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自信屋

「顔への自信、一つ100万円です。いかがですかー」

この町では自信が売られている。自信は高級品だ。ステータスが高いから自信があるのではない。自信を買ったから、ステータスが高くなるのだ。色々な種類の自信が売られている。そして、それぞれ入手難易度に応じて値段が異なる。

「いいなー、あの子は自信買えて。私はお金ないから買えないわ」
「あの人、めっちゃ自信あるねー。お金持ってんだなぁ」

海外では日本国内規格の自信は使えないので、海外用の自信を新たに買う必要がある。

「うわぁ、あの人今海外にいるのにめっちゃ堂々としてるわ。ようそんな金あんなぁ」

海外用の自信は国内用の自信よりお高い。専門店で買わなければならない。だから、それを持っている人は少ない。

「あのぉ、この勉強への自信要らなくなったので売りたいです。で、代わりにコミュニケーションへの自信を一つ欲しいんです」
「いや、お客さんね、その位の勉強への自信は、もう供給過多なんですよ。そりゃ、買い取れないね」
「そんなぁ……!僕、コミュニケーションへの自信がないと仕事に就けないですよ!」
「こっちも商売なんだ。コミュニケーションへの自信は製造が大変なんだよ。そんな簡単に安売りできるかっての」
「やっぱ、コミュニケーションへの自信はトップ層向けの商品なんですね……」

この町に林立する自信屋の中で最も高級なのは、『自分の魅力に対する自信ダイヤモンドパック』である。これには、自分の外見、内面、能力への自信すべてが封入されている。富裕層は子どもが小さいうちにこれを購入し、自信を身につけさせる。

「えー!いいな……親にダイヤモンドパック買ってもらったからそんなに自信あるんでしょ?私の家は勉強のやつしか買ってくれなかったから、未だに自分の容姿とか性格に自信ないなぁ……」
「でも、君も今は働いていてお金あるんだろう?容姿パックと性格パックも買えばいいじゃん」
「いやー私が買ってもなぁ……」
「そう?あれあると快適だよ」

自信を買えた人と自信を買えなかった人はしばしば対立する。この町では自信というのは一種のステータスであるが、そのステータスを持っている人間を忌避する人も一定数いる。自信があることを美徳とする人間もいれば、自信がないことを美徳とする人間もいるのである。

「別に今のままでもいいし、正直私自信持ってる人苦手なんだよね。だから、ああはなりたくないというか」

そして、自信というのは消耗品である。特に、外見や能力への自信は寿命が短い。なので、人々は自信を買い替えたり、修理したりする。

先ほど、自信は高級品だと述べたが、実は無料で手に入れることもできる。手に入れるという表現は語弊があるかもしれない。自信とは、文字通り手の中に入るものではない。なぜなら、自信とは目に見えないからである。そういうわけで、自信を購入していなくても、まるで自信を購入したかのように振舞うことは可能なのである。
また、すべての自信を購入していなくても、解釈次第で自信を持つことはできる。例えば、内面への自信だけを購入したのならば、「内面の一番外側が外見なのだから、内面が素晴らしい私は、その内面の一番外側にあたる外見も素晴らしいのだ」と、いうように。
そのため、お金持ちでなくても自信に満ち溢れた人というのは存在する。
自信屋は、あくまでも自信を自分の中に設定するための加速パックを売っているにすぎないのだ。しかし、中には「自信屋で自信を買った」という事実そのものが自信につながる人もいる。

さて、これを読んでいるきみは自信屋に行ったことがあるだろうか?
ちなみに、私は今日も自信屋に行ったよ。



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