2015 ブロンプトンで走るオーストリアの旅 Day17
#2015オーストリア・スロベニア旅 Day17
前の日はこちら↓
旅も終盤。スロヴェニアからオーストリアに戻ってきて最初の町バートラトカースブルクに2泊のんびり滞在した。
きょうはこの旅さいごの自走区間である。
旅の前半、ムール川自転車道を国境のシュピールフェルトまで南下してから進路を変えてスロベニアのマリボルに向かった。今日はそのシュピールフェルトまでの道を東から西に走ることににより、ムール川自転車道のオーストリア国内区間を走破したという達成感を得ようという目論見である。
自転車の旅を終えたあとは、帰国に向けて輪行でブラティスラバに戻る。しかしその前にどこかのどかな田舎でもう一泊していきたいと考えていた。
そこで思い出したのがペルネッグ、ムール川自転車道を南下して来るときに通っていいところだなあ、こんなとこに泊まりたいなあと思った村だ。
シュピールフェルトからブラティスラヴァまでのちょうど中間あたり。探してみればよさそうな宿もあるので途中下車して一泊することにする。
朝の天気予報は無慈悲に雨。降るったら絶対降りますからねという自信に満ちた予報だ。
それでも朝はまだポツポツといったところ。ひさしびりに雨具に身を固めて走り出す。
こんな天気の日に限って、この日走った道程は、この旅でも指折りのいいルートだった。
静かな細い道が川から少し離れて並行し、小さな集落を結んでいく。
美しい森や畑や村が変わるがわるあらわれる牧歌的な風景が続く。天気がよければ本当に気持ちのいい道だったのに残念だ。
そのうち本降りになってきた。
何度かわたしと同じように大きな荷物を積んだサイクルツーリストとすれ違う。こんな雨でも走るやつは他にもいるのだ。どいつも「雨やんなっちゃうね、つらいね、何やってんだろうね俺たちは」という感じの微妙な苦笑いを浮かべて挨拶する。こちらも「いやほんとまったくねタハハ」という苦笑で返す。
途中のムレックの町にはスロベニア側に渡る橋がある。記念にちょっと渡って寄り道してみる。
どこにでもある田舎の橋だが、たもとにはオーストリア軍兵士の一小隊が国境警備に当たっていた。シェンゲン区域内で行き来は自由なはずなのにものものしい警備がいるのは理由がある。
時に欧州は難民危機。来る時にウィーンでも目にしていたが、このころオーストリアにも中東からの難民が大挙押し寄せていたのだった。
これから向かうシュピールフェルトも、このあとしばらくして大量の難民が流入する窓口となり、世界の注目を浴びることとなる。シュピールフェルトにほど近いこの国境はこの時は平穏だったがその後はどうなっただろうか。
対岸のスロベニア領トラーテは町と呼ぶほどの規模でもない集落だった。
河岸まで迫り出した山を登ったところに古城があるようだったが雨だし登るのやだしパス。スロベニア側には川沿いの道もないようなので記念写真だけ撮ってオーストリアに戻る。
ふたたび会う国境警備の兵士たちも手持ち無沙汰な様子で、すぐ戻ってきた自転車旅の東洋人にまたお前かよと苦笑いし、手を振る者までいた。
雨具さえちゃんとしていれば雨の中のサイクリングも瞑想的で悪いものではない。いろいろな思念が浮かんでは消え、内省のひとときともいえる。まあしかし瞑想が目的ではないし、降ってもらわないに越したことはないのだ。
シュピールフェルトに着き、来た時に通った、マリボルに向かう道に合流した。ああ旅が終わったのだなあと感銘する。
今日の走行約35km。
オーストリア国内路線の終点であるシュピールフェルト始発の列車で北に向かう。
線路はずっとムール川沿いを走る。車窓からぼんやりと外を眺めているとグラーツ、フローンライテンと来た時に通った街が流れていく。街並みや宿や会った人たちの記憶がよぎる。今回もいい旅だった。
オーストリアではムール川、スロベニアではドラヴァ川。いつも川と一緒の旅だった。なんといっても平坦なのがいいし、川に沿ってればいいのだから道に迷うこともない。
列車に揺られて2時間弱でペルネグに着いた。おお駅前になんにもないに等しい小駅だ。
駅からほど近い宿にチェックイン。来るときに通ったサイクルルート沿いにある。
すぐ隣はこぢんまりとした村の教会だ。明日見学することにしているが、地味は外見から想像できない壮麗な内装におどろくこととなる。
ペルネグは小さな村だ。店といえばミニスーパーが一軒だけ。
こんな田舎じゃレジのおばはんもフリーダムな感じで、脇に置いたお菓子をボリボリ食いながらレジ打っていた。
レストランも村に一軒。自転車に乗って村外れまで出かける。
明日は隣の教会を見学してからブラティスラバまで輪行。そして帰国の途に…。↓
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