クソデカ感情について

 正直、私がブログを書くとは思っていなかった。柄じゃないし、言葉にするのは苦手だと自覚している。それでも書きたいと思った。これはある種のタイムカプセルだと思う。過ぎた日に、遠い未来に、ここで書いたことを読み返して、私の花様年華は完成するのだろうか。防弾少年団というわたしの花様年華へのわたしの記録だ。わたしか、わたしへ。それは見てもらうためでもなんでもなくて。やっぱりクソデカ感情という言葉が一番似合う。

 キムテヒョンさん。テヒョンさん。テテさん。ゔぃさん。私の想いびとはたくさんのお名前を持っていて、どれをとってもやはりキムテヒョンさんを構成している。私はどのキムテヒョンさんも好きだし、幸せになってほしい。

 テヒョンさんのことが死ぬほど、死ぬまで、死ぬくらい好きだ。他の何にも変えがたい私の大切なキムテヒョンさん。どうにかなろうとか、そうゆう望みが叶うなんて思ったことは一度もない。とおいとおい想いびと。でもこの好きも確かに好きで、その感情に嘘はないと思う。ただ、好き。それだけじゃだめだろうか。

 キムテヒョンさんのことをテレビで見ていると、母も一緒に観にくることがある。母は私のことを大切に思ってくれているし、娘の好きを共有したいという気持ちがあるのだろう。けれど、私はこの時間、かなり緊張しているのだ。私の好きな人は母に認められるだろうか、好きという気持ちだけでも彼からすれば迷惑かもしれないのに、勝手に認められたいなんて思うことは馬鹿だと思っている。けれど、そう思ってしまう。テヒョンさんあなたのせいだよ。

 母は娘との共有の話題として話を振ってくる。この子イケメンだね、ダンスが上手だね。そんな言葉を受けると私は私のことのように嬉しくなってしまう。でしょう?そうでしょう?だってわたしのキムテヒョンさんなんだもの。

 でも母は普通の人で、わたしの、好きが理解できない。だから、平気でこの人整形してるんでしょ?年収いくらなん?歌は末っ子の方がうまいね?この子のダンスは遅れてる?なんてことも聞いてくる。悪気はない。わかっている。だけど、そんな言葉を聞くたび、どうしても世間から見た防弾少年団を思い出してしまう。世間の人はまず、こうゆう目線で彼らのことを見てしまうんだ。偏見や抑圧から音楽を守る彼らだけど、彼らには常に偏見が付きまとっている。それが、どれだけ辛いことか。わたしにはわからない。けれど、私でさえこんなに辛い思いをするのに、彼らが何も思わなかったわけがないのだ。そのことを考えるだけで、彼らの幸せを願ってしまう私は馬鹿なのだろうか。



ねえ、お願い幸せでいて。

このクソデカ感情がどうにかなる前に。

あなたたちからもらった幸せと同じくらいなににも傷つかないふわふわなところで。


幸せでいてほしい。






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