なりたいの正体
先月の講演会であきやさんが「おこがましいですけど」と前置きしながら、新コンセプトを発表してくださいましたよね。私だけでなく恐らく多くのガールズ達が「すでにそうですよ!?」って思ったのではないでしょうか。言語化はしていなかったけれど、私にとってあきやさんは既にそういう存在です。
そして、コンセプトとエルメスのスカーフがすごくマッチしていて、あきやさんがラッパ吹きながら旗を振って「日曜日からやってきましたよ~みなさ~ん!自問自答こちらです~!」と呼びかけてくれる絵が浮かびました。(どちらかと言うと夏服のイメージです)
アウトプットをしていると自分のことがどんどん見えてきますよね。それでもまだまだ整理しきれないというか、それはわかったけど結局どうする?ってなることもよくあるし、まだまだやることいっぱいあるんだなって思うわけです。
出てきたものは全部自分が出したもので、自分の中にあったものですよね?見えていなかっただけで。
ということは、「なりたい」も自分の中から出た表現の一つでは?と最近思い始めたのです。
なってないから、なりたいのだと思うのだけれど、なりたいの中の欠片のようなものは既に自分の中に存在している。だって自分から出たんだから。
それを少しずつ表現していくと、だんだん大きな塊になって他者からもそう見えるようになるのかもしれない。あきやさんみたいに。
ならないのかもしれないけど、なったらいいよね。笑
なりたい。は自分で一から決めたようでいて、自分の中から選び取ったものであったということだ。
つまり
みんななりたいものになる素質がある!ってことです。
わーい。着地~☆
できてます?できてません?
あともう一つ、演歌バッグが見つかって、私の演歌が確認できてからわかったことがあります。
私の演歌バッグはJIMMY CHOOしかないのです。
30万円もあったら他のブランドも買えるのでは?そもそも候補だったSAINT LAURENTにもGUCCIにも買えるものがあるだろう。もっと長年使えそうなクラシックな物も買えるかも。というか20万くらいでも十分では?みたいに考えてみたのですが、ないんです。
まだ実物を見ていないので見たら違ったということもありますが、それでも画像を眺めて歌った歌は実在します。バッグとして、所有しなくても実在しています。
他の楽曲と交換することは不可能なのです。
他にも素敵に持てるバッグはあるでしょう。世の中素敵なものだらけですからね。似合うバッグはたくさんある。(この間、私がGUCCIで浮気しそうになったように笑)お金があれば買うことも持つことも誰にも咎められません。
でも、そうじゃないんだ。
君じゃなきゃ歌は流れないというバッグをきっと演歌バッグと呼ぶのだと私は思います。(演歌というのが秀逸で、歌ですから、一曲である必要はないんですよね。一生懸命レコーディングして出し切ったら、また潜って潜って、その先に次のカムバがあるかもしれません。)
演歌もなりたいも自分から出た自分の一部。
それが体現するものになっていく。
自分を知る自問自答の旅は続いていく。
それは果てなく、愉快な旅路です。
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