびっしりと刻まれるまでに、大劣化を遂げてしまったのだ。

その顔で、直子は既に帰国しているはずの彼に会うべく、彼の会社に向かう。

当然ながら、直子の恐ろしいまでの変貌ぶりに、彼は一目でその女が直子とわからなかった。

人目を避けるため、ふたりはほとんど客の来ない、彼の会社近くの路地裏にある古ぼけた喫茶店に向かう。

そこで直子は、彼から結婚の約束なんかした覚えはない、とはっきり告げられる。

実は直子は現実世界のサラ金だけでなく、肌のサラ金にまで手を出していた。それも、W・G・Bとは別の、こちらも闇金機関に、この1ヶ月の間、3つも。

直子は彼の目の前で約束金機関の1つに若さの借金をすると、その皺だらけの顔面はまるでアイロンがけされるように、瞬く間に消え去る。しかし借金の方も自転車操業が繰り返され、直子の顔は片方は若くなり、もう片方は皺枯れてと、顔面崩壊と形成を繰り返して行く。

悲鳴を上げ、逃げようとする彼を直子は逃がさなかった。そして過酷な取り立ての果てに、直子の顔は、

『ガラスに石でもぶつけたように、その顔はひび割れた。もはや小皺ではない。刃物で切り裂いたような大皺だ。染みも痣のように大きくなり、そこだけ鮮やかな血溜まりのような色で、片頬をおおっている。眼の下は抉られたように陥没し、乾燥ナマコのような唇からは、だらりと涎が垂れている』

ーーという、凄まじい形相である。

衝撃のあまりへたり込み、もはや声も出ない彼の唇に、直子は涎の垂れる唇を重ね、心の中で3つの機関へ、借り入れ金限界額の数字を立て続けに送った。

「大口融資を!」と叫んで。

だがその直後、直子の脳内に並んだのは、

『自己破産』の四文字だった。

直子の顔はどろりと溶け崩れ、腐臭を放って彼の唇へ流れ込んでいった。         ーー熱い愛の言葉のように。        

©️角川ホラー文庫「亀裂」収録/電子書籍なし









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