心ない言葉が好きという感情に泥をかける
アニメ「夜のクラゲは泳げない」を観た。初見では良さを理解するのが少し難しかったが、繰り返し観ている内に正体不明の苦しさというか、昔よく感じていた感情を思い出した。
この気持ちはなんだろうと少しモヤモヤしていたが、ようつべのコメント欄を見ていてその正体がわかった。
作中では光月まひるが自分の描いたクラゲの絵を馬鹿にされたシーンがあり、まひるは自分が作者であることを咄嗟に隠す。
それは自分を守るための行動だったが、それ以来絵を描くことを止めてしまった。それって現実世界でもよくある光景だ。
自分の作ったものをちゃんと評価してくれる人ばかりじゃない。
中には茶化してくる輩もいて、それは仲の良い友達だったりすることもある。そこに明確な悪意があるわけじゃないのに感受性の欠如から心ない言葉をぶつけられるというのがこのアニメの解像度の高さだと思う。
好きという気持ちは強いエネルギーだと思うが同時に繊細な感情でもある。だから傷つくことを恐れ好きという感情を隠して相手に合わせてしまうことは少なくないと思う。
現代は理解も深まって多少息苦しさは軽減されたと思うが、それでも好きを自己主張できない人は今でもいると思う。
そんな繊細な好きの表現がこのアニメの軸なのかなと思いました。
作中では一度否定された好きを山ノ内花音によって肯定される。皆に否定されても一人の人間に「私は好き」と言われるとすごく救われた気持ちになるのはめちゃくちゃわかる。
そんな花音に引っ張られるようにまひるも走り出す。
現実は心ない言葉で溢れていますが、その中に埋もれている好きという感情を汲み取っていきたいですね。ではまた。
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