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マイ・アンビエント・ミュージック

 ツイッターで音楽の話をすることはあまり無い。わざわざ公の言論空間で発信するからには最低限「オピニオン」もしくは「エンターテインメント」たるものでなくてはならないという自身の強迫観念めいた拘りから、私的要素の濃い領域に関しては意識的に遠ざけるようにしているが、あくまで積極的に話すことがないというだけであって、改めて振り返ってみると、それなりにノーミュージックではノーなライフだったと思う。

 表題の「アンビエント・ミュージック」は本来、空間に雰囲気を添える「環境のための音楽」を指す用語であるが、自分にとっては、いつも己の傍で鳴る「環境としての音楽」を意味するものだ。そして、個人にとっての環境とは、同時に「背景」でもある。その人の傍らにある音楽を知ることは、その人自身を知ることに等しい。だからこそ、自分は初対面の相手にはまず「好きな音楽」を聞くし、各々の「環境としての音楽」を傍受する機会としてカラオケを愛好している。

 「カラオケで歌われる歌」。それは所謂「好きな音楽」とは意味合いが少し変わってくる。聴くことは受動であるのに対し、歌うことは能動。そして能動である以上、そこには必ず推進力となった「意図」が存在する。自分はこの選曲に潜む「意図」に思いを馳せた瞬間に訪れる、他人の人生を追体験するような錯覚に、どうしようもなく魅せられているのだ。

 十代にして既に四十代並みの貫禄を纏っていた悪友の歌う姿がやけに様になっていた鈴木雅之「恋人」。二番目に好きな人と婚約することを選択した先輩がしどけなく歌い上げた大黒摩季の「夏が来る」。Roxyの似合うバイト先のギャルから放たれたまさかのSuger「ウェディング・ベル」。類稀なる作曲の才能に恵まれながら、その才能を浪費することを愉しんでいた旧友が己に重ねるようになぞった、吉田拓郎の「落陽」。家に帰りたくないという理由から男の許を転々としていたあの子が、ぶつけるように歌った久宝留理子「男」。スナックで居合わせた酔っ払いのおっちゃんが、ママの気を引こうと呂律の回らぬまま熱唱したチェッカーズ「ONE NIGHT GIGORO」。

 そんな出会いから始まったこれらの楽曲も、今では自分の持ち歌だ。大抵の年代であれば即時対応可能なレパートリーの広さがカラオケにおける自身の売りの一つではあるが、それは特別音楽に造詣が深いことを意味するわけではなく、単に選曲の際にフックとなるものが己一人の嗜好だけではないというだけの話である。

 このように書いてしまうと、まるで「他人の能力を吸収し我が物にするタイプの能力者」のようで何とも悪趣味極まりないが、これについては散歩と同様、自身の嗜好や志向さえ届かない先にある領域に触れられる機会を愉しんでいるだけなので、どうか見逃して欲しい。一方で、それなら自分もカラオケでは己の環境音楽を曝け出しているのかというと、実はそうでもなかったりする。

 自分にとって「人と行くカラオケ」は、相手の環境音楽をどこまで引き出し、バイブスを合わせられるかという類の試みであり、それはどちらかと言えば本来の意味の「アンビエント・ミュージック」に近い。思うままの選曲は「一人カラオケ」にのみ許された特権である。しかし、人の環境音楽を勝手に傍受しておきながら、自らの手の内は晒さないというのは、我ながら何ともアンフェアな話である。そういうわけで今回は、これから自分とカラオケに行く可能性のある人と、今まで行ったことのある皆様に筋を通す意味を込めて、自身の音楽遍歴を時系列順に紹介していきたいと思う。

Basement

 原初の音楽体験と言えばやはり「幼少期に車のカーステレオから流れていた音楽」だろう。音楽を嗜む者にとってそれはもはや「胎教の補講」とでも言うべき刷り込みの極致であり、ポジティブであれネガティブであれ、本人の聴く音楽の趣向に少なからず影響を及ぼす、まさに個人にとっての「環境としての音楽」を最も体現するものだ。自分が幼少期を過ごした90年代、父親が乗っていたのはホンダ「ステップワゴン」。まだカセットテープが現役で、聴きたい曲の頭出しにも苦労していたあの頃、カーステから流れていたのはこんな曲たちだった。

