夏が終わるよ!ハッピー!

けんけんさんから今日が秋分の日だと言うことを告げられた。
日付的には1日遅れになるのだけど、今日から夜が長くなる。

暑がりだから、涼しい日常が始まると思うと途端にワクワクする。
空気が美味しくなる気がする。
とても風が冷たい夜を、少し軽装で、風と遊びながら、夜道を歩くのが好きだった。

街の彩度が少しだけ低くなって、溢れる吐息が微かに白くなっていく。
夏は五月蝿いから昔から嫌いだった。
耳を駆け抜ける蝉の鳴き声だけでなく、深緑に茂った自然、透き通った青い空、どんと構える大きな入道雲、そのどれもが眩しくて、自分の五感全てに訴えかけてくる情報が多すぎて、頭がふらふらする。

熱じゃなくて情報過多による処理落ちが自分にとっての熱中症だった。
だから世界の彩度が低くなると、眩しかった世界が自分に寄り添ってくれる感じがするからとても好きだ。
秋は、こんな自分の味方になってくれる。

好きな季節が「秋」だと言うと、昔は「秋にはなんのイベントもないじゃん」と言ってくる人がいて、それにうまく返せなかった。
最近では、ハロウィンだったりがあるかもしれないけど、確かにないのかもしれない。
別に新学期ではないし、海にも入れないし、クリスマスも正月もない。
確かに魅力は薄いかもしれないけど、一枚上着を羽織って、秋風と一緒に友達と街を歩くのが、そのどれらよりも好きだった。

「〇〇の秋」と言う言葉がよく出てくる。食欲の秋は旬があるから置いといて、スポーツ・読書・芸術そのあたりのこう言う構文はいわば、魅力の薄い秋の色付けだと思っていた。
でも、そうじゃないのかもしれない。外と内の中で過ごすのがどちらも心地いからだけが理由じゃない気がする。

「秋は味方」と言う認識がとても強い。「秋」は自分の味方だから、みんなの味方だから、スッと自我を減らして、彩度を落として、寄り添ってくれる。スポーツをする自分、読書をする自分、芸術を楽しむ自分、そのどれもを優しく肯定し、許容してくれる気がする。

もしかしたら夏の期間で存分にはっちゃけた世界が、やりすぎたかなの反省を込めて、自分に寄り添ってくれるのかもしれない。ずっと反省していてほしい。

でも、自分も同じ過ちを繰り返すから、世界が同じ過ちを繰り返してしまうのも許してあげようと思う。そうしたら、また夏が来た時に「また来たよ」と笑いながら夏を迎えることができそうな気がする。また秋が来た時に「やっと落ち着いたか」と去年を思い出しながら、秋を楽しむことができるのかもしれない。涼しい間、世界はずっと自分の味方をしてくれたんだから、夏で少し弾けちゃうのを許してあげないとフェアじゃないよね。

やっぱり秋が好きだ。

やっと世界が自分の味方になってくれた。

おかえり秋

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