11/14 丸鶏の八つ落とし

耳の後ろに大きな粉瘤ができたので南新宿の耳鼻科にかかり、その帰り道、無性にラーメン欲がむくむくと湧き上がった。

南新宿の名店、風雲児や楢井製麺などを覗いてみるが、いずれも店内のカウンターがぎゅうぎゅうになっており、なんとなく敬遠してしまう。腹いせに入ったスタバでソイラテをすすっていたら、生まれて初めての感覚が訪れた。

ラーメンとか、作りたいな。

脱サラしたおじさんでも、TOKIOのメンバーでもないのにこんな感情になることあるんだ、と自分に驚く。すると、脳裏に浮かぶのは金色の油が輝く鶏がらスープ。さすがに寸胴がないとラーメンのスープは難しいか?タッカンマリもいいな。ここで帰りにスーパーに寄ることを決心した。

スーパーについた頃にはだいぶラーメン熱は冷め、骨つき肉をとにかく煮出して美味しい鍋か汁物でも作ろう、というくらいのテンションになっていた。精肉売り場を覗いて見ると、なんと珍しく1kg弱の中抜き丸鶏が2羽売られており、悩んだ末に購入。

家に帰って鶏を冷蔵庫にぶち込み、しばらくゴロゴロと現実逃避していたが、ついに決心して台所に立つ。YouTube動画の見様見真似で、鶏を8個の部位におろしていく。魚とはまた違う重みがあり、肉と油が詰まった命の塊であることをその感触から感じる。

小さい時に、家族が市場から生きた鶏を買ってきて、庭先でしめてから調理していたのを、よく見物していた。汚れた羽と、湯引きされた皮と、生暖かい血の匂いが入り混じったあの空気は、今も簡単に思い出せる。鶏をしめてる時の匂いって、鶏をしめてる時の匂い、としか現しようがない。たぶん、あの時も今も、私は高揚した心を表情で表現できずに、淡々とした顔をしているが、いい時間だと思った。時間が鶏の体を起点につながるような不思議で楽しい体験だった。

無事八つにおろされたのち、鶏がらでスープで煮出しながら一部手羽元とじゃがいもをぶち込んでタッカンマリ鍋を作った。鶏がらについた肉を器用に取り、醤油につけてちまちま食べたが、これもどこか郷愁を伴う美味しさ。残ったスープで、明日こそラーメンだ。

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