「夢とか希望なんて あるならさっさと家賃に変えないと」日記
私は絵が好きだ。
私の両親は、私にゲーム機を絶対に買い与えない代わりに、紙と色鉛筆を好きなだけ買ってくれた。
小学生の頃は絵の教室に通っていた。
絵を描いてる間だけは、頭のなかが目の前の絵の具のことでいっぱいになって、ただただ夢中になることができる。
絵だけは、唯一、他人と比べる必要もなく、自分が表現した世界に満足することが出来る。
自分より上手い人がいるなんて全く関係ない、私は私が描いた絵が心の底から好きだった。
いきなり話が変わって申し訳ないが、少し、私自身の話がしたい。
1番好きな音楽家、n-bunaさんのルラという曲では、シンデレラの物語をモチーフに、自暴自棄な女の子が描かれている。
この曲の中の、「夢とか希望なんて、あるならさっさと家賃に変えないと」という歌詞に、17歳になったばかりの私は酷く共感した。
曲自体も、跳ねた感じのメロディが哀愁を感じさせて素敵です。是非聴いて欲しいです。
(特に、イントロのピアノリフが好き〜)
今から2年ほど前。17歳。高校生になってから借り始めた奨学金とかいう借金を目の当たりにして、お金が無いと勉強もままならないこと、お金が無いと幸せになれないことを痛感した。
他人が羨ましくて羨ましくてしょうがなかった。
周りの子達は奨学金なんて借りてない。
周りの子達は教科書も新品のものを買ってもらっていて私はバイト代で中古のものを血眼になって探して買ってる。そういう現実に対して、他人と比べて自分だけが辛いような気がしていた。今考えれば随分幼い。世間知らずで地に足がついていなかった。
自分の目に見える環境とだけ比較して、世界で1番不幸な気さえしていたのだから、きっとどうかしていた。
気付いた頃には、他人と比べないと幸せを量れないような習慣がついてしまっていた。最低。お金が無いと幸せになれないという考えが染み付いていた。
あの頃から、絵を描く頻度が物凄く減った。
「絵なんて描いても、何にもならない」
「そんな時間があるならもっとタメになることをしなきゃ」
「絵なんて書いても、お金にならない」
そう、まさに、
「夢とか希望なんて、あるならさっさと家賃に変えないと」
多感な時期にそういう考えが脳に染み付いてしまった。絵なんてもう随分描いていない気がする。
そんなことをぼんやりと考えていた夜だった。
しかし、こんなことを書き連ねても、今でも絵筆を持てばきっと楽しい気持ちはフツフツと湧き上がってくる。
流れ星を見つけた時とか、窓から見える遠い海の上に小さい船を見つけた時とか、旅行先での朝の空気、初めて歩く道、砂浜で綺麗な石を見つけた時、焼きたてのクッキー、出先で素敵なワンピースを見つけた時、袖を通した瞬間、夏風が鳴らす風鈴の音を聞いた時、自分好みの絵がかけたとき、
そういう、ワクワクする、あの素晴らしい感情を無くしてはいけない。もう一度、あの気持ちを純粋に思い出したい。
何かがなくてもきっと幸せになれるはず。ちょっと前までそういう世界だったことを私は知っている。
空の青さを決めるのは私自身。
世の中はきっとお金じゃない。
3/31 23:57
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