とくべつ


この間もnoteを更新したばかりだけど、ヲタクというものは常になにか悩んでいるものだと思っているので許して欲しい。病んではない。大丈夫。


今日、友達と話していてとても興味深かったことがある。その子は言った。


「私は多分、とくべつ、他の人と違う何かになりたかったんよ。」


その言葉にギクッとしてしまったのはきっと私もそう思っている、思っていたことがあるから。自分は他の人とは何かが違う、自分はこうゆう人間だ、そうやってアイデンティティを保ちたい、そういった気持ちは誰にでもある、と私は思う。

その子は続けて言う。


「でも、そんなことなかった。私はただの人だった。」


ただの人。

ただの人とはどのような人だろうか。


私からすれば、彼女はとても才能に溢れた人間だ。彼女はイラストが小さい頃からずっと得意で絵を描くことが好きだ。彼女の絵が好きだし、いいな、と思う。詳しいことはよく分からないけど、とても上手だと素直にそう思う。私のように道半ばで、ダンスを諦めて大学なんか(言い方が悪いが大学も素晴らしいところではあると思う。ただ、一般的に大学という大きな括りに分類されてしまうということだ)に入ってしまったから、絵の道で勝負しようという彼女の勇気と気概は尊敬している。ただ、上には上がいる。私なんかと比べれば、彼女はとても上手だが、たしかに彼女より絵が上手い人、センスがいい人は存在している。彼女は今就活中で、それに改めて悩んでいるようだった。


彼女は私のことをすごいと言う。


大学(世間一般的には頭の良い)に入って将来設計をたてていることを褒めてくれる。しかし、私からすれば、彼女のような才能は誰でも持っているものではなく、それこそ、天からの授かりもののように思えるのだ。


そんな彼女が自分をただの人、だと言う。



この話をしている時に、私はふと防弾少年団のことを思い浮かべた。


彼らも、ある意味ただの人である。

私たちからすればとてつもない才能を持っていると思うけれど、彼らは自分は普通の人だと、そう主張する。自分たちは出来ることを精一杯やってどうにかこうにかここまで来たけど、本当に普通だと。


私が彼らを好きなのは彼らが普通だからかもしれない。普通だから努力して努力して努力して努力して今の位置を掴んだ。あみの皆さんはみんな分かっていることだけど、その努力が尋常ではなかった。



だから、本当に。


才能なんてないのかもしれない。

私ももしかして、とくべつ、になれるのかもしれない。

私もとくべつになれたらいいな、なれるといいのだけど。



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