さがしもの


 ゴオオオ…ゴオオ…ゴオオオオ……

 季節外れの冷たい風。まだ秋の訪れを認めたくないのか、寒くなるのはわかっているのに、寒い方が頭が冴える気がして、エアコンをつけている私がいます。

 昔は、9月末なんてエアコンをつけていたら、電気代が勿体無いとのことで、よく両親から注意を受けていましたが、1人暮らしで手にした自由はこういう所で形になって出てくると思います。

 私は、1人暮らしを始めてから悩み事が増えました。「生き辛そうだよね」と言われることが増え、次第に病んでる人・鬱な人と思われることが増えました。昔はそうじゃなかったんですけどね。高校の時は、毎日友達に会うためだけに学校に行っていて、友達とキャッキャ遊んでボーッと授業を受けていたら、気付けば夕方になっていました。

 大学生になって時間もでき、あまり大学にも馴染めなかった私は、静かに空を眺める時間が増えました。日に日に話すのは中高の同級生ばかりで、大学での新しい生活に慣れることもなく、中高の時間をひたすら引き延ばして、自分を誤魔化していました。

 ただでさえ時間のできた大学生活の大半を、新型コロナウイルスとともに過ごす運びとなりました。大学3年生の頃です。まだまだ当時若かった私は、度重なる飲み会・大人数の集まりに嫌気がさして、1人になることを切望し、1人になるよう心がけていました。

 たまに日常に疲れては、1人でにどこか遠くへ出かけ、沈黙が長くても場が成立する中高同期の元へ遊びに行ったり、海外にふらっと行って貴重な体験をしたりと、必死に大学との距離を置くことで、自我を保っていました。

 確かこの頃は、本当に不登校気味で、今でも不登校気味なのは治ってないのですが、雨が降れば授業を欠席することが当たり前になっていました。昔から、両親とそこまで仲が良くなかった私は、大学を選ぶときには1人暮らしをすることを望んでいて、地元で1番頭のいい大学に余裕で受かるくらい賢くなって、無理矢理地元を離れようとしていました。1人への切望が強かったのか、念願の1人の時間を、雨の日はいつも優しく受け入れてくれました。

 大学生になったら、それこそ森見登美彦氏の「四畳半神話大系」みたいな生活を送るものと思っていましたが、とにかく35人の学科のクラスのテンションが肌に合わず、中高同期と同じように、作中の小津のように、ともに馬鹿騒ぎできる人間を探していました。大学学部の四年間で、学科内ではそのような人を見つけることはかないませんでしたが、学部内で2人ほど馬鹿騒ぎできる仲間を見つけることができました。その2人と遊んでいた時間は確かに自分が自分として輝ける時間でした。その2人のうち、1人は学部卒業してから東京に就職し、もう1人は学部3年の冬に失踪してしまい、あれから会っていません。

 新型コロナウイルスの長期化にイライラしていた頃に、僕は本当に1人になりました。1人で考える時間が増え、「友達とは何か」「自分とは何者か」を考え始めました。

 私は、大学入学時に、学科のクラスメイトを初めて見て、絶望したことを覚えています。クラスの男子のうち8割ほどが浪人を経て、弊学に入学してきた人で、現役で大学に入学した男子がほとんどいませんでした。中高男子校で私服での登校が許されていた私は、当然、流行も知らずファッションセンスも皆無そのものでした。高校時代は適当なジャージにダウンジャケットなんかを羽織っていた自分にとって、「大学生」というのはあまりにも私に適していない荷の重い称号でした。私の通う大学が芸術系なのもあってか、浪人して入学してきた同級生たちは、どこか「余裕」という名の薄いカーディガンを一枚羽織っている印象でした。たった1年と思っていたその差は、とても大きく、深く、漆黒に満ちるほど、到底追いつけない人生経験の差を感じました。ああ、このままだと私は、「大学」に殺されると思って、必死にテンションを上げ、明るいキャラクターを演じていました。とりあえず、見た目だけは何とか誤魔化せるだろうと、右も左もわからず古着屋に入って売れ残っている柄シャツを着て必死に「ぽさ」を演出していました。実は当時のクラスメイトに私のイメージカラーは黄色だと言われたこともあります。今では到底考えられません。大学で必死に自分を偽り、帰路につき、過去に縋り付くように、本当の自分とは何かを見失わないように、必死に精神的に地元に帰ろうとしていました。だからか、大学で友達を作ることができるなんて思ってもいませんでした。

 交友関係。こと同級生との関係においては「親密度=付き合いの長さ×付き合いの深さ」が成立するものだと思っています。当然昔から仲のいい人の方が親密度も高いわけで、必死に物理的な距離を圧縮して地元に心を残そうとしていた自分にとっては、深さも到底さることながらで、大学に馴染めず孤独になるなんて当たり前のことだったです。