サザンオールスターズ「バラッド'77~'82」

 結成初期~「いとしのエリー」までのバラードナンバーから厳選し収録したコンセプチュアルなアルバム。サザンと言えば「夏」もしくは「エロ」というのがパブリックなバンドイメージであるが、このアルバムが入口の自分にとって、サザンオールスターズはオトナな「AOR」の代名詞だ。柄ではないが、「俺をとろかせる女でいてよ(わすれじのレイド・バック)」なんて一度は言ってみたいものである。思えば青学の卒業式の後、ゼミの有志で行ったカラオケで「ya ya」(※)を歌うことができたのも、このアルバムを聴き込んでいたからこそ成し得たシンクロニシティだったのかもしれない。

※桑田が青学時代に在籍していた音楽サークル「BETTER DAYS」の日々を回想しながら作ったとされる楽曲。

山下達郎「GRATEST HITS! OF TATSURO YAMASITA」

 自身のシティポップ的な趣向の土台となったのは、間違いなくこのアルバムだろう。最上級を謳うだけあって、収録曲も「LOVELAND,ISLAND」「甘く危険な香り」「RIDE ON TIME」など隙が無い。中でも「BOMBER」のあまりにもスタイリッシュなスラップベースは、自身が音楽を聴く上でベースの音を偏重する契機を用意したといっても過言ではないだろう。

CARPENTERS「Their Greatest Hits」

 「グレイテストヒッツ」が続いているが、音楽を「嗜好」ではなく「消費」するタイプのリスナーで構成された家庭におけるBGMのレパートリーは基本的に「ベストアルバム」が主軸になる。このアルバムが土台になったのは、自身の「ポップス・歌謡曲」的な趣向。メロディよりも歌詞に重点を置く自身のリスニングスタイルとADHDの先天的特質から、理解までに変換のプロセスを要する「洋楽」はこれまで一切興味の対象にならず、それはビートルズさえ例外ではなかったのだが、唯一カーペンターズだけは聴くことができた。意味が分からないかもしれないが、自分にとってカーペンターズの楽曲はもはや「邦楽」なのだ。カレンの精妙な節回しと文法的に正しい英詞が相まって、変換のプロセスを経ずとも何を言っているのかが感覚的に「分かる」のである。カーペンターズが自分に教えてくれたのは、良質なポップスの持つ普遍性だった。

1st contact

「初めて買ったCD」というのは、一般的なイメージほど意外と重要な音楽的転機ではなかったりする。少なくとも自分にとってはそうだった。プレゼントにCDプレイヤーを買って貰った小5のクリスマス、一緒に何かCDも買おうと検討した結果、「Choo Choo TRAIN」が収録されているという理由だけで購入したのがEXILE「EXILE ENTERTAINMENT」だった。EXILEと言うと、どうしても現在のLDH的イメージが先行するため意外に思われるかもしれないが、清木場在籍時のEXILEは「歌謡曲とブラックミュージックの融合」的な色合いが濃く、自分個人の音楽的趣向との嚙み合わせは実はそこまで悪くなかったりする。しかし、当時の自分は「Choo Choo TRAIN」以外の楽曲の殆どを完全に「捨て曲」と認識しており、特にグループとしてのEXILEにハマるということもなく、「Choo Choo TRAIN」の夥しい再生回数以外に何かが残るということはなかった。ちなみに二枚目に買ったアルバムはORANGE RANGEの「MUSIQ」。購入の決め手は単純に「流行」である。ミーハー根性ここに極まれり。時代の寵児的なグループによるダブルミリオンセールスまで記録した我々の世代では知らぬ者の殆どいないモンスターアルバムだが、彼らが「ミクスチャーバンド」であることを意識するようになってから改めて聴くと、少なくともただの「売れ線狙い」ではない、良質な曲が多かったことに気づく。フェイバリットは「シティボーイ」「謝謝」「papa」。

