人生でも屈指の、最悪の日 後編

「人生でも屈指の、最悪の日 後編」です
まだ前編を読んでいない方は前編を読んでみてください。


東京都大田区で財布とスマホを無くし、神奈川県平塚市になんとかして帰らなくてはいけなくなった。


とりあえず、僕は近くの交番に駆け込んだ。財布とスマホが届いているかもしれないと思ったのだ。交番に行くと、歳は20代後半ぐらいだろう。釣り上がった眉毛に、鋭い目つき。前編で紹介したバイト先の社員ぐらい厳しそうな顔つきをした警察官が僕の落とし物の担当に当たってくれた。

僕はバイト中に財布とスマホを無くしてしまった旨を伝えた。そしてすぐに調べてもらったが、財布もスマホも残念ながら届いていないと冷たい声で言われた。


警察「という訳で、お引き取りください」

僕「帰ろうにも、財布がないんで帰りの交通費がないんです!」

警察「じゃあ、誰かに連絡を取ってお金を貸してもらったら?」

僕「スマホが無いんで連絡を取れないんです!この辺に知り合いもいないし…」


警察官はため息をつきながら厳しい目つきでぼくにこう言った。


「君ね。なんでバイト先の人に帰りの電車賃を貸してもらわなかったの?少し考えればこういう事態になることは想像がついたよね?」




え、厳しすぎない?



至極おっしゃる通りなのだが、財布もスマホもなくして意気消沈している人間にここまで厳しい言葉を普通かけてくるか?鬼面と喋っているのかと思った。そもそも、この人は事情を知らないからそんな事が言えるんだ。おじいさんにあんな仕打ちをしてしまった後に、お金を貸してくださいなんてのうのうと言えるわけがないだろう。あわよくばこの人に交通費を貸してもらえないかという思惑もあったが、それを言い出すことはミッション・インポッシブル。僕は交番を飛び出した。



もう、自分の力でなんとかするしかない。実家まで歩いて帰るしかない。


しかし、スマホがないので実家までの道筋を調べる事もできなかった。道路の上に表示されている案内標識を頼りにとりあえず神奈川県の方面を目指した。横浜まで20キロと書いてあった。どう帰るのかが正解なのかも分からなかったので、取り敢えず横浜を目指してひたすらに歩こうと思った。今、自分が向かっている方向が合っているのかもわからない。行く先の霞みがかった、無味乾燥した道をがむしゃらに進んだ。因みにこの時の経験が後の水曜日のダウンタウンでの赤坂からむつみ荘まで辿り着くレースに生きてくる。この時の作戦で僕はむつみ荘まで辿り着いた。



僕は横浜に向かって歩き出した。しかし、足は中々思うように前に進まない。



思い出してほしい。僕は脛まである鉄板入りの安全靴を履いているのだ。警備員の経験がある人ならわかると思うがあの安全靴というのは到底、長距離を歩ける代物ではない。イメージだとスキー靴を履いているぐらい重いし自由が効かないのだ。走ったりなんてことはまず不可能。
あゝ。なぜ、今日に限って家からこの靴でそのまま来てしまったのだ。替えのスニーカーを持ってれば幾分かは楽だったのに。


すぐに足は痛み出した。疲労と痛み。さらに重量のある靴のため、いつもの1/3ほどの歩行速度でゆっくりとゆっくりとしか進めなかった。ただでさえ遠いのに。僕は自分の足について考えることを放棄し、2時間ほど歩くとやがて足の感覚もなくなり始めてきた。辛い。痛い。

それを忘れるために歩いている間はずっとおじいさんを傷つけてしまった事を考えていた。これはおじいさんを疑ってしまった天罰だ。いや、その前に財布とスマホはなくしているのだから関係ないか。



横浜までは一向に辿り着かなかった。辺りは真っ暗。今が何時何分なのかも分からない。
僕は人間の尊厳を捨てることにした。安全靴を脱いで両手に持ち、靴下のまま歩きだした。靴を脱ぐと足に羽がはえたかのように軽くなった。普通の自転車から電気自転車に乗り換えたかのような感覚。え、こんなに進んでいいんですか?って感じ。僕はペースをあげた。幸い、感覚がなくなっていたので冬の寒さで足が凍えることはなかった。それよりも街を歩く人からの目線が冷たかった。なんだこの醜体は。終末の日か。



そして何時間歩いただろうか。県境を越え、神奈川県にようやく入れた。凄まじい達成感を感じた。しかし、横浜から平塚は今までの比じゃない距離がある事はわかっていた。ここからが本当の勝負。だが僕にはその勝負に挑むほどの余力は残されていなかった。もう足は限界を迎えて、震え出していた。道脇に座りこみ、休憩をとった。そして作戦を練る。


交番で電話を貸してもらおう。そして親に電話して車で迎えに来てもらおう。



これしかない。
しかしながら交番には先程のトラウマがある。
僕は道中に点在する交番を覗き込みながら、出来るだけ優しい顔をした警察官のいる交番を選ぶことにした。怒られるのを恐れている子供のように入り口からひょっこりと半分だけ顔を出し、交番の中を覗き込んだ。5件ほど回り続けたが、どこも眉の吊り上がった怖そうな警察官ばかりだった。交番ガチャはなかなか当たりが入っていなかった。


そして6件目。
横浜の僻地のような場所。交番を覗き込むと、さっき裏切ったバイト先のおじいさんに雰囲気の似た、仏のようなおじいさん警官が在駐していた。ここだ!僕はその交番に飛び込んでおじいさん警官に事情を話し、電話を貸してほしい旨を伝えた。





「君ね、こんな事言いたくないけど、バイトの人にお金を借りるとかは考えなかったの?」












厳しかった。


しかしながら泣きついて、なんとか電話を借りて実家の親に電話することができた。車で迎えに来てもらった。たっぷりと怒られた。家に着いた頃には日付を跨いで、深夜一時になっていた。こんな最悪な今日という日を早く終わらしたくて、風呂から出るとすぐに布団に入って泥のように眠った。



こうして、僕の人生屈指の最悪の日は幕を閉じた。財布と携帯は後日届けられたらしく無事に見つかった。

なぜあんな風に忽然となくなったのかは未だにわからないままだ。



長々お読みいただき、ありがとうございました。同情を誘うわけではありませんが、気の毒だと感じたら是非サポートをお願いします。

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