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こんな日ってあるんだなあ

 5月の中頃だった。
晴天で少し暑いが時折やってくる風が心地よい。
引っ越しの片付けで大量に出てきたレコードの処分に頭を悩ませてきた。
ネットで買い取りの会社を探してみると世田谷のレコード買い取り店が
音楽ジャンルも幅広くとてもシステマチックにやっている会社のように
思えた。
更に今なら30%上乗せ買い取り期間中というキャッチフレーズに誘われて
決断した。
車に100点以上の古いレコードやCDを積み込み環状7号線を西に向かって
走り出した。
住まいの練馬から10km位の距離で、それ程の負担感はなかった。
世田谷はとにかく道が狭く、下校中の弾けた高校生たちの集団に
出っくわすとぶつかるんじゃないかとひやひやしながら通り過ぎた。
トロトロと目的の店に向う。
住所通りのマンションに着くと店らしい看板もないので、
受付の管理人に訊くと、そこは移転前の住所であることが分かった。
どうして古い住所のメモを持って出かけたのか、不覚だった。
スマートフォンで新しい住所を調べてナビに再入力して、走り出した。
商店街の細い道を行くと小さい踏切が見えてきた。
駅の看板を見ると池ノ上駅とある。エエーっ!と声が出た。
その駅前通りは40年以上前に友人たちと一緒に開店したベーカリーのお店
「レディーファースト」のあった場所であった。
家内も妹たちも家族総出で手伝い頑張ったが、売り上げが伸びず閉店した
哀しい場所だった。
その店があったところはレンガのアーチが特徴のマンションの
一階の店舗だった。当時のままで今ではレストランになっていた。
色々な思い出が脳裏に染み出した。
ユニフォームを着た若かった頃のみんなの笑顔が浮かんだ。
こんな偶然ってあるだろうか、住所を間違ったお陰で、
なんとなく避けてきたこの場所に来ることになったのだ。
 
 買い取りレコード店に着くと、積み卸しのお手伝いをしてくれて、
テキパキとレコードの査定の作業を始めた。
30分ほど掛かるというので、時間を潰すつもりで近所をぶらりと散歩した。
するとその場所はかつて通称玉電、現在の東急世田谷線の世田谷駅の
すぐ側であった。
なんと68年前に住んでいた地域であった。
30分ほどしてからお店に戻ると査定は済んでいて買い取り価格別に
まとめられていた。
そこには0円、5円、10円のラベルが貼られていて、一枚だけレアなレコードだったらしく2000円のラベルが付いていた。
30%上乗せ価格ということで合計3900円ということになった。
大正時代でもあるまいし、大の大人が現在でも5円、10円の
取引があることに笑えた。
5円10円の30%上乗せのキャッチフレーズに乗せられた自分が笑えた。
まあ、不用品を処分できたのだからそれはいいとする。

 それよりも幼少の頃、住んでいた場所に行ってみたくなった。
車を発進するとすぐに卒園した青葉学園が見えてきた。
ここの担任の女性の品のよい笑顔が浮かんだ。
初めて好きになった他人の女性だった気がする。
 
 小高い山の公園、城山公園に出た。ここでは友達だちと
棒っきれの刀をベルトにさして戦国時代の侍の遊びをした。
その先には招き猫の発祥で有名な豪徳寺がある。
 
 桜木中学校に程近いところにあった当時の我が家があった
ところにも行ってみた。
凧揚げやキャッチボールをした家の前の野っ原はなくなっていて、
住宅がびっしりと建っている。
この野っ原には紙芝居やバクダンと呼ばれた米を膨らませて
菓子にしてくれる機械を持ち込んで、近所の子供相手に
小商いをするおじさんが来ていた。
 
 街はすっかり変わっても道はそのままなので記憶を辿れる。
ここには駄菓子屋があって5円や10円玉を握りしめて走って行ったものだ。
ここには友達の家があったなあと夢中で記憶の痕跡を探していた。

 いい時間だった。こんないい気分になれたのは、
本当に久しぶりだった気がする。
 
 遠い沖縄に転居する日が近づくこの日に思いがけなく、
ふるさとを見せてくれたということになる。
お礼を兼ねて、世田谷八幡宮に詣でた。
両親に手を引かれて七五三の祝いに来たものだ。
セピア色に変わってしまったその時の白黒写真が、
両親が貼り込んだアルバムに収まっている。
 
 東に向かう環状7号線の帰路、今日という日は、
きっとあの世の両親が導いてくれたんだろうなあと
信じたくなったものだ。

なんていい日だ、こんな日ってあるんだなあ。
 

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