 Fanatic

  それまでは収録されている「曲」単体を聴くためにアルバムを買っていたが、三枚目に選んだアルバムは、明確に特定のアーティストの作品を求めて購入したものだった。ポルノグラフィティ「THUMPx」。自分が人生で初めてハマったアーティストであり、特にGt.新藤晴一氏には「詩情」の面で相当な影響を受けたと自認している、自身の音楽史における第一のエポックメイキング的存在だ。これは単純に母数の問題かもしれないが、音楽ではない繋がりで仲良くなった人や妙に気が合う人のポルノファン及びラバッパー率は経験上非常に高く、個人的に信頼している指標でもある。そんな彼らの5th「THUMPx」はBa.シラタマの脱退以後初のオリジナルアルバムであり、デビュー以来長らく屋台骨を支えたメンバーの離脱という「変化」に対するファンの危惧を見事払拭して見せた良盤だった。女性視点で女心の複雑さを歌う「Ouch!」に始まり、リードトラックである「ネオメロドラマティック」、緩急が心地よい上京賛歌「東京ランドスケープ」、「ラビュー・ラビュー」以上に成熟した関係を描いた「We Love Us」、もはや円熟の境地にまで達した「黄昏ロマンス」、浮遊感に包まれるリフレインが印象的な実験作「Twilight,トワイライト」、昭仁氏の直情型歌詞の真骨頂「ROLL」、新体制初のシングルとはとても思えない達観を宿した佳曲「シスター」、ストーカー紛いの妄想狂の心情を限りなくポップかつポジティブに歌った「ドリーマー」、晴一氏の遊び心が随所に散りばめられた「社員 on the beach」、疾走感あふれる正統派ロックアンセム「プッシュプレイ」、多くのファンおよびラバッパーの心にその名を刻んだ歴史的名曲「うたかた」、これまでのアルバムであればおそらく最後に収録されていたであろう「何度も」、代表曲のタイトルを盛り込んだ歌詞で自身のキャリアを振り返るとともに、ファンの抱いていた不安に対する「アンサー」をハッキリと示した集大成的アッパーチューン「Let's go to the answer」。もはやそこに「捨て曲」は一切無く、これは長い付き合いになるだろうと、そう確信した瞬間だった。フェイバリットは「まほろば〇△」「渦」「Part time love affair」「蝙蝠」「横浜リリー」。数としてはあまり多くはないが、ユニット名を体現するような艶っぽい曲が好み。

Initiation

  スクールカースト的な価値観を内面化し同化することで危機的状況を脱したという自身の経歴については前記事に記載したとおりだが、いわゆる「不良グループ」への所属に成功したことで、中学・高校時代はイニシエーション的に彼らの好むようなジャンルの音楽を聴いていた。まだ湘南乃風が「純恋歌」や「睡蓮花」をリリースする前の、知る人ぞ知る存在だった頃。実はこの時期の湘南乃風が結構好きで、今でも時々、当時を懐かしむように聴いている。例えば「覇王樹」は一見ストレートな応援ソングに見せて、韻をしっかり踏む技巧的な面や、泣いてもいいよというメッセージを「乾いた砂漠に咲くサボテン」という比喩に託す詩的な面も併せ持つ良曲であるし、「応援歌」は、かつて自分を救ってくれた”頭”の燻っている姿を見て、恩を返す時は今とばかりに「あの頃の気持ちを取り戻せ」と檄を飛ばす、シンプルに「アツい」歌詞。サビの寄せては返すさざ波のようなMOOMINの歌声も、絶妙にクールダウンの役割を果たしている。そして「ワンルーム」は、ヤンキーのアンセムというイメージの強い湘南乃風の楽曲の中でも珍しい「売れないミュージシャン目線」で支えてくれる彼女に対する感謝を歌う内容で、ボキャブラリーこそ彼ら特有のものでありながら、節々にマッチョイズムとマチズモを匂わせる「純恋歌」とは一線を画した、うっすら情けなさの漂うラブソングに仕上がっている。「地元離れ住んだ六畳一間 一人暮らしに慣れ始めて間もなくのお前はとても疲れてたから 少しでもそばにいたかった」「夏の香り夕焼け眩しい季節 コンビニ買い出しママチャリでニケツ」四畳半フォークとヤンキー的世界観の思わぬ親和性の高さに気付かせてくれた、自分の音楽史の中では割と重要な一曲。

