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飲みすぎた夜、後悔の嵐


ロシアには「悲しみは海ではないからすっかり飲み干してしまえる」という諺があるそうです。

 悲しみは海ではない。

はたして本当にそうでしょうか?
ある人にとっての悲しみは海かもしれないし、またある人にとっての悲しみは宇宙かもしれません。

 ひとつひとつの悲しみは、振り返ったときにはもう既に、海ほどに大きなものではないことが多いです。なぜ悲しんでいたのかわからない程度に小さくなっていることが殆どかもしれませんが、悲しみが自分に降りかかったその瞬間は、飲み干してしまえるような有限なものではなく、海のように無限で、広く、深いものだと思います。悲しみが飲み干せる程度に小さくなったときに飲み干したとしても、消費や排出されるものではなく、ずっと自分の中に残り続けます。

 私はあと数日で24歳になります。
数々の失敗や挫折を経験し、悲しみを覚えました。努力が報われないことも知りました。

 最大の人生の挫折は高校受験失敗したことですが、悪い経験ではなかったと、今は思います。落ちたからこそ大好きな友達にも出逢えたし、別の道を歩んでいたら、別の人間に成長していました。
ただ、その頃に感じた思いや悔しさ、不甲斐なさを忘れていません。受験が終わってから約10年が経ちますが、未だ夢に出てきますし、斜に構えた性格をこの経験のせいにしたりなど、かなり引きずっています。

「悲しみは海ではないからすっかり飲み干してしまえる」

 この諺の意は「時間が経てば忘れるのでいつまでも引きずらない」というものらしいですが、真意は「悲しみを受け入れ、自分の中に取り込み、それを守り続けなければならない」ということではないでしょうか。悲しみを海に流して中和する、といった方が近いかもしれませんね。

 何が言いたいかというと、飲みすぎて後悔しております。早くこの後悔をホコリくらい小さくして捨てたい所存でございます。もうなんもわかんないですわ、えーっと?悲しみは海、後悔はホコリ!世界のば〜か、くそ!

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