続・人殺し

先日「人殺し」のタイトルでちょっと死生観について書いたけど、なんか違ったのでもう1回

自決って〜(重い出出し)
今だと道徳に反する、人生から逃げる、人を殺す、命を奪う、人を悲しませる行為
昔(アバウト)では意を決した勇敢な行為、みたいな印象

自決は不名誉や苦痛から逃れる救済と罪を償うための行為のふたつかもしれない

また、自分への救済としての死は、今の世では許されていない
自分の死にたい感情を"道徳"に制御、抑圧されているとも言える

でもそれって理性で理解することで制御が可能になっている
↔道徳を無視すれば制御されることもない
人類共通の理性とそれに従順に生きるってすごい
否、ただ本能のままに"生き"ているだけなのか

理性あっての自殺、ということ?

閑話休題。
救済よりも罪を償うための自殺という考え方のほうが広まっている気がする

人生を自らの手で終わらせる行為への評価として高尚、卑劣、どちらとも言える世界ではある

誰かのために死ぬことは高尚?
自分のために死ぬことは卑劣?

だとすれば、自分と関わる人の人生から自分という悪を取り除くために自殺する選択肢を取ることは、どちらに含まれるのだろう

自分の存在が無くなったことで誰かが生きやすくなったなら、幸せになれたなら高尚?
生き抜いた未来、全員ハッピーエンドになる可能性をも捨て去って、悲しむ人の心の傷を無視して自分のために死んだのなら卑劣?

死ぬ間際に安堵や幸せを感じられるのか、罪悪感に包まれるのか
死んだ後どんな評価を受けるのか

そんなことを考えながら死ぬことに、意味はあるのか


希死念慮があっても自分の周りの人には死んでほしくないですよ全然、何も言わず死なれたらキレるし恨むと思う

でも死にたいって言われた時に、今の自分ならその気持ちを共有できる、はず、、
死にたい時に死にたい気持ちを突き放された経験も役に立てばいいなというエゴの希望とも言える

身近な人の死を体験してないからこんなことが書けるのかな

何はともあれ
死生観について考え続ける時間が無駄にならないように
生きたいと思えている今は大事に生きようと思う

うん…


死ぬ日に聴く曲リストの中から
死ぬにはいい日だった/ピコン そらるcover

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