 湘南乃風のみならず、当時の不良文化圏で流行していた曲は一通り漁った。LGY feat.NOA「KO.A.KU.MA」、LGY feat. 詩音「honesty feeling」、詩音「春夏秋冬」、DJ PMX「Miss Luxury」、OZROSAULS「AREA AREA」、AK-69「Ding Ding Dong ~心の鐘~」、NORTH CORST BAD BOYZ「バラまく夜」、般若「やっちゃった」、加藤ミリヤ「LALALA feat.若旦那」、MINMI「ヤッチャイタイ」、CHEHON「みどり」、KEN-U「DOKO」、MEGARYU「夜空に咲く花」、九州男 feat.C&K「1/6000000000」九州男 feat.BIG RON&RED RICE「出会い。。」INFINITY16 welcomz MINMI,10-FEET「真夏のオリオン」、時はゼロ年代後半、featuring文化華やかなりし頃。この辺りのアーティストとタイトルにピンとくる人は、だいたい同時代の不良文化圏出身者だ。以前社会勉強で六本木のキャバクラに行った時、自分についた嬢がちょうどこの文化圏の出身者だったことで会話が大いに盛り上がり、一緒に「KO.A.KU.MA」と「真夏のオリオン」をデュエットしたことは、なかなか刺激的な出来事として自身の記憶に刻まれている。あの瞬間、あそこは六本木のキャバクラではなく、今は潰れてバンバンになってしまった地元の歌広だった。

Element

 ここまでは順当に定型発達を遂げてきた自身の音楽的趣向だが、この辺りから徐々にその発達に影が差し始める。当時はDJによるMIX CDも流行していて、自分も例外なくDJ KAORIの「J-MIX」などをツタヤで借りては聴いていたわけだが、矢継ぎ早に繋げられていく楽曲の中で、妙に耳に残る一曲があった。それがCRAZY KEN BAND「37℃」。他の楽曲とは明らかに異質の大人の渋味が、自身の土台にあった「AOR」的趣向を揺さぶったのだろう。しかしその時点ではあくまで違和感止まりのまま時は流れ、契機が訪れるまでには約二年の歳月を要した。

 父親の友人宅に家族で遊びに行った際、偶然発見したクレイジーケンバンド9thアルバム「SOUL電波」レコ発ツアーのライブDVD。家主に交渉し地下室のプロジェクターで観せてもらった初めてのCKBのライブは、これまでのどの音楽体験にも当てはまらないものだった。ジャンルのボーダーを自由自在に飛び越える音楽性、ホーンセクションの存在感、唯一無二のキャラクター性、全ての要素が「東洋一のサウンドマシーン」を自称するに相応しいクオリティであったし、何よりいい年したオッサン達がやりたいこと、好きなことをとことん追求した結果が、高校生の自分にもわかるほど洗練された「カッコいい」ものであったということが、一つのカルチャーショックを惹き起こしたことは間違いない。気が付けば、ツタヤで関連作品を全てレンタルし、itunesへのインポートが完了していた。既に旧作10本1000円レンタルの時代、サブスク全盛の今ほどではないが、それなりにメジャーなアーティストの関連作品を渉猟すること自体は大した困難ではなかった。高校生活最後の一年。AKBブームが世間を席巻する中、自分は専ら「CKB」だったし、「ヨコヤマケン」と言えば、「横山健」ではなく「横山剣」だった。フェイバリットは「LOVE UNLIMITED」「レッドライト・ヨコハマ」「ガールフレンド」「シンガプーラ」「シンガポール・スリング」。結局最後は駆け引きに負けてしまう男の情けなさを、やせ我慢気味のスタイリッシュで表現するのがCKBのダンディズムだ。

 CKBが自身に齎したものは彼らの音楽だけではなかった。1960~70年代のカルチャーや流行語、「歌謡曲」というジャンル、ポンチャック、「円楽のプレイボーイ講座十二章」、「幻の名盤解放同盟」の発掘するカルト歌謡の数々と、その主宰である特殊漫画家 根本敬。渚ようこ、大西ユカリといった昭和歌謡のDNAを平成の世に歌い継ぐアーティストたち。中でも自分にとって一番の転機となったのは、ライブ盤「青山246深夜族の夜」における、野坂昭如との邂逅だ。「マリリン・モンロー・ノー・リターン」に「終末のタンゴ」。終末思想に基づいた前衛的な歌詞を淡々と、朴訥に、ドスの効いた声で歌い上げる野坂との出会いは、今思えば己の人生における初めてのメメント・モリだったのかもしれない。「ソノ日ノタメニ 鍛エテオコウ 君ノ覚悟ノ全テヲ 自殺・他殺・虐殺」

