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2020/04/21

自宅から出ない生活にもだいぶ慣れてきた。

暇なときには皆内省の沼に陥りがちである。私も例外ではない。
昨日の出来事について深く考える度に,つくづく私は

全ての人間や彼らの生命活動に辟易しているからこそ「この社会の持続」を望まないくせに,同時に「彼ら」がこれから悔い改め,理性的かつ知的になる可能性は一丁前に“ある”と思っているのだ。

私も愈この自己矛盾に気づいたようだ。
しかし人間に期待しないとなると,他者を巻き込んで達成される自らの理想など叫びようもなくなってしまう。

シニシストになって終わり

になるのだろう。

私は今こんなものを執筆している穏やかな空間の中で,実は究極の選択を迫られているのかも知れない。
自分はどうありたいのかを改めて問われているのだろう。

個人的にはシニシストになろうがポジティブ信仰者になろうがさほど変わりないと思うが(こういうところがだめ),漠然と「このままではだめ」という思いだけが渦巻いている。

窓から見えた空がとても綺麗で,カメラの趣味でも始めてみたいなと思った昼下がりであった。

それでは。

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