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令和5年1月5日

朝4:20ごろに目が覚めた
昨日の夜21時半くらいにTwitterの避難所で誰か22:30くらいまで通話しよう、待ってる とつぶやいて、期待を抱きながらイヤホンを耳に突っ込んだまま漫画を読んでいた
気づいたら2:40だった 誰からも何の連絡もなかった
やっぱり私は、そういう存在なんだなって思った
こんな私に優しくしてくれる超いい人なんていなかった
ずっと前からそうだった

配信を始めたとき、気持ち悪いおじさんたちにたくさん絡まれた
出会い廚もたくさん接触してきた

かわいい とか 好き とか そんな誰でも簡単に口にできる言葉に一喜一憂していた自分が恐ろしく馬鹿みたいで、今でもそうだ

あまり配信には来られないけど、気にかけてくれている人がいる
また私もその人のことを気にかけている 前文はもしかしたら勝手な思い込みかもしれないけど 私はちゃんと全部見てる
存在が遠くて 語彙も達者で私がそのすべてを理解することは難しい
でも、その人の言葉を見るたびに、そういう考えを持った人もいるんだな、今はしんどいのかな、苦しいのかな、何がしてあげられるのだろう、と考える なんだか片思いみたいだ
うまく伝わってるか分からないけど膨大な文章が羅列されるタイムラインにそっと言葉を置くようにしている 自分ばっかりのタイムラインはすごく悲しいから この瞬間、苦しいと叫んで泣いて喚いているのは自分だけだと 私は思っていつも 悲しさが倍増してしまうから

私は 誰かに褒められたい 誰かに認められたい
承認欲求だろうか 人間として生まれてきたのなら 生まれてしまったのなら 誰しも一度は思うのではないだろうか
こんなことをいうと あの人はまた「私はそうは思わない」と思わせてしまうだろうか 悲しいものだな

年末から睡眠のペースがぐちゃぐちゃになってきている
眠くならないけど眠らないと仕事に影響が出るから、睡眠薬を飲んで寝るのに、朝起きるのは5時とかで本当に擱きたいのは6時半でいいのに
一度起きたら眠れない
布団で最近気に入っているBGMをかけながらだんだん冷たくなる足元と、光が差す窓を眺める
とっくの前に起きているのに解除し忘れるアラームを止める

こんなことを一週間以上、元旦を挟んでも続けている
選んだバイトが悪かったのか、何も考えずにシフトを出してしまった私が悪いのか、出したからと言ってほぼ100%でシフトを組む副店長が悪いのか、12月最後の週から1月の最初の週まで、二週間で休みは3回 社会人より働いてるんじゃないか?
正月休みなんかなかったも同然

昨日の夕方、限界が来た
これを限界と呼ぶかは人それぞれ
私の中で何かがおかしくなった 前兆はあった
1月2日、便通が悪いわけでもないのに下剤や浣腸を求めた
何回飲んでも出なかった まともに食事をしていないからだと気づいた
夕方、バイトが終わって帰ってきても、お腹が空いているはずなのに何も食べる気が起きない。食欲がない。チョコ、クッキー、煎餅、おせちに入ってた数の子、どれもおいしいと思わなかった。水は冷たすぎるから、お湯を1リットル飲んだ。全部流し込んだ。
涙が止まらなくなった
一人部屋で叫んだ
誰もいないことに虚しさを感じた
部屋の中をぐるぐるぐるぐると徘徊を始めた
飽き足らずリビング ダイニング キッチン 洗面所 洋室 和室 廊下 玄関 全部の部屋をうろうろと歩き回った
何も解決はしなかった

物を食べるという行為
人は水だけで一週間は生きられるが(体験済み)
そもそもその行為自体に激しい拒否感を感じた
明日をまた生きようとしていることに気づいた
自分が嫌になった
何もしたくない 涙だけが出てくる
帰ってきた母親がサンドウィッチをフランスパンで作ってくれた
ハム チーズ レタス
胃がひっくり返りそうだった
レタスの葉の先だけウサギのようにシャリってかじった
水で飲みこんだ
咀嚼をしなかった
無理を言ってご飯を炊いてもらった
炊けるまでずっとレポートを書いていた
レポートとかnoteとかを書いているときは
わりと無心になれる気がして落ち着く
2月頭提出締め切りの物を終わらせるくらいの集中力はある
炊き立てのご飯の匂いを嗅ぐだけでもう吐き気がしたが
食べれそうなものを何とかして作った

フリーズドライの卵スープをくだいて一欠け、水とご飯一口と混ぜてお鍋に入れてご飯粒がなくなるくらい煮た
何も食べないよりはましだろと思いながら母親をにらんで一人で食べた
食べてしまった
また 生きようとしてしまった

生き延びてしまった