見えない思いやりを返しながら生きる
どうも
メインのスマホ、サブのスマホ、職場PCでそれぞれ使っているLINEアカウントの画像共有用に「全員自分」というグループを作りました
八重樫です。
「思いやり」という行動のゴールは、
する人とされる人がその行動を認識することだと思っています。
席を譲り、譲られる。
お互いがそれを認識してありがとう(ゴール)になる。
それを″見える思いやり″だとすれば、
僕はよく″見えない思いやり″をします。
例えばこんなことがありました。
人混みの中、
ある人が別の誰かに道を譲りました。
僕はそれを見て
「優しい人だな」と思いました。
僕がそのまま進めば、
きっとその人はまた譲ってくれます。
でもそれをそのまま続けたら
その人の進むスピードが遅くなるし、
道を譲るのがイヤになるかもしれません。
だからその人が進む先を予め空けておくのです。
するとその人はスムーズに進める。
譲った人にこっそり譲る。
その人は譲られたことに気付きません。
見えない思いやりです。
優しい人には優しいままでいてほしいし、
得をして当たり前だと思っています。
だから僕の完全無欠なる自己満足の元、
道譲りの刑を処すのです。
それでその人がイヤな思いをせずに進んでくれたらそれでイイ。
そんな思いやりがあってもいいじゃないか。
人はしてあげたことばかり覚えていて
してもらえたことは忘れがち。
思いやりにお返しなんていらないかもしれないけれど、してあげた人に優しい世界になったらいいよね。
そんなお話でした。
また更新します!
八重樫でした!
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