 そして野坂と言えばもう一つ、行きつけのスナックでデンモクを渡され「人生の一曲」を入れて欲しいと言われた時に、悩んだ末出した答えは彼の「黒の舟歌」だった。男と女の間に存在する絶対的な断絶を認めた上で、それでも関係を諦められずに船を漕いでいくその姿は、滑稽でありながらなお美しい。それはかつて根本敬が言った「でも、やるんだよ。」にも通じる、高潔な精神の漏出だ。自分にとってはいつまでもこう在りたいという、願いのような楽曲である。

Hero

 高校を卒業後、浪人生活を送る中で少し音楽に変化が欲しくなった自身の脳裏に浮かんだ選択肢は「ロック」だった。当時、大学生はWEGOで服を買い、音楽はロックを聴くものという漠然とした先入観があり、験担ぎの意味も込めて、取り敢えずロックを聴いてみることにした。まず手始めにツタヤの「J-ROCK」の棚から手に取ったのは、ASIAN KUNG-FU GENERATION「ソルファ」。困った時は取り敢えず知ってる曲が収録されていて、すごく売れているものを選ぶ。永きに渡り深い眠りについていた「ザイル・レンジメソッド」復活の瞬間である。とはいえ、以前とは違い「置きの一手」であることは自覚していたので、その内容について順当に「良いな」という感想はあったものの、それは求めていた新鮮さとは微妙に違うものであった。それでも「良い」と思ったことには変わりなかったし、ipodの画面から視覚的に見える中村佑介のアートワークも好きだったので、それからしばらくはアジカンに浸かる日々を送っていた。フェイバリットは「君という花」「無限グライダー」「君の街まで」「Re:Re:」。

 1stミニアルバム「崩壊アンプリファー」から、当時の最新譜であった6th「マジックディスク」まで一通り聴き込み、概念としての「アジカン」を大体理解した自分は、次なるアーティストを模索することにした。結局、事前に良さがある程度保証されているものでは自分の求める「変化」と呼べるほどの刺激は得られないということがわかり、「ザイル・レンジメソッド」再びの春は、敢えなく三日天下に終わった。しかし、いくら旧作10枚で1000円とはいえ、何の手掛かりもない中から無策で選び、目当ての刺激に当たるまでそれを繰り返すようなローラー作戦を実行に移せるほど、浪人生の予算は潤沢ではない。ではどうするか。そこで自分は己の頭の中に残った「ロックの残滓」を探してみることにした。これはかつてCKBを発見したメソッドである。経験による学習を経て、自身のディグスキルも着実に成長していた。そうして見つけたのがTHE BACK HORNの「コバルトブルー」だった。高校時代、好きなアニメのMAD動画でこの楽曲が使われているのを見て漠然とカッコよく感じたことを思い出したのだ。方針が決まったところで、早速その「コバルトブルー」が収録されている4th「ヘッドフォンチルドレン」と1st「人間プログラム」をツタヤで借りることにした。あろうことか、アジカンの次にバックホーン、しかもよりによって「人間プログラム」である。今でも自分は、この時の選択を少しだけ後悔している。

 「人間プログラム」を初めて聴いた者の末路は大きく分けて二つ。「生理的嫌悪」か「圧倒的没入」のいずれかである。いきなり「やらせろよあばずれ」などと吐き棄てるし、夏の張りついた音楽室であなたが弾いていたのはピアノではなかったし、おとなは優しい顔で全てを奪っていくし、空想家たちの作り上げたエネルギーの固まりは奇形を繰り返しながら吸い上げられていくし、排水溝に詰まった羽の折れた天使の死体は精液をぶちまけられて、母親は泣きじゃくる子供をよそに笑いながらミルクをまき散らし、眠れない男は戒厳令の中、壊れた女に水銀を打ち込んで、ヘリコプターの音と共に世界は破滅する。要約するとだいたいこんな内容だ。今となってはもう見慣れてしまったが、当時の自分の中で負の感情のこういった昇華の仕方は、選択肢にさえ挙がらなかった。それまで聴いてきた音楽で昇華されていた「ネガティブな感情」は、「失恋」や「失敗」のようないわば表層的な出来事についてのものであって、もっと根源的な、例えば「世界との融和の不可能性に対する絶望」のような感情について言及してくれるものは存在しなかった。というよりそんなものは自分以外誰も持っていないし、持ってはいけないものだと思い込んでいたのである。しかし、この負の感情を抱えていたのは自分だけではなかった。「俺たちはここにいる。」彼らの鳴らす音楽は自分の耳にそう聞こえていた。確かに存在しているという事実それだけが、今までのどんな気休めよりも心強かった。そう、自分が漠然と求めていたのは刺激でも変化でもない。常に罪悪感を抱え日々を生きてきた自分への「赦し」だったのである。

