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KANさんのこと 

書きたいと思うことを書いては、消し、書いては、消し・・・
まとまりがなく、上手いことは書けないかもしれないけど、
あくまでわたしから見たKANさんのことです。

Brand New Expressであったことなどは、
前の記事でご覧ください。

Jフュージョンばかり聞いていたわたしが(当時のプレイはクラシックだったけど)
小学生の時に歌に触れたきっかけの1人がKANさんであり、
初めてライブに行ったのがKANさんで
初めてファンクラブに入ったのがKANさんでした。

という、ある意味で極めて普通のファンでした。


出会いからレッツ・ドリンク


思い返してみると、
STVの吉川さんがKANさんとの出会いをくださったのが2010年か11年。

2011年にメロウデュの「夜明け前」をKANさんにお渡しした後、
「これって作曲はヤギくんがやってるの?」
「いえ、わたしです」
「じゃあアレンジはヤギくんなの?」
「いえ、わたしです」
「えーーー!女の子が作ってると思えないなぁ、すごい」
ちゃんと聞いてくださって、
内心ガッツポーズな感想を頂きました。


あまり交友関係が広くないわたし(小声)
少しずつ人間関係も環境も変わっていく中で
2011年からコンスタントにお会いできている方って
ヤギちゃん、先生、よっちゃんを除くと
KANさんかもしれない・・・
それくらい、どんな状況であっても
何かあってもなくても
変わらず声をかけてくださったのがKANさんでした。

番組のゲストだったり、
KANさんのライブだったり(終演後ごあいさつできるようになった)
一番多いのがレッツ・ドリンク(飲み会の意)


とは言っても、ここ数年まで
お会いしても緊張してただの化石だった。
一緒に居てなんの旨味もおもしろみも無かったと思うし、
言葉にすると「地方の1インディーズ」なわたしに
最初は河野玄太(札幌のシンガーソングライター)経由で
後にわたしに直接、
レッツ・ドリンクの声をかけ続けてくれていました。

レッツ・ドリンクの席では必ず
「たくさん食べるんだよ。
遠慮しないで好きなもの頼んでいいからね。」
って優しく始まるんだけど
「玄太くん、その話のオチはなんなの?」
「玄太くん、今のどこにギャグがあったの?」
「玄太くん、それは・・・(以下省略)」
こういうポイントにすっごい厳しいから余計に口を開けないし、
どんなに飲んでも全く酔えない笑
ヤギちゃんなんて、もっと気のきいたこと言えるタイプじゃない笑笑
レッツ・ドリンク初期は、会話がディフィカルトすぎて
玄ちゃん助けて~~!!!が毎回でした笑
(玄ちゃんは会話スキルがマジですごい)

去年やっっっと、
KANさんもわたしも何をしゃべってるかわからないくらい
ペロンペロンに酔っぱらって
ちょっと距離が縮まったかもしれない・・・っていうのは
ただの思いあがりであって
ただの酔っぱらい2名だったのでしょう笑


プライベートの写真はほとんど撮ってないけど、
懐かしいものを1つだけ。

何年も前だ~


みんな札幌の音楽仲間で
河野玄太くん、蝦名摩守俊くん、エビナマスジくん、ヤギちゃんとわたし。

メロウデュ以外は
ボンソワの代パー(代打パーソナリティ)をする皆さんです。

こんなに大勢でのレッツ・ドリンクはこれ以降無かったかな。
このメンバーがいなくても、
KANさんはいつも必ず札幌ミュージシャンの話をしてくれました。
それは、このみんなに声をかけて、やり取りしていたからこそ話せる話。
KANさんは、このメンバーの1人1人のことを気にかけていました。
(あと、わたしはお会いしたことがないのだけど武田英祐一さんの話も)


ボンソワ代パー



代パーのエピソードといえば、こんな連絡がきました(一部)

「ボンソワも収録できなくなって、代打パーソナリティを、
昨日は玄太くん、次は英祐一くん、
その次はSE-NO兄弟にお願いしました。
当然メロウデュの2人にもお願いしたかったんだけど、
メロウデュは他局でレギュラーを持ってる関係でお願いできないのです。
ご理解ください。
復活して、またお会いできることを楽しみにしてます。では、股。」

そのような事情はもちろんわかるし、
みんなのボンソワも聴きますと書いた上で、
「わたしは、またKANさんがゲストにいらしてくださるように
ノースウェーブでBrand New Expressを守ってます。
なので、またゲストにいらしてください。楽しみにしてます。では、股。」

KANさんは、お願いする人に連絡するだけじゃなくって、
お願いできない人へもこうしてケアを忘れず、気遣ってくださるんです。


CDを買ってラジオ聞いてライブを見ているだけの頃は
こんなに丁寧で誠実な方だとは想像もしていませんでした。


自分や自分の周りのことでしか言えないけど、
KANさんは肩書きとか有名かどうかとかそんなことは関係なく
誰に対しても丁寧に接してくださいました。
各方面からの信頼が厚く、
いろんな方から愛されて慕われていた沢山の理由のうちの1つではないでしょうか。


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心残りなこと


ラジオでも少し話した、心残りの件を。
メロウデュはありがたいことにKANさんに気にかけて頂いていたものの、
一緒に音を出したことはありませんでした。
セッションでも、ライブでも、作品でも、どれか何か音楽でご一緒したい。
ただ、これって、KANさんのファンは別に嬉しくない気がする・・・
でもやっぱり、なにかでご一緒したいなと、ずっと思っていました。

そこで、かなりの勇気を出してKANさんに
「メロウデュの作品に参加していただけないでしょうか?」と言ったところ、
かなり食い気味に「いいよ!やろう!」とわたしの手を握って答えてくださったのでした。
でも、KANさんはメジャーで事務所のこともあるだろうし、わたしたちはビンボーユニットで制作の財力もなく、KANさんに対してもどうやって・・・みたいなことを続いて言ったら、こちらもさえぎるように「それはなんとかなるし、なんとかする!」

実現していたら、どんな音になっていたんだろう。

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まとまりのないまとめ

まだまだたくさんのエピソードがあるけど、
こんないろんなことがあったということが
奇跡だなぁ。


10月のメールの最後は
「ヤギちゃんによろしくメェ~
日々の演奏、楽しんで♪ では、股。」
よろしくメェ〜って笑(ヤギなだけに笑)



番組の記事にも書きましたが、
わたしはKANさんのような音楽家には到底なれません。
でも、KANさんの「やるなら徹底的に喜ばせる」スピリットや
丁寧に誠実に接する姿勢、音楽の素晴らしい部分、
見習って成長できる点は必ず自分のものにして
活動に邁進していきます(不器用だけどね)

いろんな姿を見せてくださったKANさん、
本当にありがとうございます。


学校のクラスの子たちにKANさんをオススメしてた頃と同じく、
今までどおりKANさんの良さをオススメしていきます。
これからもKANさんのファンです。

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