9/29 壮絶なだるさを抜けて

低気圧ということもあってか、一日中憂鬱で停滞した気分に包まれるが、夕方以降に解き放される。気候や食べる物、生活リズムによって物事の見方が180度変わったりするのだから、いかに自我なんていうものが頼りないかが分かる。

SNSで見た、フリッジを鯖缶で煮る簡単レシピを作るためにスーパーに向かう頃には心も軽やか。道の途中、何人もの名門校らしきセーラー服を着た女の子たちとすれ違い、子供の楽しげな声が夕闇に隠れてどこかから聞こえる。家から歩いて数分のところにある小さな博物館の前に飾られた、大きな隕石のような玉のような石が、ぬらりと光って、その向かいにあるこじんまりとしたカフェバーからは美味しそうな匂いが漏れ出ている。

今の家にはもうかれこれ5年以上住んでいるが、いつか死ぬ間際に走馬灯を見ることもあるのなら、こんな日の景色と匂いが脳裏で再現されるのか?残りの人生はずっとこういうような、気怠いけど不幸のない、退屈な日々しか残されていないような気がする。寿命的にはまだまだかもしれないけど、いわゆる「生活」においては、どこか折り返し地点まで来たのかな、というような不思議な気分。

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