 それからというもの、折れそうな時はいつもバックホーンの音楽が傍らにあった。かつて難病を患い、大腸を全摘する大手術を受けた日。手術自体は成功したものの、翌日から始まった歩行リハビリは想像を絶する苦しみを伴うものだった。一歩進むごとに腹が裂けるのではないかという恐怖、管だらけの体。この先本当にやっていけるのかという不安に押し潰されそうになりながら、それでも歩みを止めずにいられたのは、イヤホンから「ひょうひょうと」が流れていたからだ。「守るべきは何なのだ 正義でも人でもなく 体刻んだ夜の痛みかもしれぬ」音楽を聴き始めて初めて、声を上げて泣いた。そう、この命が続くうちはまだ、自分の寿命ではない。点滴棒を固く握り直し再び歩き出したあの夜の痛みを、自分は今も頑なに守り続けている。彼らも歳を重ね、各々の世界との折り合い方を見つけたことでかつてのヒリヒリするような危うさはすっかり鳴りを潜めてしまったが、今も昔も、THE BACK HORNは自分にとって唯一無二のヒーローだ。フェイバリットは「孤独な戦場」「運命複雑骨折」「ひょうひょうと」「赤眼の路上」「冬のミルク」。

 そんなわけで「人間プログラム」を初めて聴いた自身の末路は、後者の「圧倒的没入」だったわけだが、先述したように、この選択には少しだけ後悔が残っていた。それは「人間プログラム」が与えた自身への影響があまりにもピンポイント且つ甚大だったために、他のアーティストの作品を聴いても心が動かなくなってしまったのである。いくらなんでもアジカンの次は早すぎた。ファンの方には大変申し訳無い話だが、結果的に自分は9mmにもストレイテナーにもACIDMANにも、ELLEGARDENにもナンバーガールにも、BLANKEY JET CITYにもTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTにも全くハマれなかった。己に対する作用という意味ではTHE BACK HORNの「人間プログラム」との出会いは確かに自身を救ったが、「ロックを聴く」という当初の目的に限って言えばそれは、致命的な失敗でもあったのである。

Religion

 THE BACK HORNとの早過ぎた邂逅によって不感症になってしまった自分の心に残ったのは、紛れもない「焦燥」だった。さすがにここで打ち止めというのはご無体が過ぎる。そんな現状の停滞を打破すべく考えた苦し紛れの策は、「バックホーンに近い世界観のアーティストを探すこと」。取り敢えず巷で「鬱ロック」と呼ばれていたジャンルのバンドから手当たり次第に当たってみた。Syrup16gにART-SCHOOL。バックホーンと並んで「三大鬱バンド」などと呼ばれていた両者に加え、当時同様に鬱バンドとして名を馳せていたTHE NOVEMBERS。しかしいざ聴いてみると、どれも自分の好きな感じであることは確かだったが、やはり曲に没入してしまうほどの衝撃は得られなかった。どうやら「鬱」であれば何でも良いというわけではなく、その中でも好ましいと思う「形」があるようだ。いよいよ八方塞がりかと思われたその時、自身の目に留まったのはかつて新宿で開催されたとある企画だった。

