生きたい

 別に書きたいことも特にないんですけど、言いたいことも特にないんですけど、暇だし、タイピングを早くしたいので書いてます。

 気付けば、30本以上もnoteに文章を投稿していたようで、自分は知らない間に30個もの感情を文章にしていたらしいです。

 デジタルタトゥーだなんてわかってるし、言われても「ハイ!タトゥーです!綺麗でしょ!」答えるようにしています。銭湯に入れないよ?なんて言われても、オッサンの裸を見ながらお湯に浸かるのこそ滑稽、滑稽。オッサンの裸を見て取れる疲れなんて、そんなもん銭湯に行かなくたって取れる疲れだよな、と自分に言い聞かせています。

 デジタルタトゥー?いやいや存在が黒歴史なんだから、今更ねぇ、本性を隠したところでねぇ、とキモい文章を書き連ねています。

 わざわざ読んでくださる物好きな人たちに失礼ですからね、ちゃんと誠心誠意 本音を、本心を、ここで語って嫌われたら「あちゃ」と反省したらいいんじゃない?まぁ知らんけど。

 よく考えたら、自己紹介すらしてないですけどね、まぁ、なんか読んでくれたら僕の人間性がわかるんじゃないですか?

 よく何か文章を書いてみたくてと、聞いてもないのに勝手に自己紹介して、以後文章を全く投稿しない3日坊主にもならない1日坊主みたいな人もいます。まぁ、そこに書かれている自己紹介よりは、多少僕のことが分かると思います。住んでる所や年齢とか分かんないかもしれないけど、まぁ興味ないでしょ?

 なんでnoteを始めたかったというと、大学3年の時に自分のモヤモヤを書いてみたかったからです。オードリー若林に憧れていました。

 よくネガティブな言葉は使わない方がいいよ、ネガティブな言葉を聞くとこっちまで悲しくなるよ、と言うよく分かんない人がいますけど、ネガティブな言葉もちゃんと言葉として在るので、たまには心を込めて使ってあげないと可哀想ですよ。

 元来、鬱になりやすいタイプの人間なので、独り言で「ああ、死にたい」なんて言うことがあります。別に自殺しようとか行動に移すことはないんですけど、唐突に、将来への不安や今の自分の不甲斐なさが押し寄せてきて、ポロッと吐気に紛れて出ちゃいます。

 そう言った不平不満が生まれると、心がキャパオーバーになっちゃって、釣り合いを生むために小出しに吐き出しているんだと思います。

 こんな感じで、呼吸に混ぜて「死にたい」を地球のどこか底へ、誰もいない宇宙のどこかへポロポロと投げながら、僕は今日も生きています。

 言霊がどうこうと言う方がこの世にもいたりするので、反省して「死にたい」と逆の「生きたい」と言おうとしたことがありました。吐息に「生きたい」を混ぜたら、少しはネガティブな自分がポジティブな自分に転生したりなんてするかな、なんて淡い期待を抱いていました。

 何回かやってたら、だんだん「はいはい。生きたい生きたい」とヤケクソになってきました。

 ことばに失礼なのでやめました。

 ネガティブな言葉もポジティブな言葉も、ことばが無かったら存在していないし、ヤケクソに投げたハリボテのポジティブよりは何気ない心の篭ったネガティブの方が僕を支えるのには十分でした。

 僕は言葉に傷つけられて、言葉に救われた人間なのですが、僕は言葉があるからまだ人間でいられるのだなぁと思いました。

 これからもネガティブな言葉をたくさん書くんだろうなぁ、たまにはポジティブな言葉を書きたいと思うけど、ネガティブの対処法はポジティブじゃなくて没頭だと、僕の心の拠り所が教えてくれたので、誰もいない研究室でキーボードをカタカタと打っています。

 あっという間に1500字。
 僕は本当に言葉に救われてきたし、これからも言葉を大切にしたいんだなぁなんて思いました。

 外は雨です。今日は「死にたい」って呟いても、雨音が掻き消してくれそうで、少し気が楽です。なので、今はとても元気です。

いつも題名は最後に決めるんですけど、僕は言葉に感謝をしているし、これからも言葉に助けられながら年を重ねていくので、あんまり言わないし、ヤケクソになっちゃった反省を込めて、このタイトルです。今日のこのタイトルはとても気持ちがこもっています。ありがとう。

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