 さてさて、現在ですが、大学ではしっかりと孤独を極めていて、研究室の同期は友達というよりは寧ろ仕事仲間であり、それ以上でもそれ以下でもなく、後輩に話されることがあれば「元気でしたか?」「生きてましたか?」が当たり前のように枕詞につくような、そういう人生を送っています。ひょんなことから大学が同じというわけではないけど、遠くに住む新しい友達ができ、完全に孤独ということは無くなりました。令和に生きていて良かったととても思います。しかし、携帯電話の電源を落とした時に静寂が五月蝿くてたまりません。遠くで鳴くカラスの鳴き声や飛行機の音が耳を貫き、イヤホンが生活必需品というより、イヤホンが自分の生命を繋ぎ止める医療器具・延命装置になっていました。

 本当の友達というのは、私にとっては、きっとイヤホンがなくても、世界を静かに過ごすことのできる、そういう存在なのだと思います。友達なしでは私は生きていけないのかもしれません。その時の世界は五月蝿くなく、静かで、澄んでいて、心地よい空間が広がっています。なんか物理的な距離という概念が友達の中に発生してから「君に会いに行く」と言われるたび、嬉しい半面、少し重たく感じ、ドアノブを捻る行為がとても難しいものに思えるようになりました。私は、自己中心的な人間なのでしょうか。いや、きっと私から見える友達が私の視界に入っているその空間が、私の好きな人がいる空間全てが好きなのであって、その人が好きというよりは寧ろ、その一緒にいる空間が好きという純粋な感情だけで、私は人と会っている気がします。もしかしたら、ドアノブを軽々と捻ることのできない人は「本当の友達」ではないのかもしれません。よく考えたら、そういう人と会った時は、別れ際、すぐにイヤホンをつけ、酸欠状態から脱出しようとします。私の基準の中では、どれほど別れ際にイヤホンをしたかったかはもしかしたら良い尺度になるのかもしれません。

 もう22年間もこの地球で生きていると、考えることも複雑化してきます。高校までは同級生の男子としか関わってこなかったので、悩むこともありませんでしたが、やがて友達だけでなく上下関係や恋愛だったりと複雑な人間関係についても考えるようになりました。

 こんな私でも、なぜか私を好いてくれる女性が実はこの世に存在していたことがあって、そのような人と長くいたいと思った時に、半同棲的な生活をしていた時期がありました。しかし、私の体は1人を求めていたのか、四六時中小さなワンルームに他人がいることに耐えきれなくなり、1日と半日が過ぎた夜にベランダに引きこもってしまいました。今思えば、とても情けない姿なのですが、その時間だけは私が私である気がしていて、とても心地よかったことだけ覚えています。

 私は、好きな人たちと一緒にいる楽しさを知らなかったら、ずっと孤独に生きていれば、きっとこんな思いすることなんてなかったろうと思いました。昔は長く生きれば生きるほど様々な人と出会い、仲良くなり、人生が右肩上がりに楽しくなっていくものだと思っていました。しかし、現実はそんなことありませんでした。階層の違う友達と沢山出会ったことで、時間が、距離が、密度が、すべての事象が私の悩みの起点になりました。中高大院で1番仲良くなった人を1人ずつ寄せ集めて、飲み会を開こうもんなら地獄もいいところです。知らない間に、社会性を覚えたのか、いろんな仮面を被る自分に嫌気がさします。でも、どの仮面も自分にとってはお気に入りのそれで、その人と共有された空間は、形や質は違えど、どれも奥ゆかしく愛着の湧く、落ち着く空間です。だからこそ時間が惜しく思えます。色んな自分が落ち着く場所を今日も探し求めています。

 「本当の自分」とはいったい何なのでしょうか。中高同期と話している時は、到底文字に起こせないような低俗で倫理観の欠いた会話が頻出していますが、その時の私が「本当の私」なのでしょうか。一方で、少し自分より年上の人と話している時は「本当の自分」じゃないのでしょうか。もしかしたら他人と関わっている自分は、多少なりとも仮面をつけているなら、どれも「本当の自分」ではないのかもしれません。もし孤独に疲れ、人生を憂いてる時の自分が「本当の自分」なら、私はもう「自分探し」なんて飾ったことは言わずに大人しく首でも吊ろうと思います。私は、大人数に萎縮している私も、倫理観が欠けた私も、少し背伸びして敬語で話す私も、全ての私を愛せるようになりたいなぁと思っています。到底難しい話なのですが。

 たとえ外面の時でも、どんな時でも、譲れない私の「芯」みたいなものが各々にあって、それに外面という服を着せて色んな姿に皆が様変わりしている気がします。「本当の自分」とはそういった「芯」のことを指すのかななんて思いもしましたが、その「芯」を集めても1人の人間として成立しない気もします。きっと、人間が外で服なしでは生きていけないように、服を多少着ないと日常生活が成り立たないように、服を着ることが当たり前になって、トータルで「自分」を形成しています。そう思うと、自分も大学一年の時に古着屋でよくわからない柄シャツを着ていたのも一種の自己防衛であり、私の外面という隠れたスイッチを押す行為だったのかもしれません。年を重ねるにつれて、押すスイッチが増えてきました。時と場面に合わせてスイッチを押したり押さなかったりを繰り返していますが、たまに押し間違えそうになって、怖くなります。でもうっかり間違えて押しちゃった先に「本当の自分」が見つかる気もして、微かに期待してしまう自分もいます。

 ゴオオオ…ゴオオ…ゴオオオオ……

 微かに開いた私の心の扉から風が漏れていきます。

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