 その企画の名前は「化獣」。2001年末に新宿ロフトで行われた、THE BACK HORNを初めとする3バンドによる共催企画である。なぜこの「化獣」に目を付けたかと言うと、この頃はちょうど「人間プログラム」が発売されたばかりの時期で、この頃のバックホーンとツアーの対バンではなく「共催」で企画を打っているということは、音楽性や世界観の面で何かしら通じるものがあるからだろうという期待があったからだ。共催バンド二組の名は「TITTY TWISTER」と「COCK ROACH」。既に名前からしてアレである。何はともあれ、聴かないことには始まらない。当時の自身にできるあらゆる手を尽くして音源を探した結果、TITTY TWISTERの方は既に全ての音源が廃盤になっていたため入手を断念せざるを得なかったが、COCK ROACHの方は何とか音源をタワレコで入手することができた。1st「夢死の虫と無死の虫」「人間プログラム」もそうだが、とても1stアルバムを飾るタイトルとは思えぬほどキャッチーさが皆無である。しかし、そんな些細な共通点さえ、この時の自分には希望の象徴だった。諦念と期待が交錯する中、恐る恐るケースから取り出したCDをビクターのコンポのトレイに乗せ「close」のボタンを押した。

 そこには世界があった。遠藤仁平という一人の人間の描く法則に基づき運行する、形而上の世界。バックホーンも独自の世界観の下に生と死を歌うバンドだったが、COCK ROACHのそれはそもそも、表現のレイヤーが違っているように思えた。そこでは、遠藤仁平が死として描いたものが「死」の形となり、生として描いたものが「生」の形となる。彼は世界を描写するのではなく、世界の原理そのものを創造する表現者だった。バックホーンがヒーローなら、COCK ROACHは信仰対象。基本的に世界の解釈者は己以外にはあり得ないと考え、特定の信仰に帰依することを峻拒している自分が解釈権を委譲する、唯一の存在。それが自身にとっての遠藤仁平であり、COCK ROACHなのである。

 しかし、その存在を知った時、COCK ROACHは既に解散してしまっていた。その事実が信仰対象としての聖性をより強固なものにしたのは確かだったが、どれだけ取り繕っても所詮はバンドと一人のファン。生きてるうちに一度ライブを観たいという儚い願いを捨て去ることは、どうしてもできなかった。そんな折に飛び込んできたCOCK ROACH再結成の報。夢でも見ているのかと思った。何年か前に参加した「右脳夏祭り」で元メンバーがもうドラムはやらないと明言しているのを聞いてから、再結成の夢は半ば諦めていたからである。案の定、オリジナルメンバーでの再結成は叶わなかったが、それでも新譜を引っ提げての再始動。諦念に再び血が通っていく感覚を、体全体で噛み締めていた。しかし一方で自分の知らないCOCK ROACHに対する不安が全く無かったと言えば嘘になる。信仰はいつだって失望と背中合わせだ。現に、注文した新譜「MOTHER」が届いた日には、郵便局で受け取った箱を手に抱えたまま、ひたすらCOCK ROACHの旧譜を聴きながら日が暮れるまで街を彷徨っていた。側から見れば完全に不審者の挙動だが、自分にとってCOCK ROACHの「新譜」を聴くということはそれだけ重く、覚悟を要することだったのだ。その後、なんとか意を決して帰宅し、初めてCOCK ROACHを聴いたあの時と同じ気持ちで、ケースから取り出したCDをビクターのコンポのトレイに乗せ「close」のボタンを押した。

 なんのことはない。あの時見た世界がそこにはあった。遠藤仁平ある限り、COCK ROACHは存在し続ける。ただこちらに可視か不可視かという違いがあるだけだ。そして幸いなことに今は我々にもその世界が見えている。その事実だけで、今日まで命を諦めずにいてよかったと、心からそう思えるのである。フェイバリットは「食人欲求者の謝肉祭」「赤道歩行」「絵画の女」「鸞弥栄」「青い砂に舞う君の髪」。

 長くなってしまいましたが、これが自分の音楽遍歴の全てです。正直かなり異色の経歴であり、完全に一致する人間に今まで会ったことがありません。基本どんなに趣味の合う人もだいたい、湘南乃風で脱落します。湘南乃風が一致する人はだいたい、それ以外が全滅です。ただ、この異色の音楽遍歴が、現在のアンビバレントな要素の半分ずつを摂取する自身の処世術に繋がっていると思います。もし、これを読んで少しでもピンとくる人がいたら、落ち着いてからでも良いのでカラオケ、誘ってくれたら嬉しいです。また性懲りも無く傍受してしまうかもしれませんが。







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